21.5.18

休日も働く日本の郵便局

先週木曜日に日本に送った郵便物が、なんと3日後の日曜日に着いていたことを知って驚いた。

日本では日曜日にも配達するのかと姉に聞くと、一般郵便物は配達しないが、クーリエは年中無休で配達するとのこと。
"親方日の丸" ではなくなったのは、おそらく良いことだったのだろうと、今更ながら思った次第である。

NZ Post は民営だが、労働に対する姿勢が日本とは大きく違い、休みの日に働くなどあり得ないことだ。
当然のことながら、お客様は神様ではなく、利用してくれる人が居るおかげで商売が成り立っていられるんだという認識さえ欠如しているようにしか思えない。
ライバルとなる運送会社がいくつも出て来ても、カスタマーサービスの質を向上させようともせず、その結果、設置されているポストの数を大幅に減らし、単独で建っていたポストショップを廃止して、デイリーやら文房具屋の一角を借りて業務をするという具合になって来ている。
雇っている配達員は、荷物を遠くから放り投げて行ったり、雨の日に駐車場の車の脇に置き去りにしたり、配達に来ていないのに(来ていないので不在通知は無く)「配達したけど居なかった」と携帯にメッセージだけ送ってよこす輩だったりする。
ポストショップで働くおばちゃんは、客が列を作っているのをそっちのけで知り合いと歓談...
荷物が間違った住所に配達されることは日常茶飯事。我が家の玄関先に置かれた全く違う住所宛の荷物は、近所だったら届けに行くが、近所でない場合はポストショップまで持って行かなければならない。
同居人H宛の荷物は全く違う住所に配達され、行方不明のまま迷宮入り。

これが普通なのか???と、管理が徹底されている日本から来た私たちはガッカリするのだが、世界の多くの国ではこれを凌ぐほどにずさんな管理のポストショップがあるようで、荷物が間違いなく届くことに驚くほどの国もあるようだ。

国によって価値観やら責任感やら倫理に対する一般的な考え方が全く違ったりするのは何故なのだろう? 同じ "人間" じゃないか...

この世には不思議なことだらけだ。



16.5.18

ストレスフルな日々

一日中外壁のペイントを削る騒音にさらされ、アトリエへの通路も塞がれ、作業もできず、いつになったらこの作業が終わるんだと、苛立つこと約3週間。

そもそも、外壁を塗り替えるプロジェクトは昨年の冬、かれこれ10ヶ月近くも前に話があったもので、こんなにも長い時間をかけなければできないものだとは想像だにしていなかった私たちは、長引く非常に居心地の悪い状況にただでさえウンザリしきっていたのに、それに輪をかけるようにやって来たおよそプロとは思えないような集団の全くもって手際の悪い作業に、日々腹立たしい思いをさせられている。
日本から買って来た幾つかの木工工具の使い心地をみたくとも、それさえもできやしない。

外壁のペイントに来ている業者に、家の要補修箇所はそのままでペイントしてしまうのかと聞くと「そうだ」と言う。それをこの家の大家は承知しているのかと聞くと、承知しているというので、それでは私の出る幕ではないので、続けていただいて結構ですと言うと、翌日から別の補修業者が来て補修を始め驚いた。
最も驚いたのは、これまで入っていた窓を取り払って、何処かから調達したらしい、薄汚く、その上デザインの違う中古品を持って来て嵌めて行ったことだ。ただ単にサイズが合っているというだけ。
その補修業者は英語圏の人ではなく、英語での会話がほとんどできないに等しく、あちらの言いたいことは理解できず、こちらの意思も伝わらず...

おそらくその窓は仮のものだろうという私の憶測は木っ端微塵に打ち砕かれた。その業者が何日経っても交換に来ないことを不安に感じるようになり、その木枠にペイントを施し始めた業者に、「その窓、デザインが違うんだけど、もしかしてそのままその窓を使うってことかな?」と聞くと、それしかサイズが合うものがなかったんだとの返事が帰って来た。
これまで入っていた木枠は傷んでいたと言うので、だったら木枠の板を変えるだけでよかったんじゃないのかと聞くと、木枠を修理するのには余分にお金がかかると...
木枠を修理する技術の無い人たちは、廃物を再利用することしか考えなかったのだ。
大家はそれを承知しているとのこと。
2018年5月、この家の一箇所に誠にチグハグな窓が入ったことをここに記しておくことにしよう。


余分なペイントが窓枠の周囲にべったりと張り付き固まってしまっていて、全ての窓が開けられなくなっていたのは、私が内側から木枠をハンマーで慎重に叩き、貼り付いていたペイントを無理矢理剥がして開けられるようにした。窓どころではなく、裏口のドアも開かなくなっている始末だが、ペインターは貼り付いているペイントにナイフでスコアを入れることさえせず、「どうにもならない」と繰り返すだけだった。
何も考えず無闇矢鱈と塗りたくって、開けられなくなった窓をそのままにして終了する気だったなんて、信じられるか? ペイントを専門にしている業者が、窓枠の外に付着した塗料で窓が桟に張り付いてしまうことをこれっぽっちも考えていないんだぞ?!

お粗末極まりないじゃないか。

しかも、驚くことに、蝶番まで壁と同じ色のペイントで塗ってしまっていた。蝶番がくっついてしまうことは考えなかったのか???

...  お話にならない...

ここNZでは、ほとんどの業者は専門分野以外の作業をしない。出来ないのか、してはいけないのかわからないが、ペインターはただ単にペイント作業を行うのみで、私から見ても超簡単な補修箇所ですら触ることはない。
直径 3 cm 未満の穴が空いていても空いたままペイントして良しとする。
だが、そんなことより何より、そのたった一つしかしなくていいことすら完璧に出来ないのだ。

しかも、丹精込めて綺麗に整えた裏庭は完全に荒らされ、長男がこちらに来た折に記念にと植えて行った大切な林檎の木には足場にする重たい鉄の棒がのしかかり、枝は数カ所折れ、既にぐらついてしまっていて、枯れかけている有様だ。

「あなた達は責任という言葉を知っているのか?」
見るも哀れな姿になってしまった林檎の木を見て、思わず悔し涙が溢れた。

私にとっては『有り得ない』ことの連続で、『もうお引き取りいただきたい』と声を大にして言いたい衝動と戦い続ける毎日... 体にいいわけはない。


かつて、「私の夫は大工です」という女性に、「それはいいですね。家で色んな物を作ってもらえるし、修理もしてもらえる」と言うと、「夫は階段しか作りませんから、他のことはしません」との返事。『しない』と言うよりも、『出来ない』のだそうだ。
階段しか作れない大工なんているのか??? 階段しか作らない人を大工と呼ぶのか???と、私は(申し訳ないが)その人の "腕" を思わず疑ってしまったものだ。


大工に限らず、この国の "プロフェッショナル" の質は総じて恐ろしく低い。
日本では到底通用しないだろうレベルの "プロフェッショナル" の人たちは、ここNZに来て仕事を探せば難なく職にありつけるに違いない。
英語がたいしてわからなくとも、それを自分が気にしなければ大丈夫。依頼主がどんなに苛立つ思いをしようが、そんなことは自分の知ったことではないと聞いた端から無視できるような無神経な人だったら、十分やっていけるだろう。

アクセントカラーだった緑色も白く塗られてしまい、この家はのっぺりとした白一色になってしまった。
大家が修理代金をケチったからなのか、はたまたペイント業者のセンスが悪かったせいなのかわからないが、もうどうでもいい。

早く終わってくれと、ただただ願うのみだ。


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...