Auckland, New Zealand の只今の時刻は午前0:37分。気温6℃... 寒い...
昨日の午後、次男の友人から電話が入り、お父様が癌に冒され、既に手の施しようもない状態にあることを知らされた。お父様は何度かこちらに遊びに来られたことがあり、その度に重たい手土産を持って我家に立ち寄ってくれ、一緒に食事をし、何時間も大笑いしながら話をしていたのを思い出して、「何てことだ...」と、ただただつぶやくことしかできなかった。
少し前、凍える夜に、i文庫で何十冊もの小説を読み漁っていた。
その中の一冊に、有島武郎の「運命と人」というのがあったのだが、そこに書かれていたことがふと頭の中に浮かんで、今夜それをもう一度読み返してしまった。
見たこともない『楽園』の存在を確信できる人は幸せだ。それを確信できない私は、昨日電話口で、その子が希望を持てるようなことを何一つ言ってあげられなかった。
昨日の午後、次男の友人から電話が入り、お父様が癌に冒され、既に手の施しようもない状態にあることを知らされた。お父様は何度かこちらに遊びに来られたことがあり、その度に重たい手土産を持って我家に立ち寄ってくれ、一緒に食事をし、何時間も大笑いしながら話をしていたのを思い出して、「何てことだ...」と、ただただつぶやくことしかできなかった。
少し前、凍える夜に、i文庫で何十冊もの小説を読み漁っていた。
その中の一冊に、有島武郎の「運命と人」というのがあったのだが、そこに書かれていたことがふと頭の中に浮かんで、今夜それをもう一度読み返してしまった。
・・・人間と云はず、生物が地上生活を始めるや否や、一として死に脅迫されないものはない。我等の間に醗酵した凡ての哲学は、それが信仰の形式を取るにせよ、実証の形式を取るにせよ、凡て人の心が「死」に対して惹起した反応に過ぎない。
我等は我等が意識する以上に本能のどん底から死を恐れているのだ。運命の我等を将て行かうとする所に、必死な尻ごみをしているのだ。・・・
見たこともない『楽園』の存在を確信できる人は幸せだ。それを確信できない私は、昨日電話口で、その子が希望を持てるようなことを何一つ言ってあげられなかった。
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