私だったら、泣いちゃって弾けないな...
29.12.18
笑える木工
20年以上前のことになるが、『笑う哲学者』土屋賢二氏の本を子供達に読むようにと勧めたことがある。特に何かにストレスを感じている時には、氏の本が特効薬となるに違いないと思ったからだ。
小難しい言葉を並べ立て、一部の人にしか理解できないような、読み始めた途端に頭の痛くなる(或いは眠くなる)ものを哲学だとしてきた人々からはおそらく顰蹙を買うに違いないが、土屋氏の何でも疑ってかかる姿勢というのは、物事を多角的に見、でき得る限り正確に理解する上で欠くことのできないものだと私は思っている。
氏は、物事を深く考えすぎていると言っても過言ではないほど真剣に(多分真剣に)、物事をああでもない、こうでもないと(又は、ああだこうだと)論じており、そのようにして考えれば考えるほど、問題としていたことがどうでもよくなってくる(真剣に考える価値が無いように思えるようになってくる)という面白い現象にはまり込んでしまうのだが、それはこの世で生きていく上で至極大切なことであるように、私には思えて仕方がないのだ。
さて、アトリエでの生活はと言うと...
私はこれまで "几帳面な物作り" を心掛けてきたが、綺麗にできているというだけでは何の面白味もなく、一旦生活の中に溶け込んでしまうと、全く気にならない存在になってしまうことに、最近気付いてしまった。
非の打ち所のない立派な家具よりも、見て「ふふっ」と笑えるようなものの方が存在感があるよなと、何故だか強く思ってしまった私は、狭いアトリエで邪魔で仕方がなかった激安扇風機のちゃちな足を、重量のある端切れ板(パープルハート)に取り替え、その安っぽさを全く損なわない仕上げにすることに成功した。
写真を撮って同居人たちに送ったところ、案の定ウケた。
同居人にウケただけではなく、アトリエに降りて行って、それを見る度に、自分でもあまりの安っぽさに思わず笑ってしまうのだが、見かけとは大きくかけ離れた使い心地の良さには非常に満足している。これまでのクロスの足は、扇風機が回るのに合わせてカタカタと音を出し、少々耳障りだったが、この板に替えてから、扇風機が付いていることを忘れるほど静かになった。しかも、板の色はみるみる変化し、今は完全な青紫色になっていて、何だか綺麗だ。
この小ぶりな錐は、穴を開けるのはもちろん、印を付けるのに最適で、思った以上に重宝している。
1年ほど前に買ったRecord No.50 のヒビ割れは、エポキシ グルーで取り敢えず接着し使っていたが、グルーがさほど強くはなかったため、溶接機を買うまでの間もたせるようにと、Loctite Quick Metal Glue を使って接着してみた。
多くの木工を楽しむ人々が、木製品で身の回り品を揃えるのを喜びとしているが、私は木製の食器やらレードルやらを使う習慣が無いので、そのようなものはほとんど作らず、上記のようなプラスチック ケースを使うことにも違和感はない。
歳をとるに連れて、"こだわり" というものがどんどん少なくなって来ているような気がする。
小難しい言葉を並べ立て、一部の人にしか理解できないような、読み始めた途端に頭の痛くなる(或いは眠くなる)ものを哲学だとしてきた人々からはおそらく顰蹙を買うに違いないが、土屋氏の何でも疑ってかかる姿勢というのは、物事を多角的に見、でき得る限り正確に理解する上で欠くことのできないものだと私は思っている。
氏は、物事を深く考えすぎていると言っても過言ではないほど真剣に(多分真剣に)、物事をああでもない、こうでもないと(又は、ああだこうだと)論じており、そのようにして考えれば考えるほど、問題としていたことがどうでもよくなってくる(真剣に考える価値が無いように思えるようになってくる)という面白い現象にはまり込んでしまうのだが、それはこの世で生きていく上で至極大切なことであるように、私には思えて仕方がないのだ。
さて、アトリエでの生活はと言うと...
