24.9.24

急遽日本へ

90 歳を超えた母が肺に炎症を起こし、緊急入院したとの一報が入ったのは先月末...

以前から誤嚥性肺炎があり、肺機能が落ちて来ているとのことで、寿命もあるし、急変した際には延命治療はしないことにしたと...
まだ元気なうちに一度会いに来ておいた方がいいという姉の言葉を受け、早速子供達に連絡を取った。

H と T の都合を調整し、エアチケットを取ろうとしたのだが、その時点で日本はノロノロ台風 10 号の影響で飛行機の離発着にも影響が出ているというので、さすがにこの日まで待てば台風は過ぎ去るだろうと踏んだ日を選び、日程変更可能のチケットを押さえたのが今月 4 日。

念の為に日本到着後 5 日間は病院に面会に行くことは控え、私たち一時帰国組の誰もが感染症に罹っていないことを確認した上で、母に会いに行った。
母は体重が激減しているとは聞いていたが、身体は小さくなってしまい、まるで骨と皮だけのような手足と、痩せこけた顔を目の当たりにして、愕然としてしまった。

炎症の値は上下していたが、容体は徐々に回復し、退院予定日を 1 週間超過した 12 日、無事母は退院した。

母は大腿骨骨折後、家の中では歩行器を使い、外出時は車椅子を使わないとならない生活...
看病をする姉の負担は想像以上に重く、これまでずっと姉に任せきりだったことを心から申し訳なく、また有り難く思った。

痰が切れず、また入れ歯を外して話す母の言葉はなかなか聞き取れず、何度も何度も聞き返さないとならないのは、私のみならず姉も同じで、話し辛い母が何度も同じことを繰り返して言わないとならないのは可哀想の一言に尽きるが、どうしようもない。

退院の日、母の容体はその前の日よりも悪くなっているように見えたが、再度検査することなく退院してしまったのが祟って、案の定、その後 3 日間はほとんど食事も喉を通らず、痰も切れず、自力で起き上がることができない状態になってしまった。
衰弱が激しいと判断した姉は病院に連絡し、救急外来を受診... 極度の脱水状態で、そのまま即再入院となって今に至っている。

入院している限りにおいては差し迫って命の危険はないかもしれないが、退院したら入院中と同等の看護はできるはずもなく、医者からも家庭での看病には限りがあるので、介護施設に入ることも選択肢の一つとして考えてもいいかもしれないと幾度となく言われたが、痴呆にもなっておらず、冴えた頭のまま介護施設に入れられ、胃瘻、或いは喉やら股関節付近に穴を開け管を通して、そこから栄養を流し込む処置を施された上で、感染症の恐怖に怯えながら家族と離れて余生を過ごすことが果たして幸せだと言えるのか... と、姉と二人で話し合った。

家に戻って介護する道を選べば、徐々に衰弱し、間も無く最期を迎えることになるだろうことは誰もが想像できるが、その方が年老いた母にとっては幸せなのではないか...
もし自分が母の立場だったら、その方を選ぶのではないかなどと考え続ける毎日で、精神的に疲れ果てている。

今日は母の具合は悪くはなく、食事もしっかり食べられたようで、少しホッとした。



T とH は明日の便でとりあえず NZ に戻ることが決まった。

私はおそらく母の最期を看取るまで日本に滞在することになるだろう。




「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...