28.5.24

初 WISE での送金

少し前から観出したある YouTube チャンネルで WISE のことを詳しく説明してくれていた。

口座開設から送金、着金までの流れがよくわかり、その YouTuber のみならず、多くの人が利用していることを知って、危険性はまずないだろうと思うに至った。

よりによって、為替レートのすこぶる悪い日に当たってしまったが、緊急に送金を実行。
何より嬉しいのは、為替レートの公示価格に上乗せが無く、取扱手数料も非常に良心的だという点だったが、加えて、着金の際に受け取り銀行側が手数料 $15.00 をチャージしておらず、更にお得感が増した結果となった。

ワイズの口座にお金を振り込んだのが午前 11:30 頃。銀行間で処理された時間がその都度確認でき、最終的に NZ の自分の銀行口座に着金したのがその日の 14:59 という、予想を遥かに超えた速さで、無事全ての手続きが完了した。

これからは、誰の手も煩わせることなく、自分で簡単に送金手続きが取れる。
WISE を取り上げてくれた YouuTuber に心から感謝するのみである。


26.5.24

従姉妹の死

 今年 3 月、亡き父の誕生日に、九州に住んでいた父方の叔父(父の一番下の弟)が食道癌で亡くなったと知らせを受けた。叔父は母よりも 10 歳年下で、急の知らせに母が一番驚いた様子だった。

叔父は貧しい家に産まれたものの、頭脳明晰で、奨学金を受け東北大学工学部に入学。そして主席で卒業したとのこと。その後は新日本製鉄に入社し、必死で語学を学び、様々な国に単身で技術提携に行っていた時期もあった。
日本に帰って来ると、次は工場長の職が待っていて、エリートコースにしっかり乗ったかのような人生を歩んでいたが、退職後は、難病に冒され植物状態となってしまった妻の世話を、文句も言わず 15 年に渡り一人で行い、妻が亡くなって数年後に、自分自身の命も尽きてしまったのだ。

叔父がどれだけ勉強家であったかは、使っていた英語の辞書を見るだけでよくわかった。
その、表紙がボロボロになった辞書の全てのページ、全ての単語に赤線が引かれ、確かに覚えた単語は塗り潰されていたのだ。貧しかったが故に、一冊の辞書はとても貴重で、その辞書を何度も何度も繰り返し勉強することしかできなかったのだろう。

私なんぞは、そこまでの根性も勉強に対する情熱も無く、持っている辞書は売りに出せるほど綺麗なままだ。


そんな叔父の最期から 2 ヶ月半が経ち、今度は私と同い年の従姉妹が、(奇しくも私の誕生日当日に)大動脈解離で亡くなったと、母から LINE を通して知らせが入った。

従姉妹とは同じ高校に通っていたにも関わらず、特に仲が良かったわけでもなく(仲が悪かったわけではないが)、いつも一緒にいる仲間というわけではなかった。
私の父の葬儀にも参列してくれていたが、一瞬挨拶を交わしただけで、昔話に花を咲かせるでもなく、近況報告するでもなく、他の従姉妹の方が多く話をしていたほどだった。

そんな、ただ血の繋がった親族というだけだったような存在だが、同い年の従姉妹が亡くなったというのはやはりショックで、数えるほどしかない、その子と一緒の空間に居たシーンが幾度となく蘇ってきて、訃報を聞いた夜はなかなか寝付くことができなかった。


人の一生というのは予測できるものではない。
自分の人生なのに、自分ではどうにもできないことに振り回され、歯痒く、口惜しい思いをし続けて一生を終えることになる人を、神はそれで良しとしているのかと、苛立ちを覚えたことは数知れず...

私が学んだ聖書に描かれている神は、全知全能であるのにも関わらず、何故人間の従順さを試さなくてはならないのか...  
人間の心の中まで見透かせる能力を持っているのなら、わざわざ "試す" 必要がどうしてあろうか...


