30.12.13

真実

以前よく買いに行っていた韓国人経営のこじんまりした食品雑貨店の店主(夫婦)はとても愛想のいいカップルだった。
大方のコリアンはおもてなし上手である。

私も何年かそこに通う内にそのカップルと仲良くなり、店の奥でランチを一緒に食べようとか、時にはディナーに行こうとかいう誘いの電話が来るようにもなった。
ランチには大抵彼女の仲の良い韓国人客も一緒で、私の知っている韓国語は簡単な挨拶程度のみだったので、彼女達が時折韓国語で話していた内容は全く理解できず、ただ彼女達の顔色を見て、決して楽しそうな話しじゃないなとだけは察することができたものの、まぁ、私には100%関わりのないことだけは確かなので、取り立ててその話に入ろうとは思わなかった。

そのカップルには娘が二人居た。娘達は学校が引けるとその店にやって来て、店が閉まるのを待って一緒に帰ったりしていた。
当時、私の同居人の一人は、その店から歩いて数分の所にあるカレッジに通っていた為、同居人を迎えに行くついでに買い物を済ませることが度々あったことから、同居人もその店主の子供達と何度も会い、会話もしていたが、親しくなる気は無かったようで、その娘達の目つきがすごく悪いのは何故なんだろうねと時折口にしていた。
両親ともあんなに愛想がいいのに、娘達は何故(目つきだけではなく)態度も悪いのだろうと、しばらくは理解できずにいた。

その店に通い始めて数年後、そこで知り合いになった日本語が堪能な韓国人客の一人に、私の工房で働いてくれないかとお願いした。
彼女は韓国人にしては珍しくつっけんどんで、態度も大きく、愛想など振りまこうと思ったことも無いように見える人だったが(笑)、ある時、彼女も一緒にランチを食べようということになり、彼女が手料理を持って来てくれるというので楽しみに待っていたのだが、予定の時間になっても彼女は現れず、数十分遅れて彼女から連絡が入り、急な用事ができて来れないので、彼女のパートナーがお料理を届けてくれるとのこと…。電話が切れると同時に彼女の手料理はやって来た。

その時私は確信を持って、彼女は信頼の於ける人に違いないと思ったのだ。
彼女の手料理はすこぶる美味しかったが、例え美味しいとは思わなくとも、私は彼女に働いて欲しいと話を持ちかけたに違いない。
後に彼女が、「何故私を雇おうと思ったんですか?」と聞いてきたとき、私は上記の話しをした。ぶっきらぼうで、突慳貪で、(私と同じで)気の強さが体中から溢れ出ていたけれども、約束したことはしっかり守る。自分を必要以上に良い人に見せよう(演じよう)と思わない人だからこそ、あなたを誰よりも信じられる人だと思ったんだと。

その彼女が私の工房に来るようになって、私達の『何故店主の娘達はあんなに目つきが悪いのか』という疑問がはっきりわかるようになって来た。

子供たちの目つきが悪いのは、誰のせいでもなく、正に"親"の根性の悪さの現れである。
外でどんなに愛想を振りまいて『善良な人』を演じていても、家で四六時中誰かの悪口を言い続けていたら、子供はそれを確実に見習ってしまう。
例え子供が一日のほとんどを祖父母と暮らすような環境であっても、親の影響力というのははるかに大きいのだ。

『子は親を映す鏡』おそらく、この諺に当てはまらないケースは多くはないだろう。前述の店主のように、外面と内面が極端に違うケースというのは珍しいことではないのだ。特に日本のように『善良さを装う』ことに慣れ切ってしまっている社会では尚更だろう。

誰かに隠れてコソコソ何かをして喜んでいるような人の子供は、cheat (ごまかす、欺く)することに対して何ら罪悪感を抱かなくなるものだし、それ以上に、何に対しても不信感を抱くようにさせてしまうように思えて仕方がない。
また、そういう人に限って、何故か加害者意識ではなく被害者意識を強く抱いている傾向があって、自分を弱く見せることで同調者を自分の側に付けることに成功していると思い込んでいるようなふしがあるが、実際は、自ずから、甚だしく信頼の於けない人、人を欺いて(あざむいて)自分の立場を優位にしようと試みる不心得な輩だということを暴露しているようなものだということに全く気付いていない。


ある知り合いの日本男児は、中国人のパートナーとの間にできた子供を、不本意にも中国に居る彼女の両親にあずけられてしまい、パートナーの言いなりになって、家を買う為だけに血眼になって働かされている。そして、その実態を日本に居る家族にはとても言えず、季節の全く違う国で撮った子供の写真の服装で真実がバレるのを恐れ、服装をこちらの季節に合わせて写真を撮ってくれるように頼み、その写真を実家にemailで送り…
あぁ、なんてことだ。次に彼の家族が孫/甥と対面する時に、孫/甥は日本語はおろか英語も話せず、中国語しか話さない子になってしまっているじゃないか… そこで真実がバレる可能性があることを何故考えなかったんだ?
自分を産み育ててくれた親が、子供にずっと騙されていてよかったと感謝するとでも思ったのか?



誰かを悲しませないようにと嘘をつく人よ、あなたは欺かれることがどんなに悲しいことか考えたことがありますか。



26.12.13

unwanted gifts

クリスマスから一夜明け、ラジオではボクシング・デー・セールのコマーシャルを流し、NZ最大のネット・オークション・サイト Trade Me にはこんな広告が出るようになった。

もらったけれども要らないギフトをオークションで売りましょうというこの広告… 人々は何のためらいも無く、親しい人からいただいたプレゼントを UNWANTED GIFT と堂々と書いて売っているのだろうか?

何の為にプレゼントをあげたり頂いたりしているのだ??? 全くバカバカしい習慣だとは思わないのか? お金と時間を使って相手に取って不必要で邪魔になるものを探し、更にお金をかけてギフト・ラッピングし、わざとらしい作り笑顔を受けとった後は、『要らないギフト』と書かれてオークションで幾ばくかの金銭にしようと試みられるのだ。そんなことを毎年繰り返していて何が楽しいのだろう?

クリスマス直前は毎年のように、クリスマスにまつわる話しで盛り上がるラジオの視聴者参加型番組… 仕事をしながら何とはなしに聞いていたら、今年はたった一人のリスナーが「商業主義と化した現代のクリスマスには何の神聖さも感じない」と電話でコメントを寄せていた。
私はそれを聞きながら、「クリスマスなんて初まりからそのようなものじゃなかったのか?」と更に冷めた感想を一人でつぶやいてしまった。

何か買いたかった物がある人は、取りあえずオークションで新品のunwanted gifts を探し始めていることだろう。


こんな風でも、やはり来年もその次の年も、クリスマスのプレゼント合戦は続くのだろうな… 

この広告も、正に商業主義(営利主義)そのものだな…






「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...