26.5.24

従姉妹の死

 今年 3 月、亡き父の誕生日に、九州に住んでいた父方の叔父(父の一番下の弟)が食道癌で亡くなったと知らせを受けた。叔父は母よりも 10 歳年下で、急の知らせに母が一番驚いた様子だった。

叔父は貧しい家に産まれたものの、頭脳明晰で、奨学金を受け東北大学工学部に入学。そして主席で卒業したとのこと。その後は新日本製鉄に入社し、必死で語学を学び、様々な国に単身で技術提携に行っていた時期もあった。
日本に帰って来ると、次は工場長の職が待っていて、エリートコースにしっかり乗ったかのような人生を歩んでいたが、退職後は、難病に冒され植物状態となってしまった妻の世話を、文句も言わず 15 年に渡り一人で行い、妻が亡くなって数年後に、自分自身の命も尽きてしまったのだ。

叔父がどれだけ勉強家であったかは、使っていた英語の辞書を見るだけでよくわかった。
その、表紙がボロボロになった辞書の全てのページ、全ての単語に赤線が引かれ、確かに覚えた単語は塗り潰されていたのだ。貧しかったが故に、一冊の辞書はとても貴重で、その辞書を何度も何度も繰り返し勉強することしかできなかったのだろう。

私なんぞは、そこまでの根性も勉強に対する情熱も無く、持っている辞書は売りに出せるほど綺麗なままだ。


そんな叔父の最期から 2 ヶ月半が経ち、今度は私と同い年の従姉妹が、(奇しくも私の誕生日当日に)大動脈解離で亡くなったと、母から LINE を通して知らせが入った。

従姉妹とは同じ高校に通っていたにも関わらず、特に仲が良かったわけでもなく(仲が悪かったわけではないが)、いつも一緒にいる仲間というわけではなかった。
私の父の葬儀にも参列してくれていたが、一瞬挨拶を交わしただけで、昔話に花を咲かせるでもなく、近況報告するでもなく、他の従姉妹の方が多く話をしていたほどだった。

そんな、ただ血の繋がった親族というだけだったような存在だが、同い年の従姉妹が亡くなったというのはやはりショックで、数えるほどしかない、その子と一緒の空間に居たシーンが幾度となく蘇ってきて、訃報を聞いた夜はなかなか寝付くことができなかった。


人の一生というのは予測できるものではない。
自分の人生なのに、自分ではどうにもできないことに振り回され、歯痒く、口惜しい思いをし続けて一生を終えることになる人を、神はそれで良しとしているのかと、苛立ちを覚えたことは数知れず...

私が学んだ聖書に描かれている神は、全知全能であるのにも関わらず、何故人間の従順さを試さなくてはならないのか...  
人間の心の中まで見透かせる能力を持っているのなら、わざわざ "試す" 必要がどうしてあろうか...


10 代、あるいは 10 歳以下から片親だけで育った私の子供たちは、思いやりのある大人になった。
それを心からありがたく思いながらも、時々ふと、『私は産まれて来なければよかった』という思いが頭をよぎる。子供達を産んでおきながら、甚だ不謹慎な話だ。

私がこの世に産まれて来ていなかったら、彼の人に出会うこともなく、彼の人の人生もあんなに早く終わっていなかったかも知れないと、どうしても考えてしまうのだ。

もう誰とも関わりを持ちたくない。誰の運命にも関係したくない。
誰の運命も左右することなく、人生を終えたい。

彼の人を失ってからというもの、私の神への疑問は増大するばかりで、それこそ神への冒涜だと、熱心な信者からは非難されるに違いない。

この世に産まれる前のことも、死んだ後のことも、今生きている世に於いてはわかる術もない。

何の為に生まれてきて、何のために生きているのか、真の答えを出せる人などいるはずはない。答えを出せる人がいたとしても、それは完全なるその人の "勝手な思い込み" 以外の何物でもないだろうなどと、世の中の敬虔な信者たちから顰蹙を買うようなことを頭の中で思い巡らし、結局何の答えも見出せないまま、私はこの世から消えていくことになるのだろう。

その最期の日がいつ来るのかも、全く予想できず、ほぼ当たらないだろうと思いつつ買っているロトに、思いとは裏腹の大きな期待を抱いて生活するしかない現状...

同い年の従姉妹は死んでしまったのに、私はまだ生きている。病院にかかることもなく...





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