6.8.25

" 天敵 "

 2013 年 2 月初旬から数日前まで、同じ市内に住んでいただろうに、どこかで鉢合わせることも、電話をすることも一度も無く、この 12 年、お互いの近況も全く知らずに、全く別の人生を歩んできた "天敵" と私...

今月 2 日午後、携帯電話が鳴り、画面に表示された番号を見て、「あれ?この番号知ってるかも...」と瞬時に思ったものの、誰の番号か咄嗟には思い出せなかった。

何の用事でかけてきたのだろうかと思いながら、「Hello」と言った私に、おそらく一生忘れることのないだろう声が返答した。そこでようやく、あぁ、この番号は "天敵" の番号だったと思い出した。

「Hi, 〇〇だけど覚えてるかい?」

「もちろん覚えてるよ」

天敵はまず、こうして電話をかけることになったきっかけから話し出した。
最近何かの用事で会ったグループの内の一人が、偶然にも私につけてくれたヘブリュー名と同じだったことから、その女性にそのいきさつを話したのだそうだ。(相変わらず話好きだな)
話をしている内に当時の記憶が甦り、懐かしさと同時に、私がどうしているかと気になってしまい、以前私が渡したビジネス カードを探し出して連絡してきたということらしい。

彼は、長年主として経営していたフード ビジネスを終い、今はリタイア人生を送っていること、引っ越して別の地域に住んでいること、息子は私の家からほど近い所でアート関連の仕事をしていること、そして自分は 5 年前に離婚したこと等々をとめどなく話していた。

長い年月続けて来たフード ビジネスを畳んだことも驚いたが、離婚していたことには尚驚いた。
再婚したのかと聞いた私に、独身のままだと...

私よりも随分若いとはいえ、その年になって一人暮らしはキツかろうと私なんぞは思ってしまうのだが、実際のところはどうなんだろう?


「近いうちにお茶でも飲みに行かないか?」というので、無下に断るのも気が引けて、来週なら時間が取れるよと返事をした。
「私を見たらきっと驚くよ。見かけが完全にお婆さんだからね」と笑う私に、彼も、私も彼を見て驚くと思うよと笑っていた。「会っても誰だかわかるかな?」と以前のままの掛け合いに、お互い笑ってばかりいた。

だが、電話を切った後から、私は次第に落ち着かない気持ちになり、眠れない夜を、娘にもらったヘネシーを飲みながら過ごすハメになってしまった。

今の私の暮らしは 、T とH と、そして H のパートナー R との、極々限られた人間関係のみで成り立っていて、とても穏やかだ。
友達と出かけることもなく、木工やら編み物やら、H に頼まれた縫い物やらをしながら、パンを焼いたり、お菓子を作ったり... 他人に左右されない日々を過ごしすぎたせいか、買い物以外で外に出るのが億劫に思えてしまうのだ。

落ち着かないのは、相手が "天敵" だからではなく、ただ出かけるのが面倒だということかも知れない。

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そんなこんなで、12 年振りの再会となった昨日正午、我が家に迎えに来てくれた "天敵" は、ガンメタのベントレーの運転席で満面の笑みを浮かべて私を迎えてくれた。

かなり痩せてはいたが、ケビン コスナー似の目(似ているのは目だけ)は当然変わらず、口元も以前のままだった。見間違うほど痩せたというわけではなかったのは幸いだった。

形は素晴らしくいいのだが、乗り降りする際に何だか狭く感じるベントレーに乗り込むと、シートが温かくて感激。

ランチは彼の新しい住まいがある近くのボート ハーバー沿いのレストランで取ろうということで、連れて行ってくれたのはタイ レストラン。
中にはリタイアメント ホームの住人の集まりかとついつい想像してしまう集団がいて、騒ぐこともなく会話を楽しんでいたが、私たちが店に入る前から、ガラス越しに私たちをチラチラと幾度となく見る人が何人かいた。
以前から天敵と私は異質な感じがするとよく言われていたが、多分今でもそうなのだろう。
「あの人たち、どんな関係?」と想像させてしまうような風貌の取り合わせなのだろう。

