10.1.15

コリント人への第二の手紙 4章18節


「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠だからです。」

私はまた一人の親切心に溢れる人を寄せ付けないようにしてしまったのかも知れない。これは温かみのある木で作らずに、冷たいガラスで作った方がよかったのかなと、今になって思った。

今日の明け方早く、仕事用の Facebook pageに、ある特定な個人に向けてのメッセージを投稿した。今年に入って作った二つのハート型のオーナメントとともに。

ハートの形をしていれば心温まるものという概念を打ち消すかのような、かなりシビアな内容で、それを読んだ相手がどのような受けとり方をするのか、正直なところ予想がつかないでいるが、それは私に関する紛れもない真実で、誰にもどうすることもできない事実なのだ。

私は過去に縛られて生きているわけではない。私は現実に縛られて生きているのだ。過去から引き続いて永遠にどうにもならないような現実に縛られて生きているのだ。
過去にケリのついた事柄をいつまでもいつまでも穿り返して生きるような性格ではなく、1%も無いように見える可能性を捨て去ることができないで、必死にもがいているのが私なのだ。

私は望みを捨てていない。おそらくそれは最期に息を引き取る瞬間まで続くだろう。

見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠です… 


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