25.12.12

キリスト教国でクリスマス・イヴを過ごす

一昨日の夜、愛車が突然動かなくなった。
同居人の知り合いの修理工場に預けて原因を調べてもらうと、エンジンが逝ってしまったとのことで、運悪くクリスマス・イヴの昨日は修理工場は半日営業したものの、その後はクリスマス休暇に突入...

ということで、1月3日過ぎまでは小さな小さな 2-seater convertible のみが我家の足になった。



昨日は朝から夕方までブティックの仕事が入っていたので、同居人に店までチッコイ車で送ってもらい、店の奥の真っ暗な炊事場にある電気のメインスイッチを入れると、私の名前が書かれたプレゼントとグリーティングカードが置かれていて驚いた。粋なことをするものである。


イヴにはおそらく客もそう来ないだろうと見積もって、頂き物の iPad mini を持参し、冷房の効いた店内で読書三昧を決め込もうと思っていたのだが、客はチラホラとやって来て、客が居なくなったかと思うと周りの店の店員さんたちが油を売りに来たり、友達から電話が来たりと、読書に耽れる環境ではなく、読んだのはたった3ページほどだった。



読書はできなかったものの、iPad mini は今日も良い仕事をしてくれて、私がステンドグラス職人だというのを聞きつけた近くの店の店員さんが、ぜひ家にステンドグラスの窓を入れたいとやって来てくれた時には、これまで作った作品を見せるのに非常に役立った。




iPad mini のいいところは、それでいかにも"営業しています"というサイズではなく、明らかに自分の楽しみ用に持っていますというサイズなのに、画面は適度に大きく、写真はとても綺麗で、iPhone に入れた写真などとは全くもって比較にならないほど迫力が有り、説得力もあるところだ。

ステンドグラスの製品は高すぎるので、手を出せる人ばかりではないというのを重々承知しているため、私は営業目的で写真を見せることはないが、「これまでどんな仕事をしてたの?」と聞いて来る人や、手作りが好きだという人がいると、言葉で説明してもわからない場合が多いので写真を見せ、そして驚かれる。
作業途中の写真などは、この仕事がいかに大変かを伝えるいい手段だ。恐ろしく時間がかかり、危険でもあり、とても安価には手に入らないというのが、ほんの少しはわかってもらえるようになる。(実際に作業してみると、説明されて想像したよりも遥かに大変な作業だということがわかるようになるというのは、これまで教えた生徒さん全てが口にした言葉である)


このサンタたちはステンドグラス用のフリーの型紙を利用して作ったもので、売り物ではなくお世話になっているお寿司屋さんの奥さんへのプレゼントに作ったものだったが、「こういうのって、作るのにどれくらい時間がかかるんですか?」と聞かれ、「丸2日(朝9時頃から夜7時過ぎまで)かかりました」と答えたらえらく恐縮されてしまった。
自分でデザインをすればもっともっと時間がかかったが、今回は楽をしてデザイン時間無しなので、その程度しか時間がかからず、私としてはいとも簡単な作業だったよと笑って答えたものの、こんな丁寧な仕事をしていたら生活費など稼げるわけないよなと再確認もしてしまった。

Shop assistant の仕事は言葉の心配さえ無ければ楽な仕事である。
たまに非常識な客も来たりはするが、それでも大方は気の良いおばちゃんたちで、別にすごく困るという事も無い。
自分で経営しているのでなければ、売り上げを気にする事も無く、いつものようにニコニコ応対しているだけで日本円にして時給¥1,000以上の報酬を得られるのだ。
自営業の期間が長かったので、例え売り上げが少なくても決まった報酬を得られる勤め人というのは、気が楽でいいなとつくづく思った。

昨日は、全く親しいわけではない筋向かいの美容院を経営する女性(ロシア人)が、何故だか私にと言ってチョコレートとカレンダーとボールペンをプレゼントしてくれたのも大きな驚きだった。

彼女の店の外を通る度に手を振って挨拶してるのが気に入られたのかな?(笑)

また、毎度の事であるが、初めて会った日本人の女性から「あなた、全然日本人らしくありませんね」と言われ、話を始めると、今度は「あなた、どちらの出身?東京?... とてもきれいな日本語を話されるから、東京の方かと思いました」とも言われた。

そう言われてパッと頭に浮かんだのは、まだ長男が小学生だった頃の事...
友達と一緒におもちゃ屋に行った時、やはり今の私と同じように「あなたは東京から来たの?」と自分だけ聞かれたらしい。

その長男は、私の実家に行くと、慣れない方言を駆使して喋ろうとするので、私達は聞いていてとても違和感を覚えるのだが(笑)、普通に喋ると今度は私の両親やら姉やらがひどくよそよそしく感じるだろうなとも思えるし、難しいところである(笑)



16.12.12

公園の駐車場にて

最近急激に出掛ける事が多くなり、少し社交的にはなってきたものの、今朝目覚めてひどく疲労感を覚え、今日はどこにも出ず一日ずっと家に居ることにしようと決めた。

ここセントラル・オークランドはここ数日気持ち良く晴れている。日中はもう半袖一枚で充分な暖かさとなった。

近くの公園に来る寿司キャラバンの一家とはもうすっかり友達になり、最近そこによくランチを買いに来る Christmas Tree を運ぶ青年とも顔見知りになってしまい、先日寿司作りの助っ人を頼まれた時に、その青年から「アンタ、今日はここで働いてるんだ!」と驚かれた。
少々ラテン系の顔立ちのように思えるその青年は、一日に何度か大きなトラックでその公園にやって来るようで、顔を見る度に手を振って挨拶をして行く。
Christmas Tree は一日に200本以上も売れることがあるらしく、「大きい木は1本$50.00ほどするから、1日に$10,000.00以上の売り上げですよ... すごいですね」と、寿司屋の人は驚いていた。(本日のレートでは、日本円にして70万円以上)
季節ものなので、このクリスマス前の数週間しか稼げないものの、この数週間で一年分を稼げるとしたら、こんなにいい商売はないなと、傍で見ていると思ってしまうが... 実際はどうなんだろう?

