30.4.18

脚のむくみとの格闘

日本滞在は17日間...
新宿と静岡、2箇所に滞在するのには少々短かったかも知れない。

日本到着と同時に脚はパンパンにむくんでしまい、膝の下の骨まで痛み出したが、すべき事を完了して帰らなければならず、痛みを押して歩き続ける毎日だった。

東京の暮らしは脚を痛めている者にとっては容易ではなく、地下鉄の駅にエスカレーターが無いのを見ると気が萎え、道路に埋め込まれた点字ブロックの僅かな段差を踏む度に脚を微妙にぐらす結果となり、堪え難い激痛が走った。
あの点字ブロックというものは、本当に視覚障害を持つ人たちの助けになっているのだろうか? 靴底から伝わる感覚で安全に歩行できる場所やら注意を要する危険箇所を判断しなければならないのであれば、当然履物は厚底であるはずもなく、私のように膝やら脚やらを痛めていたら、その凸凹箇所を歩かざるを得ないというのは拷問以外のなにものでもないように思えてならない。視覚障害を持つ人々が何の心配もなくスムーズに歩け、尚且つ全ての人が安全に歩行できる "新時代" の歩道を設計する人が現れないものだろうかと、そんな事を考えながら歩いていると、目につくのは杖をついていたり、歩くスピードが極端に遅い老人ばかりになってしまった。


とは言え、日本滞在はもちろん不便なことばかりではなく、新築の実家や息子の家の電気は勝手に点いたり消えたりし(人感センサー)、トイレは当然のごとく最新式のウォシュレットで、快適そのもの。
毎日の入浴はきめ細かな泡風呂につかり、この上なく美味しい料理に舌鼓を打つのだ。

スーパーマーケットに並ぶお惣菜はどれも美味しそうで、色とりどりのスイーツがこれでもかと言わんばかりに整列している。デパートで売られている高級スイーツは確かに美味しいが、そんなに高いものでなくてもスーパーマーケットの物で十分だ。そんなに美味しいものはここNZには無いと胸を張って断言できる。

ホームセンターと呼ばれるDIYショップに行けば、ありとあらゆるものが揃っているように思えてしまうほど、品揃えがハンパではない。

洗濯用洗剤の香りがどんなかわかるよう、棚には香りのサンプルが備え付けられていたり、犬を乗せるための専用のシートが敷かれたカートがあったりと、「そこまでやるか?!」と思えるほどの "気配り" (ややもすれば過保護)に驚きの連続だった。

ただ、あまりに便利過ぎて、自分で何かを考えたり、生み出したり、作り出したり、工夫したりする必要がほとんどないというのは、果たして良いことなのだろうかと、心配になった。そのような生活の中で生まれ育つ子供たちは、一体どんな大人に成長するのだろう?

日本と比べたら、何もないに等しいようなNZ。おかげで私も同居人たちも、他人に頼むことなく多くのことを自分たちの手で行えるようになったが、今朝シャワーを浴びながら、今年の暮れか、来年の春先にこちらに遊びに来たいと言っている母と姉が、この、日本とはあまりにギャップのある一昔前のような家の設備に居心地悪く感じはしまいかと心配になってしまった。


NZは依然として私と同居人たちにとって住み易い国ではあるが、旅の疲れも取りきれないまま、NZ帰宅直後にやって来た外壁清掃&塗装業者の対応に追われる羽目となり、高圧洗浄によって全ての窓(木枠)から水が部屋に流れ込むのを拭き取って回らざるを得ない状況に振り回され、裏口やらガレージのドアを完全に塞いで足場を組んで行かれたりすると、「住んでいる人のことを考えろ!」「少しは頭を働かせたらどうだ?!」と怒り心頭に達してしまうのも、これまた事実である。



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