25.5.23

目に見えない者の力

家族以外の誰とも会わず、誰とも電話連絡も取らず、極々平穏な日常... 

朝起きてバスルームに行き、歯を磨き、顔を洗い、髪をとかしなどし、各部屋のカーテンを開けて回り、ベッドルームに戻って身支度を済ませると、キッチンに行きコーヒーをいれ始める。
コーヒーをいれている間に、私専用の朝食用 "オーツご飯" を作る(ロールド オーツ1/4カップに同量の水を加え、マイクロウェーブに 2 分かけただけの超簡単朝食)。

同居人 T が起きて来るまでの間、ふりかけをかけただけのオーツご飯を食べながら、カウチで一日遅れの日本のニュースを観、サブスクライブしている YouTube チャンネルで、興味のあるものだけを観る。

T が起きて来る頃には朝食の準備が整っているよう、手間や時間の掛かる料理は 9 割方済ませておくこともあるが、前夕食の残り物を添える時には、T が起きてからソーセージを焼いたり、卵を焼いたり、果物を切ったりするだけで、(T が出勤の必要のある仕事の時以外はお弁当の支度も無く)何の気負いも無い静かな朝...

食事を終え、洗い物を済ませると、次に作る予定の物(木工)について考え始める。
測ったサイズを基に、デザインをどうしようか、強度は十分か等々、何度も何度も考え直してみる。(デザインの段階で何日も決まらず、実際の作業になかなか入れないでいる今日この頃)

次の食事の支度までの間、プラントの世話をしたり、VR でテニスをしたり、結構色々なことをしているのだが、押し並べて、何の変哲もない日々だ。


そんな、ほとんど外に出かけることもなく、知り合いとも連絡を取り合わない私のもとに、ある日突然、ひょっこりと顔見知りが現れ、その日一日が、或いはその後の日々が、何か別の者の意図によって動かされているかのように思えてしまうことがある。
私の言う別の者というのは、実在する人物ではなく、目に見えない者という意味である。


ステンドグラスの仕事をしていた時には、行きつけのガラス屋さんのオーナーが、何の前触れもなくタジオに現れたり、つい先日はステンドグラス教室を受講してくれていた I さんが、お土産を持って顔を見せに来てくれたりし、あまりに久しぶりで驚いたものだが、昨日は尚一層驚きを隠すことができない相手が、玄関ドアをノックした。

我が家の誰も、予想だにしていなかった来客...

夏の間、近くの公園で苺を売っている顔見知りのトルコ人が家に来ることなど、考えてみたこともなかった私は、玄関に立っている彼を見て、一瞬『誰?』と思ってしまった。
(私はコロナが蔓延してからというもの、少なくとも直近  2 年はその公園に買いに行ってはいない)

呆気にとられたような顔をしていたであろう私に向かって、穏やかな笑顔を見せながら、'Konnichiwa' と言った M に、私は心臓が止まるかと思えるほど驚き、私の驚き具合を笑いながら、持っていた大きな胡桃がいっぱい入った袋を私に手渡した M...
「ずっと顔を見ていなかったけど、元気? 大丈夫?」と、折に触れて私の身を案じてくれていたのが伝わって来た。



M とは同い年...
お互い、しばらく顔を見ていないと、病気でもしていないか、まだ健在であるかと心配になるような歳なのだということを、お互いの風貌からも十分察することができるようになっている。


M は私のことをずっと "友達" と言っていたが、私は彼の電話番号も知らず、家の住所も知らず、そもそも、名前は知っているものの、苗字は知らないという、6 年来?(もしかしたらそれ以上)そんな "友達" であったのだが、家を訪れるというのは、少しは "友達" に近づいたのかも知れないなと、そんなつまらないことを考えたら、何だか笑えて来た。

玄関口でのほんの数分の会話だけで、笑顔で帰って行った M を外まで見送るでもなく、姿が見えなくなるとドアを閉めた。
普段私は、必ず車が停めてある所まで出て、車が見えなくなるまで手を振って見送るのが常だが、昨日そうしなかったのは、近所で商売をしている彼に事実でない噂が立つのを防ぐためだった。
せっかく来てくれたのに、飛び込みで来たセールスの人に対するのと同じような扱いで、本当に申し訳なかったなと、心が痛んだ。



後になって、彼は口髭を剃り落としていたことに気が付いた。
あぁ、だから一瞬誰だかわからなかったんだ... 口髭がよく似合っていたのに、どうして剃り落としてしまったんだろう?何か大きな変化があったのかな?と、夜になって少し心配になって来た。

心配になっても、私には連絡する術が無い。

電話番号を聞いたとしても、おそらくこちらから連絡することはないだろうし、何かあったのかと、もし聞いたとしても、私が解決できることなどほとんど無いだろうことを想像すると、私にできることは、ただ心身共に元気でいるようにと祈ることだけだ。

目に見えない力によって、現状から何らかの変化をもたらすよう意図されたことだったとしたら、私が何か事を起こさなくともそうなるようになっているはずだ。

願わくば、その変化によって誰も傷つくことなく、誰も悲しむことなく、明るい未来に繋がるようにと、心から祈るばかりである。





0 件のコメント:

コメントを投稿

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...