29.12.22

レスキュー ドッグ


 先日、スーパーマーケットに買い出しに行く用事があったので、ついでに H の家に届け物をして来た。届け物は、オンラインで肉専門店から買ったペット用の鶏切り落とし肉。ペット用と書いてあったが、もちろん人間が食べても全く問題ないグレードの肉である。


H たちは昨年レスキュー ドッグをもらい受け、1 年 2 ヶ月ほど一緒に住んでいるのだが、その犬が一匹だけではかわいそうだと、つい先日二匹目を飼うことにしたと、写真が送られて来ていた。
どちらも、オーストラリアン ケルピーと(何か)のミックスで、顔はほぼケルピーである。



写真左が生後 4 ヶ月ほどの子犬で、右は 1 歳半〜 2 歳というところだろうか。
右の J は引き取った時からとても大人しく、利発で、非常に育てやすかったと言っていたが、左の L は、まだ幼いせいか、人に飛びついて喜びを表し、軽く噛むことや、吠えることも、J に比べて多いようで、これからトレーニングを頑張る必要があるとのこと。

初めて会った私と T にもよく懐き、T の足元に身体をすり寄せて座る J と、その横で遊ぶ L ...

何の事情があって捨てられたのか分かるよしもないが、かわいそうな境遇だったことは間違いない。


数ヶ月前、ドッグ レースのドーピング問題が浮上したのを目にした。
レース ドッグに麻薬を与えていた関係者が摘発されたと記事には書かれていたが、全く持って許し難い行為である。
レース ドッグは薬物投与以外にも、酷使され、お金にならないとなったら使い捨てという、到底容認できるものではない扱いをされ続けている。

怪我をしリタイヤしたグレイハウンドの引き取り手を探すサイトもあるが、獣医の費用は恐ろしく高額で、なかなか引き取り手が見つからないのは容易に想像できる。

お金に目が眩んだ人間によって、完全に "道具" 扱いされ、無責任にただ捨てられるだけの犬たち...

賭博に動物を使うなと、憤りを露わにしている人も多いだろうに、未だに無くならないのは何故なのだろう?






26.12.22

「すごいね」の意味

 誰かが精魂込めて仕上げたものに対して、格別興味が無い場合、意気揚々とそれについて話す人に、姉は『すごいね』と言う。

この『すごいね』は、褒めているというよりも、『よくやるよ』の意味合いが強いことを、同居人 T はよくわかっているが、そうコメントされた本人は成し遂げたものをけなされたわけではなく、その労苦に対して相応の評価をしてもらったと解釈し、気分が悪くなることはない。

姉は、誰かが言った意見に対して納得はできないが、別にその事に対して興味も無いという場合には、「ほー、そうなんだ」と言うだけで、賛成でも反対でもない反応をすることが多い。
自分の気持ちに反して安易に相手に同意したりしない態度は、すこぶる強固なものであるのに、『いや、それは間違っている』と真正面から対決姿勢を剥き出しにして食ってかかることがないのは、八方美人なのではなく、ただただ『面倒臭い』からに他ならない。自分にはどうでもいい事に首を突っ込む(或いは関わる)気は更々無いねという意思表示のようなものなのだ。
実際、姉には『八方美人』的な部分が全く無い。
相手がどう考えていようが、自分に火の粉が降りかかりさえしなければどうでもいいことで、どのみちそのような人とは深いつながりを持つ気もないのだから、『勝手にどうぞ』という、ただそれだけのことで、作為も悪意も全く無い。


世の中には、他人の目ばかり気にして生活している人がいる。
特に日本ではそのような傾向が強く、"出る杭は打たれる" のを恐れて、周囲に同調する道を選ぶ人が、おそらく、他国よりも多いに違いない。
善悪に関係無く、周囲に同調する道を選ぶ人々に、『責任感』というものはあるのだろうか?
おそらく、あったとしても薄っぺらなものだろう。


姉は、徹底して、誰に対しても媚を売らない。
そのためか、非常にクールな人、悪く言えば冷たい人と取られることもあろうが、心根は優しく、面倒見の良い人なのである。

そんな姉が年老いた母の面倒を一人で担っていてくれるおかげで、私は何の心配も無く、こうして NZ で暮らしていられるのだ。

本当に有難いことである。


先日、日本に居る長男が私の母の所にプレゼントを持って行ってくれた。
義兄はコロナに感染してしまったのだが、母屋の二階に隔離されており、母は一日のほとんどを離れで過ごすようにしているとのこと。
姉の優れた判断/処理能力のおかげで、姉も母も感染することなく過ごせているようで安心した。(ちなみに、義兄はワクチン接種 5 回と、他の誰よりも多く接種していたのにも関わらず、感染したらしい)

