7.5.21

もし人生をやり直せるとしたら...

 急に寒くなって来たせいか、久々に風邪をひいた。

鼻風邪気味だなと思った翌日から、くしゃみと鼻水が止まらなくなり、目はうるうるし、頭痛もひどくなった。

味覚/嗅覚に異常は無く、熱も出ておらず、ここしばらくコロナの市中感染も報告されていないので、買い物に行ってコロナに感染した可能性はほぼないだろうと、ただ家で風邪薬を飲んで休んでいるのだが、一日中何もしないでグダグダしていると、時間の経つのが恐ろしく遅く思える。

時間を持て余してほうじ茶プリンを作ってみたり、飲むヨーグルトもどきを作って飲んだりしてみたが、すぐに終わってしまって、また手持ち無沙汰になり、ふと思い出した数年前の一時期の思い出を掘り起こしてみたりしていた。


『雲の上のお師匠さん』が言ったこと...
「もし人生をやり直せるとしても、自分はこれまで関わって来た人々も含め、歩んで来た通りの道を選ぶ...」

彼は紆余曲折はあったにせよ、総じて幸せに生きて来たんだろうなと思った。

私は今の状態がわかっていたら、絶対に同じ道は選ばない。
彼の人がこの世から居なくなる結末がわかっていたら、彼の人の人生に関わらない道を選ぶだろうし、もし幸運にも自分の出生まで戻れるとしたら、生まれてこない道を選ぶだろう。


だが、悲しいかな、人生はやり直せない。
自分の一度きりの人生なのに、自分でコントロールすることもできず、やり直すこともできず、おそらく生まれた時から決まっているレールの上を、ただ走らされているだけで終わるのだ。

聖書の エレミア書 10 章 23 節 には、地の人の道はその人に属していない... 自分の歩みを導くことさえ、歩んでいるその人に属しているのではないと書かれている。

神は人間に自由意志を与えられたと教わってきたが、人は自分の道を定めることができず、自分で自分の歩みを導くことができないほど愚かで無力な存在なのだ。そんな愚かな人間の "自由意志" が、他人を傷つけ、自分も傷つけ、不完全極まりないまま一生を終えることになる。

はぁ、難儀なことよ...





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