6.6.14

何にでもケチを付けないと気が済まない人

久しぶりに遭遇した一昔前の典型的な日本人ボス(今もそういう人が多いのかもしれないが、10年以上前に日本を離れているので、現状が如何なものかわからない)は、目下の者がすること成すことにケチを付け、それが教育だと思い込んでいるフシがあって、あぁ、これでは誰もそこで長く仕事を続けようとは思わないだろうなと、彼が頻繁に求人広告を打たなくてはならない理由がよくわかった。

スタッフが頻繁に変わっている職場というのは、多くの場合、上に立つ者の技量の無さが原因であると断言できる。
各従業員の長所を最大限に引き出し、更に向上させるような環境を作るどころか、欠点を殊更強調し、気力を萎えさせ、終いには反発を覚えさせるほどに他人を扱き下ろすことを喜びとしている上司に、誰が好感を持ち、時給以上の働きをして喜ばせようと思うだろうか。そんな奇特な人は滅多に居ない。お金のためと割り切ってしばらく働いたとしても、バカにされ続けながら働き続ける忍耐力のある人はそうは居ないと、誰でも想像がつくだろう。

日本は『けなして教え込む』文化であるのに対し、西洋諸国の多くが『褒めて教える』文化であると聞いたことがある。なるほど、NZでは些細な事柄でもまず褒め、努力を要する場合には、「こうすれば更に良くなる」と付け加え、その人のやる気を引き出すという教育の仕方をよく目にする。
これは教育されている当人のみならず、周囲に居合わせる者たちにとっても気分の悪くならない方法で、無用な争い事を作らないという点でも優れているように私は思うのだが、どうもそのやり方は、権力を笠に着た日本人には好まれないらしい。
一旦権力を握ったボスが、愚かにも『威張り散らすのが権力者たる証』と、他の人の気持ちを微塵も推し量ることなく、言いたい放題、したい放題を働き、犠牲者をどんどん増やし続けているのである。
何と愚かなことよ…

同居人たちがそのような技量の狭い上司の下で働かないでいられることを、改めて心から嬉しいと思った一日であった。





0 件のコメント:

コメントを投稿

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...