10 代、あるいは 10 歳以下から片親だけで育った私の子供たちは、思いやりのある大人になった。
それを心からありがたく思いながらも、時々ふと、『私は産まれて来なければよかった』という思いが頭をよぎる。子供達を産んでおきながら、甚だ不謹慎な話だ。

私がこの世に産まれて来ていなかったら、彼の人に出会うこともなく、彼の人の人生もあんなに早く終わっていなかったかも知れないと、どうしても考えてしまうのだ。

もう誰とも関わりを持ちたくない。誰の運命にも関係したくない。
誰の運命も左右することなく、人生を終えたい。

彼の人を失ってからというもの、私の神への疑問は増大するばかりで、それこそ神への冒涜だと、熱心な信者からは非難されるに違いない。

この世に産まれる前のことも、死んだ後のことも、今生きている世に於いてはわかる術もない。

何の為に生まれてきて、何のために生きているのか、真の答えを出せる人などいるはずはない。答えを出せる人がいたとしても、それは完全なるその人の "勝手な思い込み" 以外の何物でもないだろうなどと、世の中の敬虔な信者たちから顰蹙を買うようなことを頭の中で思い巡らし、結局何の答えも見出せないまま、私はこの世から消えていくことになるのだろう。

その最期の日がいつ来るのかも、全く予想できず、ほぼ当たらないだろうと思いつつ買っているロトに、思いとは裏腹の大きな期待を抱いて生活するしかない現状...

同い年の従姉妹は死んでしまったのに、私はまだ生きている。病院にかかることもなく...





19.5.24

老化防止策



先日コスコに買い物に行った折り、棚の上からベーキング ソーダを取ろうとしたが、力が入らず、きっちりと詰まった中から抜き出すことができなかった。


また、スパゲッティも重くて取れず、いつも一緒に行ってくれる T に全部頼まなければならない羽目になった。

かつては業務用の冷蔵庫を一人で動かし、キッチンの模様替えをしていたような私なので、たとえ 6kg 強のベーキング ソーダであろうが、500g x 8 袋 = 4kg のパスタであろうが、単独で置いてあれば片手でも何とか持ち上げられるが、ぎっしりと詰めこまれた中から引き出すことはできず、コスコに行って、年老いて腕力が著しく衰えてしまったことを実感することとなってしまった。

歩きに行った方がいいかな...

最近よくそう思うのだが、毎日歩いて仕事に出ていた大家さんの奥さんも、かつて、健康のためにと雨の日以外は歩きに行っていた私の母も、膝をひどく痛めてしまったことを考えると、歩きに出ることを躊躇ってしまうのだ。


色々なところが衰えて来てはいるものの、長時間出歩くこともなく、長時間立ちっぱなしで作業することもなくなってきている私の膝は、まだ健在のように見える。

スーパーマーケットやら、コスコに行く以外出歩かない。そんな、月に数回しか出かけることのない私の老化防止策は、VR のみと言っても過言ではないだろう。

家に居ながらにして、反射神経、膝、腕、肩等の関節をそこそこ鍛えられるという、年寄りにはもってこいの "運動器具" で、場所を取る高価で大きなマシンも要らず、腕を振り回してぶつかる物がない程度のスペースがあればできるのである。

一つの運動だけでは飽きてしまう私は、いつも First Parson Tennis(テニス)、Beat Saber、FITXR(ボクシング)、を数分ずつ交代でやっているが、息が上がるのは Beat Saber とボクシングで、テニスはただ楽しみでやっているという感じである。それでもアーケードゲームはアドバンスでランク 1 位を取れる。汗だくで、息も絶え絶えにやっているボクシングでも、スコアは 1 位か 2 位をキープしているので、まだボケてはいないようだと安心する。

初めて VR を手にした時には、1 時間近く遊んでも体がついていけたのだが、しばらく VR をサボり久々にやってみると、ボクシング 10 分がかなりキツくなっていて、特に足がヘロヘロになり、呼吸数が異常に多くなり、まずいかな...と思うほどの状態になってしまっていた。

もちろん、止めようと思えばいつでも止められる。(死ぬかなと思えるほど無理をするものではない)
若い頃、一斉に同じことをするよう強要された体育の時間と違い、自分のその時点での限界以上に頑張る必要などなく、自分でコントロールしながら行えるというのは、老体にはもってこいだ。

とは言っても、せっかくこの自然の美しい NZ に住んでいるのだから、時々は外に出かけて、自然に触れる機会をもう少し多く作った方がいいかも知れない。


あぁ、でも一人で始めたら、絶対に長続きしないだろうな...