魚は好きだけれど、フィッシュソースは苦手な私は、「何を食べる?」と言われ、即答で Deep Fried Tohu にすると... マンゴー ジュースも頼んだ。

彼は以前では考えられないほど少量の食事で十分だということで、食事はすぐに終わったが、しばらく店の中で話をし、その後ハーバーに出て、小雨の降る中、彼の所有するボートを岸から眺め、「夏になったらクルーズしような」と誘ってくれた彼に、「いやー、絶対行かない」と即答。「船酔いするのか?」と大笑いしながら、薬飲めば大丈夫だからと言い続けていたが、幼少期に母に連れて行かれた『栄螺(サザエ)の壺焼きを食べに行くツアー』で激しい船酔いの悪夢に晒され、サザエどころではなかった記憶が甦り、ボートになんか絶対に乗らないぞと、再度心に誓ってしまった瞬間であった。

その後、その周囲の絶景ポイントを案内してくれ、家でお茶でも飲みながら積もる話をしようじゃないかということで、案内された家には、かつて私が作ってプレゼントした、エルサレムのドームを模った、ステンドグラスのビジネスカードホルダーが、他の調度品と共に置かれていて、私の名刺もそこにあった。(今見ると、どちらもしょぼいなと思ってしまう)




昨日からキッチンにアリが出始めたというので、シナモンを撒いておくと来なくなるよと言ったのだが、当然常備しているだろうと思っていたシナモンは持っておらず、クローブの粉末じゃだめかな?とクローブを撒く天敵...
クローブは全く効果がないようで、彼は次にベーキング ソーダはどうかな?とやってみると、アリたちは見る見る弱って行った。

しばらく 2 人してアリと格闘し、入れてもらったお茶を飲みながらお互いの今の暮らし、そしてこれからのことを延々と話していた。

彼は電話ではリタイア生活を送っていると行っていたが、やはり生粋のビジネスマン。
今は NZ 国内とタイランドに数え切れないほどの不動産を保有していて、他にも手を拡げるべく常に思いを巡らしているようだった。

生活に困窮しつつある私とは別世界に住んでいる人のようにしか思えない。

そんな人なので、お金目当てに言い寄ってくる女性も多いらしく、魂胆が見え透いててうんざりだと話していた。
そんな人が多い中、出会ってからこれまで一度たりとも甘い汁を吸おうと目論んだことも、好条件のオファーを受け入れたこともなく、それどころか、いつも彼のビジネスに有益なことを無償で提供してくれていたと、私の "プライドの高さ" を高く買ってくれていたのが、今回よくわかった。(会えば喧嘩ばかりしていたが...)

1 年の内半年は行っているというタイでは、食費が 1 日 $5 もあれば充分だというので、それはかなり魅力的だねと反応すると、タイだったら綺麗な新築の家をプレゼントしてくれると言う...  
ただ、タイに移り住むとなるとビザの問題と、それをクリアしたとしても NZ の老齢年金はもらえなくなるから、それだけがネックだなと、彼は一人で考え込んでいた。
いや、それよりも前に、私ではなく、私を常にサポートしてくれている T の生活のことを先に考えたいんだと、私は彼の思考を遮った。

「息子が世帯を持ったらどうするんだ?」と聞いてきた彼に、「そうしたら私の役目は終わる」と笑って答えるにとどまった。


お尻にホッカイロを当てられたくらい温かい(少々熱かった)ベントレーで家まで送り届けてもらう間も話し続け、別れ際に、「それじゃ、また 10 年後!」と笑って言った私に、「 1 年後、いや、1 ヶ月後にまた会おうな」と笑っていた。

私はただただ、彼が次に会う時も元気でいてくれることを願うのみだ。


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最近になって、フリーランサーとして生活している T のところに、フルタイムの仕事を受ける気があるかと問い合わせが来た。国内でもトップクラスの、ビリオン ダラー カンパニーの求人である。
シニアの年収は日本円にして 1 千万円近くになるというので、とりあえず CV(履歴書)は送っておいたとのこと。
CV を送った後で、今度は 5 週間のフリーランスの仕事が入ったらしく、一日 4 万円以上の収入ということで、引き受けることにし、今日から働きに出ている。


私の周りで何かが動き出した気がして、それがどのような展開になっていくのか、楽しみでもあり、不安でもあり...

まぁ、人生、成るようにしかなっていないのだから、私がどう足掻いてもどうしようもないのだろうな。





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いかにも日本っぽい

日本に居たら、やっぱりそう考えるようになるんだろうな... 最期まで体裁を取り繕って生活していた母のことが、咄嗟に頭に浮かんだ。 ここで言う 『親しい友人』というのは、私からすれば、本音で話をすることができない/実は信用できないと心の底で疑っている『見せかけの友人』としか思えず、...