30.4.18

早稲田界隈

"学生の街" には多くの古本屋が今なお残っていた。
おそらく一昔前ならその一件一件に足を止め覗いてみただろうなと思いながらも、立ち寄る事なく通り過ぎたのは、度重なる引越しで、書籍類が相当なお荷物になると痛感してしまったからだ。書籍類というものは、終の住処を持たない者にとっては "痛い" 所持品である。
時代がこんなに電子化されていなかったなら、何も考える事なく本を買い集めていたであろうが、今はそんな時代ではない。


「木組み博物館というのがこの近くにあるから、行ってみるといいかもよ」と息子に教えられ、脚を引きずりながら9分程度で行ける場所に何十分もかけてたどり着いた。


「ごく普通の建物だから、気付かずに通り過ぎるかも」と言われていたので、注意して歩いていたのだが、案の定通り過ぎてしまっていたのを Google Map に教えられた。

 博物館入口はとても質素で、本当にここでいいのかしらと思わせる風情だった。
受付けは3階。リフト(エレベーター)があったのは有り難かった。




受付けにはとても感じの良い女性が二人居て、明るく和やかに案内/説明をしてくれた。
展示物の多くは実際に手に取ってみることができ、木組みの組み方がどのようになっているのかがよくわかるようにしてくれてあった。

展示物はどれもきっちり、美しく組まれていて、それらをつくった職人さんの腕の良さに感服したのは、私だけではあるまい。







私の少しだけ踏み込んだ質問には、館長が直々に、丁寧に答えてくれるなどし、非常に楽しく有益な時間を過ごすことができた。

大規模な博物館ではないが、第二展示室には樹齢500年を超えるという大きな屋久杉のベンチが中央に置かれていて、その美しさは圧巻だった。
光り輝いている部分は、元々は独立した2本の樹がくっついて成長した部分だ。なぜこのように光を放つようになるのか...  自然というのは、私のような凡人には想像もつかないほど奥深い。








私にとってはデパートを見て回るよりも遥かに楽しかったと、お礼を述べ、そこを訪れた記念にと、トートバッグを一つ購入して家路に着いた。(入館無料)




脚のむくみとの格闘

日本滞在は17日間...
新宿と静岡、2箇所に滞在するのには少々短かったかも知れない。

日本到着と同時に脚はパンパンにむくんでしまい、膝の下の骨まで痛み出したが、すべき事を完了して帰らなければならず、痛みを押して歩き続ける毎日だった。

東京の暮らしは脚を痛めている者にとっては容易ではなく、地下鉄の駅にエスカレーターが無いのを見ると気が萎え、道路に埋め込まれた点字ブロックの僅かな段差を踏む度に脚を微妙にぐらす結果となり、堪え難い激痛が走った。
あの点字ブロックというものは、本当に視覚障害を持つ人たちの助けになっているのだろうか? 靴底から伝わる感覚で安全に歩行できる場所やら注意を要する危険箇所を判断しなければならないのであれば、当然履物は厚底であるはずもなく、私のように膝やら脚やらを痛めていたら、その凸凹箇所を歩かざるを得ないというのは拷問以外のなにものでもないように思えてならない。視覚障害を持つ人々が何の心配もなくスムーズに歩け、尚且つ全ての人が安全に歩行できる "新時代" の歩道を設計する人が現れないものだろうかと、そんな事を考えながら歩いていると、目につくのは杖をついていたり、歩くスピードが極端に遅い老人ばかりになってしまった。


とは言え、日本滞在はもちろん不便なことばかりではなく、新築の実家や息子の家の電気は勝手に点いたり消えたりし(人感センサー)、トイレは当然のごとく最新式のウォシュレットで、快適そのもの。
毎日の入浴はきめ細かな泡風呂につかり、この上なく美味しい料理に舌鼓を打つのだ。

スーパーマーケットに並ぶお惣菜はどれも美味しそうで、色とりどりのスイーツがこれでもかと言わんばかりに整列している。デパートで売られている高級スイーツは確かに美味しいが、そんなに高いものでなくてもスーパーマーケットの物で十分だ。そんなに美味しいものはここNZには無いと胸を張って断言できる。

ホームセンターと呼ばれるDIYショップに行けば、ありとあらゆるものが揃っているように思えてしまうほど、品揃えがハンパではない。

洗濯用洗剤の香りがどんなかわかるよう、棚には香りのサンプルが備え付けられていたり、犬を乗せるための専用のシートが敷かれたカートがあったりと、「そこまでやるか?!」と思えるほどの "気配り" (ややもすれば過保護)に驚きの連続だった。

ただ、あまりに便利過ぎて、自分で何かを考えたり、生み出したり、作り出したり、工夫したりする必要がほとんどないというのは、果たして良いことなのだろうかと、心配になった。そのような生活の中で生まれ育つ子供たちは、一体どんな大人に成長するのだろう?

日本と比べたら、何もないに等しいようなNZ。おかげで私も同居人たちも、他人に頼むことなく多くのことを自分たちの手で行えるようになったが、今朝シャワーを浴びながら、今年の暮れか、来年の春先にこちらに遊びに来たいと言っている母と姉が、この、日本とはあまりにギャップのある一昔前のような家の設備に居心地悪く感じはしまいかと心配になってしまった。


NZは依然として私と同居人たちにとって住み易い国ではあるが、旅の疲れも取りきれないまま、NZ帰宅直後にやって来た外壁清掃&塗装業者の対応に追われる羽目となり、高圧洗浄によって全ての窓(木枠)から水が部屋に流れ込むのを拭き取って回らざるを得ない状況に振り回され、裏口やらガレージのドアを完全に塞いで足場を組んで行かれたりすると、「住んでいる人のことを考えろ!」「少しは頭を働かせたらどうだ?!」と怒り心頭に達してしまうのも、これまた事実である。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...