私はこれまで "几帳面な物作り" を心掛けてきたが、綺麗にできているというだけでは何の面白味もなく、一旦生活の中に溶け込んでしまうと、全く気にならない存在になってしまうことに、最近気付いてしまった。
非の打ち所のない立派な家具よりも、見て「ふふっ」と笑えるようなものの方が存在感があるよなと、何故だか強く思ってしまった私は、狭いアトリエで邪魔で仕方がなかった激安扇風機のちゃちな足を、重量のある端切れ板(パープルハート)に取り替え、その安っぽさを全く損なわない仕上げにすることに成功した。
写真を撮って同居人たちに送ったところ、案の定ウケた。
同居人にウケただけではなく、アトリエに降りて行って、それを見る度に、自分でもあまりの安っぽさに思わず笑ってしまうのだが、見かけとは大きくかけ離れた使い心地の良さには非常に満足している。これまでのクロスの足は、扇風機が回るのに合わせてカタカタと音を出し、少々耳障りだったが、この板に替えてから、扇風機が付いていることを忘れるほど静かになった。しかも、板の色はみるみる変化し、今は完全な青紫色になっていて、何だか綺麗だ。
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父が使っていた4本の揉み錐は、柄が長く、狭い空間で穴を開けたい時に使うことができないという欠点があるため、短い柄の錐を探していた。
もちろん、新品ではなく、中古で質の良い物が出ていないかと探したのだが、この手のものは国内ではそう多く出品されることはないようで、欲しいと思ってから何ヶ月かかかってようやく手に入れたのは、Footprint の Bradawl 3本セットだった。
インターネット オークションで 3本 $14.00(+送料 $4.00)で落札した錐は、先がマイナス ドライバーのようになっていて、グルーと思われるものが付着していた。
マイナス ドライバーって錐として使えるのか???
私は "(私にとって)一般的な錐" が欲しかったので、ヤスリで四角錐に削り、柄の部分は剥がれかけていた塗装を削り落とした後、シェラックを塗っておいた。
この小ぶりな錐は、穴を開けるのはもちろん、印を付けるのに最適で、思った以上に重宝している。
1年ほど前に買ったRecord No.50 のヒビ割れは、エポキシ グルーで取り敢えず接着し使っていたが、グルーがさほど強くはなかったため、溶接機を買うまでの間もたせるようにと、Loctite Quick Metal Glue を使って接着してみた。
側面のヒビ割れ部分はほんのわずかのギャップしかなかったため、グルーがしっかり割れ目に入るのか疑問に思ったが、予想以上にしっかりとくっついたようで、一般に売られているエポキシ グルーなどよりは遥かに強く固定されたようだ。
ただ、1.5mm ほどのギャップに入れたグルーは2日経っても乾かなかった。
考えあぐねた末に、金属の削りかすを一緒に埋め込むという方法を取ったところ、功を奏したようで、これでしばらくは問題なく使えるだろうとホッとした。
今月買ったもののうち、使い勝手が良いものは、油を染み込ませた布を入れておく100均のケース。
椿油は工具類の錆を防ぐためのもので、アトリエで使用。
ホホバ オイルはキッチンに置き、和包丁の錆止めとして使っている。
この容器はサイズが丁度よく、開け閉めが楽で、蓋のストッパーもよく考えられた作りだ。
多くの木工を楽しむ人々が、木製品で身の回り品を揃えるのを喜びとしているが、私は木製の食器やらレードルやらを使う習慣が無いので、そのようなものはほとんど作らず、上記のようなプラスチック ケースを使うことにも違和感はない。
歳をとるに連れて、"こだわり" というものがどんどん少なくなって来ているような気がする。
18.12.18
2018年の師走
日中の最高気温が24℃にもなった今日、暑さのせいで身体がだるくてたまらなかった。
真夏でも30℃を越えることが滅多に無いNZに15年以上住んでいると、もう身体が一年中涼しい気候に順応してしまっているため、24℃でも暑く感じ、27℃を越えると『たまらなく暑い』という領域に入ってしまうのだ。慣れというのは恐ろしい...
同居人Tは先週いっぱいで今年の仕事を終えることになっていたのだが、今日も呼ばれたらしく、日当3万円を優に超える職場(とは言え、Tの職種では破格値=知り合い価格)に手慣れた作業をしに出掛けて行った。
Hは予定通り今週末に仕事納めとなるようで、クリスマスから年始にかけての休暇は、BFと国内の温泉地に旅行に行くらしい。真夏に硫黄の匂いしかしない温泉地旅行... ホテルが空いていたのだろうか?