18.5.24

子供が出て行った大家さん宅

大家さんの家は我が家の隣にあり、息子さんたちが住んでいた頃は彼らの友達が度々出入りし、常に賑やかな雰囲気だったが、2 人の息子さんが結婚し、市内の他の場所にそれぞれ家を買って引っ越してしまったようで、最近は夫婦 2 人だけで、非常にひっそりとした家になってしまった。

大家さんのご主人は数年前にパーキンソン病を発症し、手の震えから始まり、最近では歩行も困難になって来ているようで、小刻みにしか足を踏み出せなくなっている様子を見ると、何だか痛々しく、息子さんたちが出て行った事へのストレスがだいぶ大きいのだろうなと、察する次第である。

大家さんは、最近事あるごとにやって来ては T に色々仕事を頼むようになった。
多分、彼のパーキンソン病の症状が悪化して来ているためだろうが、庭木の剪定やら草取りやらは、いつの間にか T と私の仕事になってしまっている。
結構な金額の家賃を払っているのに、本来は大家さんが(業者に頼むなりして)やるべき作業を、文句も言わず引き受ける T を大家さんは大層気に入っていて、"自分の息子同様に" 扱うのは、高額な家賃を支払いキツキツな生活を余儀なくされている身としては決して喜ばしいことではないのだが、他に引っ越すのに適した場所も家も無く、仕方なく受け入れるしかない状態でいる。

そんな大家さんが、最近家財を売りに出すようになった。

奥さんに引っ越しを考えているのか尋ねると、「息子たちが出て行って、夫婦二人には家が広過ぎ、夫も歩行が困難になって来ている上に、自分自身も膝を痛めていて、二階への登り降りが苦痛になっている」とのこと。35 年以上も住んでいる家で、他に移るのは非常に残念だけれども、こんな状態なので、階段の無い平屋で良いところを探していると... それに、息子たちと住めば嫁とのいざこざも皆無とは言えなくなり、面倒なので二人で暮らしたいとのことだった。

歳が多くなってくると、健康問題は生きていく上での大きな障害となる。
生まれてからこのかたお金には困らない生活を送り続けてきただろう大家さん夫婦も、健康でなければその優雅な生活を維持できないのだ。

だがしかし、この安全と言われている地域から他に移るのは至難の業だろう。


近年、地震やそれに伴う津波、大洪水による甚大な被害やら、竜巻による大惨事等々、天災と呼ばれる類のものが世界各地で頻発している。

地震や竜巻に関しては、どの地域に住んでいようが、直撃されたらお終いだ。だが、津波、大洪水に関しては、免れることが可能な場所が確実にある。

通常海岸沿いの家は高級住宅地とされていて、ここ NZ も例外ではないが、津波はもとより、大雨と満潮時が重なったら悲惨なことになる可能性は大で、現にミッションベイ(タマキ ドライブ)などでは、私が知る限りでも数回浸水の被害が出ている。

山を背にして建っている家は地滑りによる被害が想定される場合があり、その山(丘)の上に建っている家は崖崩れで自分の敷地の一部が崩落してしまう危険性が否定できない。

昨年 1 月、豪雨に見舞われたここオークランドでは、超高級と言われているエリアでさえも、死者を出すほどの被害があった。
海、河川の近辺やら、低い土地、或いは切り立った崖の上/下に家を構えるのはリスクが大きいことを、多くの人は嫌というほど思い知らされたわけだが、喉元過ぎれば熱さを忘れる人々は、過去に崖崩れが起こっていた地域に、何の対策も施さないまま、新しく住宅を建設していたという事例が報道され、その全くもって愚かな判断が、おそらくこの先も繰り返されて行くに違いない。
しっかりした対策が取られないのは、ひとえに金銭が絡んでいるからに他ならない。
この先起こるかどうかわからない天災を考慮に入れた上で、人命重視の対策を取るかどうか...
思慮深さが試されるところだ。


急坂の多いオークランド。家が高台に建ってはいても、斜面に沿って建てられている場合は、駐車場もしくは階下に水が流れ込むことも懸念される。

また、天災の被害以外でも、車の出し入れが大きなストレスとなるほど急なドライブウェイを下った先に家があるという場合がある。かつて、T の台湾人の友達がそのような所に家を買ったことがあったが、大きな荷物の搬入時には運送の車が家の前まで入れず(下ることはできるが、下ったら最後、大きなトラックは自力で登ることが不可能と思えるほどの急坂)、大きな荷物を歩いて運ばなければならなかったという、笑えない話を聞いた時には、そんな所は絶対にゴメンだなと思った。しばらくしてその友達は別の場所に家を買い、その家は売った。
そのように恐ろしく急な坂の下にある家というのは、T の友達が以前買った家のみならず、至る所に見られる。そのような場所にある家を買う人がいるということ自体が驚きである。

様々な可能性を想定して、"どこに住んでいたとしても免られない災害" を除けば比較的安全という地域の一つである(今住んでいる)ここは、他と比べて犯罪も少なく、物騒な事件も、私たちが住み始めてからこれまで起こってはいない。
大家さんたちは、そんな地域から、どこに引っ越そうと考えているのだろうか?

