29.8.18

この冬3度目の風邪

先週の金曜朝から発熱と痰の絡む激しい咳のため寝込んでいた。

39度を越える熱が 3日続き、薬を飲んでようやく37度台に下がり、ホッとしたのもつかの間、またすぐに39度近くまで戻ってしまうというのをその後2日繰り返していたが、6日目にしてようやく平熱に戻り安堵した。

5日間食欲ゼロ。

金曜日には同居人Tがポキ丼を買って来てくれたが、やっとのことで半分食べて、翌日の昼に残りの半分を食べ終わり、その夜にはTがマクドナルドのフィッシュ バーガーを買って来てくれたが、それも半分でギブアップ。
何を食べても苦くてたまらなかった。

バーガーの残りの半分は翌日の夕食時に食べた。

この5日間で食べた物は、他には小さなピタパン1枚と、目玉焼き1つ、ソーセージ1本だけ。
口に入ったものが極端に少ない上に、強い薬を飲み続けて胃を悪くしたのだろう、嘔吐すること数回...

今回は厄介な風邪(多分インフルエンザ)だった。

Tは自身の具合も良くないのに、台所の洗い物もしっかり片付けてくれ、私が洗濯機を回したままでダウンしたら、洗濯物も全て干してくれ、食事の用意もしてくれたりと、よく気を利かせて働いてくれていた。(Hは金曜朝から日曜夜まで不在だったが、月曜日には、仕事から帰って来て、疲れた体で夕食の支度をしてくれた)

本当に有難いことだと感謝すると同時に、段々と年老いて、世話になることが多くなって来たことを心から申し訳なく、また情けなく思い、このまま身体が弱って行ったらお荷物になるだけだよなと、そんなことを考えていたら悔し涙が溢れて来た。
自分の身体なのに、自分の思い通りにならないことに無性に腹が立つようになった。

死ぬ間際まで元気でいなくては、周りがかわいそうな目にあうと、あと何年か、いや、ことに寄ったらあと何十年か、心に言い聞かせて生き続けなければならないのだなと、しみじみと思った。


... と、こんな話を書いていられるということは、峠を越したということで、今日は朝からご飯を炊き、それで卵雑炊を作り、一昨日辺りからだんだん調子が悪くなりだしたTの病人食を作ったりし、病気の間締め切っていた家中の窓を開けて空気を入れ替えたりしていた。


痰のからむ咳はまだなくならないが、もう薬を飲まなくとも大丈夫そうだ。



24.8.18

20年...

今年10月上旬、彼の人が居なくなってから20年目の記念日に、残った家族がここNZで揃うことになった。

20年か...

産まれたばかりの子が成人式を迎えるほどの長い期間をかけて、一体私は何をしてきたのだろうか...

彼の人の声をいまだにはっきりと思い出せるが、あの人の姿は20年前のままだ。
私だけ歳をとり、一昔前だったら立派に "お婆さん" と呼ばれているだろう年齢になってしまった。



昨日の朝、同居人Hのボーイフレンドがオランダ帰省から帰ってきた。早朝4時にオークランド空港に到着したため、全員風邪引きの我が家で1泊し、すっかり風邪をうつされたようだったが、満面の笑顔で今朝8時過ぎに家に戻って行った。
とても素朴で真面目で、腰が低く、非常に可愛い子だった。
(そういえば、彼の人も素朴で可愛い人だったなと心の中で思った)

Hが彼の身長を190cmくらいと言っていたので、「流石にダッチは大きいな」と常々話していたのだが、同居人Tと会った途端、190cm というのが全くもっていいかげんな推測だったことがわかり、T を"世界一長身な国から来たダッチよりも背の高い日本人" と言って皆で大笑いした。

彼はタイル職人である。
帰る前に彼の行った仕事を見せてもらったが、とてもセンスが良く、ただ単にタイルを貼るだけではなく、アクセントにモザイクを入れて「おっ!」と思わず目を見張る空間を作り出していたのには驚いた。単なるタイル工ではない。
付き合っている当人のHは彼の仕事にはあまり興味がないようなのだが、私は"職人"の仕事を見るのが何より好きなので、非常に興味深く、話を聞いているのが本当に楽しかった。

まだまだ聞きたいことがいっぱいある。


私も、誰に見せても恥ずかしくない家具を作らなくてはと、改めて思った日になった。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...