LINE のオンライン ビデオ チャットで、気丈な母の姿も見れ、長いこと会っていない長男や、H の元気な顔も見ることができた。

同居人 T を除いては、髪を短く切り、ほぼグレイヘアになっている私を見ている者はいない。それぞれのスマートフォンの画面の中に映っている私を見つけるなり、一様に『オー!』と驚きの声を上げた家族たち... H のパートナー R に至っては、私が誰だか一瞬わからなかったらしく、画面を食い入るように眺め、その後のリアクションが誰よりも大きかった。

会話の最後の方にビデオ チャットに現れた姉の反応は、「オー、良いね! 良い感じに白髪になったじゃん! 長さもすごく良いよ!」と、想像を遥かに超えたものであった。

ここに書いたように、姉は決してお世辞を言う人ではないので、私は、この今の(自分では全く気にいっていない)髪型が似合っているのか?と非常に戸惑いを覚えた。


年始にパスポートの更新を控えている私。
姉が良いと言ってくれているこの髪型で、パスポート用の写真でも撮るとしようか...



余談だが、義兄の具合はどうかと尋ねた私に、姉は、「夕食のおでんに、『辛子が欲しい』と言ってきたから、大丈夫だら」と笑って言い、それに対して全員で大笑い...

食事は二階まで運ばず、階段の中ほどに置いて来る姉と、階段の中ほどまで取りに来る義兄の姿を想像し、皆で笑ったのは言うまでもない。



追記:
義兄からうつったのかどうか定かではないが、90 歳を超えた母が 26 日夕方から発熱し、コロナ陽性とのことで、自宅隔離しているとの連絡が入った。
食欲は無いが重症ではないとのこと。
姉はまだ症状が出ていないようだが、ずっと母の面倒を見てくれているので、完全に濃厚接触者だ。

悪化しないことをただただ祈るのみである。




5.12.22

クレーム(claim)ではなくコンプレイン(complain)

 苦情を申し立てることを、日本では『クレームをつける』と言うようになって久しいが、それは間違いである。

claim は(当然のこととして)要求する、請求する、返還を要求する、(要求によって)獲得する、(矛盾や異議があっても自信をもって)(...を)主張する、主張する、言い張る、引く、値する と定義されている。

complain は、不平を言う、愚痴をこぼす、泣き言を言う、訴える、苦情を言う などの意で使われるので、苦情を申し立てるという時には、こちらを使わなければならない。



さて、これまで幾度となく、様々な場面で "コンプレイン" して来た私だが、日本語でならまだしも、全て英語でなければならないというのは、今でもやはり気が重い。

スーパーマーケットのオンラインオーダーは、配達されたものに不足があったり、間違った商品が配達されたりするケースが驚くほど多く、ほとんど毎回のように連絡をしなければならず、心底うんざりしてしまった。特に間違いの多いのは Countdown Supermarket。どんなスタッフを雇っているんだ?スタッフにどんな教育をほどこしているんだ?と、開いた口が塞がらないほどひどい有り様である。
返金手続き完了の email を送ってもらえるかと聞くと、『もちろん送りますよ』と言っていたのにも関わらず、音沙汰無し...  きちんと返金手続きが取れているかどうかを再度オンライン上のチャットで確認し、返金確認 email は通常送られてこないものなのかと聞くと、通常送ることになっているが、最近何らかの不具合で送られていない事案もあったという... 全くの嘘である。1 年以上前から返金に関する通知は届いていない。

割引クーポンに釣られてオーダーしていたが、もううんざりだ。


最近シャンプー&リンス等を注文したオーストラリアの会社も、毎日のようにキャンペーンを打ち、これでもかというほどの email が送られて来てはいるが、配送に関しては誠にお粗末で、注文を受けて発送するまでに 1 週間以上かかった。しかも、発送したと通知は来たものの、荷物の追跡番号はそれから 5 日経っても送られて来ず、本当に送ったのかどうかと、疑いたくなるほどである。

もちろん、そちらにも苦情の email を送ってある。返事はすぐに来たものの、苦情を受けて作業の速度が早まったかというと、そうでもなさそうで、一体いつになったら届くのやら、という困り果てた状況...


