裕福だと思われてくっついて来られるのと、貧乏だと思われて同情を示されるのとどちらがいい?
私はどちらも嫌だが、強いて言えば後者の方がまだマシかなと思っている。
同情を示されるのは見下されている感を拭えなくて苛立を覚えるけれども、同情を示す側の人は少なくともコバンザメの如く『美味しい汁を吸おう』と思っていないのは確かで、金銭的な醜さは裕福な人にまとわりつくのが大好きな人と比べるとほぼ無きに等しい。
裕福層にしか興味の無い人々の心は完全に金銭に蝕まれていて、実に醜く、浅はか極まりない。
金銭的に恵まれていた一時期に、どこからともなく寄って来た人々は、長い人生に於いて最も "どうでもいい" 存在の、己の欲だけを身にまとった強欲極まりない人間だった。
そのような吐き気を催す存在が目の前から消えたことは、何にも増して喜ばしいことであるが、まだマシな存在の『同情を寄せるのを喜びとしている』グループが、日々畳み掛けるように『プライドを捨てて私達の善意を受け入れなさい』と精神的に圧迫して来るのに対して眩暈を覚えるようになってしまった今日この頃である。
裕福なのも貧乏なのも精神的によろしくない。
私はどちらも嫌だが、強いて言えば後者の方がまだマシかなと思っている。
同情を示されるのは見下されている感を拭えなくて苛立を覚えるけれども、同情を示す側の人は少なくともコバンザメの如く『美味しい汁を吸おう』と思っていないのは確かで、金銭的な醜さは裕福な人にまとわりつくのが大好きな人と比べるとほぼ無きに等しい。
裕福層にしか興味の無い人々の心は完全に金銭に蝕まれていて、実に醜く、浅はか極まりない。
金銭的に恵まれていた一時期に、どこからともなく寄って来た人々は、長い人生に於いて最も "どうでもいい" 存在の、己の欲だけを身にまとった強欲極まりない人間だった。
そのような吐き気を催す存在が目の前から消えたことは、何にも増して喜ばしいことであるが、まだマシな存在の『同情を寄せるのを喜びとしている』グループが、日々畳み掛けるように『プライドを捨てて私達の善意を受け入れなさい』と精神的に圧迫して来るのに対して眩暈を覚えるようになってしまった今日この頃である。
裕福なのも貧乏なのも精神的によろしくない。
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