『隣りの芝生は青く見える』

楽な商売なんてそうそうあるものではない。
Christmas Tree を育てるのにはまず広大な土地が必要で、何百本も育てるのには時間もお金もかかり、木を切るのに人を雇い、運ぶのに大きなトラックが必要になり、ガソリン代もハンパじゃなくかかり、木をトラックに積み込む人&運ぶ人を雇い、売る人を数人雇い、販売する場所代を払いなどしていれば、あっという間に多額の経費が飛んで行ってしまうのだ。そう考えると、「いい商売かな??」と疑問符が幾つも付いてくるようになる。


友達は7年間続けたベーカリーを先月手放した。それも、信じられないほど安い価格で手放したのだ。よほど資金繰りに困っているとしか考えられない。
母体であるインポート・ビジネスに支障をきたさなければいいのだが...

奇遇にも、苺売りのマフムートはそのベーカリーの持ち主だった私の友と20年来の知り合いだということで、時々ベーカリーに買いにも行っていたそうだが、彼がベーカリーを閉めた事はその時まで知らず、話を聞いてとても驚いていた。
「母体のビジネスは上手くいってるの?」と、やはりマフムートも案じていた。

皆一生懸命に生きている。
その人の行き着く先は『死』なのか『楽園』なのかわからないが、取りあえず皆、『今』を精一杯生きているのだなと思った。



6.12.12

深夜 イカ刺しを楽しむ

つい最近、家から車で5分ほどの桟橋でイカが釣れるというのを知った同居人は、毎晩のようにイカ釣りに出掛けるようになった。

イカ釣り初心者なので、深夜に釣りを楽しむアジアンのおじさんたちの中に入って、どのようにすれば釣れるのかを毎夜観察し、ついに昨晩、中ぐらいの大きさのイカを釣り上げてきた。
昨晩はもう一人の同居人が不在だったため、2人で食べるんだったら1杯で充分だなと思った同居人は、これだけ釣って帰って来たのだ。(欲深くない性格(笑))


釣り上げてから30分程度しか経っていないイカは、透き通っていてとても綺麗だ。

同居人は塩水でイカを洗い、内蔵を取り除き、皮を剥ぎなどして、超新鮮なイカ刺しを作ってくれた。

ちなみに、私自身もイカを捌いた経験はあるものの、イカの目にはからっきし弱く、あのギョロッとした目を見た瞬間 「ギャ〜〜ッ!! 」と持っていたイカを放り投げた過去を持つので、それをよく覚えている同居人は、言わずもがな、自分が捌く義務があることを承知していて、釣って、捌いて、後片付けまでしてくれた。



NZは潮の臭いがほとんどしないためか、釣り上げたイカもほとんど臭わず、こんなに美味しいイカ刺しは生まれて初めてだなと感動ものだった。


深夜、これ以上ないというほど新鮮なイカ刺しを食べながら、「こういうの、最高の暮らし方だよね」と、しみじみと話していた。



2.12.12

友達のサタデー・マーケット

昨日午前中に、友達の奥さんからぜひ来てねと言われていたサタデー・マーケットに行って来た。
マーケットと言っても、友達がインポートした商品を事務所&倉庫の駐車場で売っているというだけで、あとは野菜や果物、パンやピザ、サモサなどを外の窯で焼いていたり、コーヒーを飲めたりするくらいの、ごく個人的なマーケットである。

友達はイスラエリ。8年来の喧嘩友達。
そして、サモサを作って来たのはパレスティニアン(パレスチナ人)とロシアンのカップルだった。
私はそのパレスティニアンとサモサが焼ける間少し話をしていたのだが、私が日本から来たとArabicで言うと、彼は、「アラブ人は日本人をとても尊敬しているんだよ」と話し始めた。
その理由はとてもシンプルで、「日本はアラブに対して戦争を起こさなかった国だから」という、ただそれだけのこと... しかし、ただそれだけのことが非常に重要だと思えるような環境で暮らして来た(また、今でも暮らしている)人々のことを考えると、な〜んだ、それだけのことかとは笑い飛ばせなくなる。

パレスティニアンの彼がどうしてイスラエリと仕事をしているのか...、
聞いてはみなかったが、おそらくかなりな葛藤があったに違いない。反対する人が居なかったとは考え難い。現に、この国でもイスラエルの製品をボイコットしようという運動があったり、テニスのトーナメントに出場するイスラエル人選手に向かって、拡声器まで使って罵声を浴びせ、出場を辞退させようと目論む輩も出て来たりするほど、イスラエルに関わる全てを憎む人たちが存在するのだから。

しかし、Quranに照らし合わせてみれば、このサモサを持って来たパレスティニアンの行為の方が正しいのだ。(Surat Fussilat 41:34)私はそう解釈している。


友達が開いたこじんまりしたマーケットの雰囲気は温かく、私にとっては悪くない場所であった。

またサモサを買いに行こう。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...