17.9.17

季節外れの大掃除

非常に中途半端な時期だが、訳あって家中で大掃除をしている真っ最中。

各自、持ち物の整理はもちろんのこと、家中の壁、天井、床を丹念に拭いて回っているため、恐ろしく時間がかかり、既に全員ヘトヘトになっている。

私の部屋から出る大量のゴミは、領収書だの銀行の statement(入出金明細書)だのといった紙類が主で、数年前のものは全てシュレッダーにかけて捨てるようにしたのだが、シュレッダーの容量が少なく、すぐにケースがいっぱいになってしまうのに加え、オーバーヒートで数十分使えなくなってしまい、面倒なことこの上ない。
ここ数年は銀行の statement はPDFで保存するだけになっているので、パソコンの容量は減っても目に見えるゴミとはならず、文明の利器に助けられていると言わざるを得ないなと、ついつい思ってしまった。

そういえば、日本の銀行には『通帳』というものが存在していたが、今でも変わっていないのだろうか? この国にはそのようなものはなく、ハワイの銀行にも無かった。あれは日本独自のものなのだろうか?
よくよく考えてみれば、毎月 statement を送って来るよりも、その場で通帳に記載するだけのシステムの方が遥かに合理的で、銀行側には大きな経費(statement +封書の紙代、印刷代及び送料)の節約となり、顧客側には大量の紙類を保管しておく必要が無いというメリットがある。

*日本の銀行はそのようにして必要最低限な経費しかかけていないのにも関わらず、預金しても雀の涙ほどの利息しか付けず、更には営業時間外(土日祝日含む)にATMで "自分の口座" に預金する際にも手数料を搾取するという、とんでもなく強欲な面を恥ずかし気も無く晒している。それら手数料の総額は利息を遥かに上回っているはずだ。海外ではそのような悪徳商売をしたらすぐに利用者が居なくなり、潰れるに違いない。

十数年前には使っていた辞書(本)だの、電子辞書だのというものは、携帯電話に翻訳ソフトを入れてから全く出番はない。また、その翻訳ソフトも最近ではほとんど使わなくなっている。

数年前までは使っていた小型のデジカメ... 捨てるのは惜しい気がしないでもないが、保管しておいてもおそらく二度と使わないだろうし、捨てるしか無いんだろうな...  と、片付けながらため息が出てしまう。

辞書以外にも本がワンサカある。それらも場所を取っている物の内の一つだ。
背の高い本棚の約 1/3 を占領している料理本のほとんどは日本から持って来たものだが、中東料理からメキシカン、パン作り、お菓子作りの本等々、バラエティに富んでいて、それら全てを作るわけではないのに、どうしたものか捨てられない。
また、仕事柄アート/デザイン関係の書籍も多く、それらもまた捨てられずに手元に残っている上に、木工関係の本も増え続けているという始末。

部屋には洋裁の職業用ミシン、ロックミシンに加え、彼の人が25年ほど前に買ってくれた(当時40万円もした)刺繍機能付きのミシンがあるのだが、それはコンピュータが逝かれてしまっているようで、今は動いていない。(使えなくても捨てることができないし、今のところ使うアテが無いので修理に出す気にもならないでいる)
布は衣装ケース3杯分ほどあり、皮革は衣装ケース1杯分ある。これらも明らかに部屋を狭くしていると言わざるを得ない。

洋裁、ガラス工芸、木工、そして料理... 出来ることが多くなるのは良い事だが、多くの人が必要としない数々の物に囲まれて生活しなければならなくなるというマイナス面を、掃除をする度に痛感することになるのだ。

はぁ... 溜息が出る...

あともう少し...
そう自分に言い聞かせ、鞭打つ毎日...


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