引っ越してしまったら、おそらく今の家は売るのではなく、借家とするに違いない。
これから少なからず色々なことが変わって行くのだろう。

この先も平穏でいられることを、ただただ願うのみである。




8.5.24

在留証明書をもらいに領事館へ...

珍しく、日本年金機構から現況届の用紙が届いた。多分初めてか、あっても過去一回届いた事があったかどうかという程度の朧げな記憶しかないほど、滅多に届かない通知である。

いつも通知が届かないので、『現況届未着』と書き添えた上で在留証明書を送付していたのだ。

領事館での申請には、住所が証明できる書類と、日本の年金事務所から送られてきた私の住所が書かれた封書を提出するだけでこれまでは事足りていたのだが、今回はスタッフが変わったせいか、申請書、現況届用紙、年金事務所から送られてきた封書等を揃えて出してから数十分後になって、今度はパスポートを出せと...
パスポートは持っていないが、NZ の運転免許証は持っていると言うと、窓口の職員は渋々受け取り、次にはパスポートを持って来るようにと冷たく言われた。
そして、それから待つこと更に数十分...

私の後から何らかの申請に現れた人々は、全て要件を済ませて帰ったというのに、私は誰もいなくなった部屋でずっと待たされ、 1 時間近く経ってようやく名前を呼ばれた。
時間がかかったことを詫びるでもなく、『次からはパスポートを持って来てください』と、完全な上から目線で、ニヤリと笑いながら、在留証明書と提出した書類を渡す職員を見て、無性に腹立たしくなった。

私が書いた在留証明申請書を本人確認して、ただハンコを押すだけの作業が、そんなに難しいか?
しかも今回はきちんと、日本から届いた "現況届" まで提出し、その現況届には日本語での氏名表記まであるのに、それと同じ日本語名が書かれている申請書を提出したことに何か不備があるとでもいうのだろうか?

私が部屋に入って直ぐに、二人組の日本人男性が窓口に行き、(多分)地位のある人に面会を求めていた。
窓口の女性職員は、初めはアポイントがあるかどうかを尋ね、無ければ面会はできないと言っていたが、男性たちが email でのやり取りがある旨を告げると、部屋の奥に入って行き、間もなく背の高いショートヘアの女性が現れた。
その背の高い女性職員と来客の男性たちとの面談(歓談)は 30 分以上にも及び、男性たちは帰りがけに手土産と思しき物を女性職員に手渡した。

「日本人らしいな... でも、国家公務員って、ギフトを受け取っていいんだっけ?」と、一緒にいた T が私に言った。
中身が何にしろ(だだの菓子折りか、金品/賄賂だったのか知る由もないが)、公的な立場にある人が、ましてや職場で何がしかを受け取るのは相応しくないように思えて仕方がない。

もしかしたら、その女性職員が私の申請書に目を通すことになっていたせいで、手続きが遅れていたのかと勘繰れなくもないねと、長時間待たされて非常に不機嫌になってしまった私は、車を停めてある "心臓破りの坂" の上を目指して、息も絶え絶えに、カタツムリのようなスピードで登って行かざるを得なく、領事館に足を運ぶのはもうウンザリだと心底思った。

オークランドの市中、メイン通りは、多くもない歩行者のために歩道を広げ、片側 1 車線のみの車道に縮小されているのに加え、一般車の乗り入れ禁止区間を不明に作り、全くもって意味不明な道路の作りとなってしまっていた。

一体何をしたいのか、何を目的に変革したのか、さっぱりわからないという、多くの市民の怒りの声は全く聞き届けられていない現状である。


余談ではあるが、ここ NZ には、首都ウェリントン、クライストチャーチ、オークランドの 3 箇所にしか日本国大使館又は領事館は無く、大使館/領事館から遠く離れている地域に暮らす人々は、お金も時間もかけて遠路遥々出向かなくてはならないことを考えると、私はまだ恵まれている環境だと言えるが、遠路遥々出向いてあのような "親方日の丸" な対応をされたら、更に腹が立つことだろう。




「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...