中国の大手通販サイトでオーダーした物の内、幾つかは出荷したと通知が来たのに、初めから追跡不能のままで、私の注文した荷物は今どこにあるんだ?と、問い合わせをするに至った。
一社は追跡不能のままであるが輸送途中だと言い、期限内に届かなかったら返金するので問題ないはずだと返事をよこした。送ったかどうかもわからないものを、2 ヶ月半も待っていなければならないのか... イイカゲンにも程があると、腹が立った。

もう一社は、全く同じ状況でも対応がほんの少しだけマシだった。
「まことに申し訳ありません。こちらの手違いで、送られていない可能性があるので、再度このリンク先から注文してくれませんか」との返事だった。
リンク先を見てみると、商品金額 1 円としてあったが、送料と税金はしっかり取られるようになっていて、何で余分に支払わされるんだと、納得できなかったため、その旨書き連ねて、メッセージを送り返しておいたが、5 日経った今の段階で返事無し。
前回支払った分を返金した上で、お詫びとして最低金額でお送りしますというのならいざ知らず、再度注文する商品名も書かれていないオーダーを、払う必要のない追加料金まで払った上に、言われたままに発注するなどという、理不尽且つ危ないことは、できるわけはない。
きちんとしたオーダーでさえも満足に処理できないような部署が、内容の書かれていないオーダーを間違いなく処理できる保証などどこにもないではないか。
送っていなかったのなら、カスタマーサポートから再度送るよう指示を出せばいいだけの話だ。わざわざ面倒な方法を取る必要がどこにあるのだ?
道理に合わない方法で、顧客の手を煩わせて、わずかでも利益を得ようという姿勢は全くもっていただけない。

あぁ、面倒臭い...


少し前、しばらくぶりに日本に住む知人と FaceTime でチャットしたのだが、最近、どうしようもなく仕事ができない輩がやたらと多くいるように感じると言った私に、彼女は、日本でも全く同じだよと速攻で反応していたのを思い出した。

教育の質の低下?

一昨日観た日本のニュースで、静岡県裾野市にある保育園で園児を面白がって虐待していた保育士の話題を大きく取り上げていたが、何もわからない 1 歳児に対して何を要求したかったというのだろう? 刃物をチラつかせ脅したとも報道されていたが、1 歳児が刃物を怖がって言うことを聞くと考えること自体、間違ってやしないか?などと、私の中で?が点灯し、保育士の頭の程度を疑ってしまった。
保育士ではなく暴力団組員かと思えるほどのおぞましい行為を、何も考えることなく平然と行える大馬鹿者が、その園だけで 3 人もいたというから驚きだ。そういった報道を観ると、人間としての "質" の全体的低下を否めないように感じてしまう。


物事の善し悪しを考える能力を備えないまま成長した者に育てられる幼い子供たち...

そういえば、私の子供たちがまだ幼かった頃、近所に住む『幼稚園で働く "先生" 』と称する女性がやって来て、私の子供たちをその幼稚園に入園させるよう勧誘されたことがある。
その女性曰く、「子供たちが家に居たら日中何もできなくて邪魔でしょう。幼稚園に入れれば自由な自分の時間が持ててすごく楽になるわよ」とのことだったが、私は、「あなたは自分の子供を邪魔だと思いながら育ててるの? 私は子供たちを邪魔だと感じたことは一度も無いし、自分の子供さえ邪魔だと思うような "先生" に面倒をみてもらうつもりも更々無いので、お引き取りください」と、非常に不愉快だという意思表示をした上で追い返したのを思い出した。

保育士になる人の中には、子供が好きだからなったのではなく、ただの収入源としてしか考えていない人がいるのは想像がつく。しかも、子供相手なので、イイカゲンな扱いをしても、それが判明して訴えられる可能性は低いと考えている人もおそらくいるだろう。

子供がいたら邪魔だと考える人が、愛情込めて他人の子の面倒をみるだろうか? 答えは火を見るよりも明らかだ。

今日、そのような善悪の判断もできない保育士 3 名が逮捕されたとの報道があった。当然だろう。その極悪な行為を放置/隠蔽していた園長もまた、それ相応の処分を受けるべきである。


それら虐待行為を、何も理解できないまま頭に叩き込まれた園児たちは、この先どのように育っていくのだろうか...

考えただけで身の毛がよだつ。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...