ちなみに、Tは年明けに友達と日本に遊びに行くことになっており、HとBFは来年7月にそれぞれの故郷(日本とオランダ)に2人して2週間ずつ行くことになっている。HのBFは日本初上陸なため、物珍しいものだらけで、今から非常に楽しみにしているのだが、その楽しみの内の一つである "鯨を食べる" ことに関しては、Hは全く乗り気ではなく、鯨料理専門店はやめて、鯨肉も出る居酒屋の方がいいな... と、居酒屋探しをし始めた。
私は小学校の給食で鯨を食べさせられた世代であるが、給食だったせいか、美味しいと思った記憶など全く無く、鯨 = 「臭い」とか、「ボソボソ or モソモソ」とかいうイメージしか湧いてこない。T とHはおそらくこれまでに鯨を食べたことはないだろうが、日本のスーパーマーケットで売られていた鯨肉パックは見たことがある。見るからに血腥い感じがし、我が家ではレバー同様とても食べる気にはならないシロモノだ。
余談だが、NZで有名なベニソン(鹿肉)料理は、私たちにはどうしても『獣の味』という感じがしてダメだった。
先日、久々に一人で車を運転して食料品の買い出しに出かけた。
運転しながら、86歳を越えた母が最近車の運転をやめたと、日本に居る長男から連絡があったことを思い出していた。
長いこと無事故無違反で、買い物やら病院通いに毎日のように車を使っていたらしいので、運転をやめると決め、車を売り払ってしまったら、さぞかし不便になったことだろう。
私はたまにしか出かけないが、必要なものを買いに出かけるのに車が無いと非常に不便であることは確かで、私もその内母のようにシルバーカーを押して近場に買い物に出かけるくらいしかできなくなる日が確実に来るんだよなと思ったら、歳を取るのって残酷だよなと、更に強く思ってしまった。
シルバーカーを押して歩く時のために、足腰を鍛えておかなければならない。
長年膝の痛みを我慢し続けてきた母が、シルバーカーに支えられているとはいえ、歩いて買い物に行くことで更に痛みを悪化させはしまいかと、そちらの方が気になって仕方がない 2018年の年の瀬...
来年はどんなサプライズが待ち受けているのだろうか?
真夏でも30℃を越えることが滅多に無いNZに15年以上住んでいると、もう身体が一年中涼しい気候に順応してしまっているため、24℃でも暑く感じ、27℃を越えると『たまらなく暑い』という領域に入ってしまうのだ。慣れというのは恐ろしい...
同居人Tは先週いっぱいで今年の仕事を終えることになっていたのだが、今日も呼ばれたらしく、日当3万円を優に超える職場(とは言え、Tの職種では破格値=知り合い価格)に手慣れた作業をしに出掛けて行った。
Hは予定通り今週末に仕事納めとなるようで、クリスマスから年始にかけての休暇は、BFと国内の温泉地に旅行に行くらしい。真夏に硫黄の匂いしかしない温泉地旅行... ホテルが空いていたのだろうか?
ちなみに、Tは年明けに友達と日本に遊びに行くことになっており、HとBFは来年7月にそれぞれの故郷(日本とオランダ)に2人して2週間ずつ行くことになっている。HのBFは日本初上陸なため、物珍しいものだらけで、今から非常に楽しみにしているのだが、その楽しみの内の一つである "鯨を食べる" ことに関しては、Hは全く乗り気ではなく、鯨料理専門店はやめて、鯨肉も出る居酒屋の方がいいな... と、居酒屋探しをし始めた。
私は小学校の給食で鯨を食べさせられた世代であるが、給食だったせいか、美味しいと思った記憶など全く無く、鯨 = 「臭い」とか、「ボソボソ or モソモソ」とかいうイメージしか湧いてこない。T とHはおそらくこれまでに鯨を食べたことはないだろうが、日本のスーパーマーケットで売られていた鯨肉パックは見たことがある。見るからに血腥い感じがし、我が家ではレバー同様とても食べる気にはならないシロモノだ。
余談だが、NZで有名なベニソン(鹿肉)料理は、私たちにはどうしても『獣の味』という感じがしてダメだった。
先日、久々に一人で車を運転して食料品の買い出しに出かけた。
運転しながら、86歳を越えた母が最近車の運転をやめたと、日本に居る長男から連絡があったことを思い出していた。
長いこと無事故無違反で、買い物やら病院通いに毎日のように車を使っていたらしいので、運転をやめると決め、車を売り払ってしまったら、さぞかし不便になったことだろう。
私はたまにしか出かけないが、必要なものを買いに出かけるのに車が無いと非常に不便であることは確かで、私もその内母のようにシルバーカーを押して近場に買い物に出かけるくらいしかできなくなる日が確実に来るんだよなと思ったら、歳を取るのって残酷だよなと、更に強く思ってしまった。
シルバーカーを押して歩く時のために、足腰を鍛えておかなければならない。
長年膝の痛みを我慢し続けてきた母が、シルバーカーに支えられているとはいえ、歩いて買い物に行くことで更に痛みを悪化させはしまいかと、そちらの方が気になって仕方がない 2018年の年の瀬...
来年はどんなサプライズが待ち受けているのだろうか?
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