19.8.24

ニウエ の物価

 H 達は 1 週間の観光を終え、無事 NZ に帰って来た。

食事は美味しかったが、食べ物の選択肢はあまり無く、毎日ほぼ同じ物ばかりを食べざるを得なく、いささか飽きたとのこと。

外食は高くつくので、自炊をしようと思っても、スーパーマーケットに並んだ商品の大半が NZ からの輸入品で、価格は裕に倍を超え、普通のチーズは 2kg $56 (現在のレートで約 ¥5,000)、ワインは NZ の 2 倍となり、キャベツ半分で $14 (約 ¥1,250)、レタス $11 (¥1,000 弱)、きゅうり $13 (多分 1 本で ¥1,200 弱)と、自分で栽培しなければ生活していけそうもない驚きの価格となっていたようだ。

(何故パンが外に出された棚に陳列されているのだろう?すぐにカビてしまいそうじゃないか...)

また、ニウエ最後の夜はフライドチキン屋に行こうと思ったのだが、小麦粉が島にもう残っていないから作れないとのことで断念したと言うのを聞いて、小麦粉も島で生産できないんだと、想像以上の不便さに私は度肝を抜かれた。

貨物船が着くポートはあるものの、船は月に 1 回しか来ず、荷物が届いた直後は(べらぼうな値段だとしても)一応商品はあるが、次の荷が入る前にストックが底をついてしまっているという状況...

ニウエに移住するとなったら、日本の昭和時代にさして裕福ではない家庭に育ったような生活を想定しないとならないのではないかと、私の幼少期の光景を思い出してしまった。

H は宿の Wi-Fi に繋げたものの、超遅くて何もできないと、現地でテレコムの SIM カードを買い、4G で接続していた模様。
移住するのであれば、これは Starlink を使用すれば何とかなるだろうか...


生活するとなると不便な点が多いだろうというのはよくわかったが、私は H が「波の音がすごくて怖かった」と送ってくれたビデオを観て、それが一番衝撃的だった。



確かに怖い。
今でさえ、暴風雨の夜には窓に叩きつけられる雨音で眠れなくなってしまうような私だ。昼間ならまだしも、夜中に大音響で荒れた波の音を聞くというのは恐怖そのものだろう。

そんな海辺には私は住めないだろうな...





13.8.24

How to cut men's hair with scissors



 WHAL のクリッパーやらハサミやらなんやらを買って、美容院に行くのをやめた私。

まず切ったのは自分の髪で、取り立てて技術の要らないような、ほぼストレートの髪形にし、極々普通に出来上がった。

次に、T の髪が長くなるのを心待ちにし、私が「そろそろ切る?」とか、「だいぶ伸びたね」とか言う度に、T  が「まだいいかな...」と苦笑いしながらおののく事数回...
遂に T が「長くなってきた」と言ったのを聞いて、ニヤリとする私に、T は「怖いよ〜」と笑いつつ、観念して、私が用意した椅子に座った。

まず髪を濡らして... と、普通のお掃除用スプレーボトルとして買っておいたものに水を入れ、シュッシュッと吹きかけると、かなり冷たかったようで、T はブルッと首をすくめ、二人して大笑い。笑ってしばらく作業にとりかかれず... (真冬の NZ で頭に水を吹きかけられた T 😅)

この床屋さんが使っているような霧状に出るスプレーボトルを買わなくちゃなと言いながら、ビデオに倣って切り始めた。
予習は万全だと思っていたのだが、いざ切り始めてみると、「あれ?ここどう切るんだったかな?」と、心もとなくなり、「あれ?」「あれ?」と口走る私を見て笑う T ...
終始笑いながらの "なんちゃって床屋" の一日目は、裾の始末が何だか中途半端に長いまま終わった。
次の日になって T が、裾がちょっと量が多い気がすると言い、私もそう思っていたので、一日目の後学習しておいた方法で、「えーい、切っちゃえ!」とばかりに結構思いっきり切ったところ、「いいじゃん」と T に言ってもらえ、取り敢えず 1 回目のカットは終了。

カット後、髪を洗い、ドライヤーで乾かし終わった T が私のもとにやって来て、「すごいよ、ブラシで整えなくても、ドライヤーで乾かしただけでまとまるよ、この髪型!!」と喜んでいた。(決してそれを狙って切った訳ではない)

次も同じようにできるか少々心配ではあるが、見苦しくない程度にはカットできているようなので、回数を重ねれば、その内自信を持って臨むことができるようになるだろう。

ふぅ... 大失敗しなくてよかった...




12.8.24

H & パートナー Niue に行く

 H 達は一昨日朝の便でニウエに向かった。
NZ オークランド国際空港からは約 3 時間の飛行で着いてしまう島だが、ニウエの時間は NZ よりも 23 時間遅れの、前日+1 時間という、何だか狐につままれたような時差...

「着いたよー」と送られてきた写真は気持ちの良い南の島そのもので、冷んやりした NZ で膝かけを手放せない私は、心底羨ましくなった。



物凄く暑いだろうと想像していたのに、23℃ と、超快適だと喜ぶ H 。
いいな〜


だが、以前住みたいと思っていたニウエは、今は私の移住の選択肢には入っていない。
歳を取り、年金受給に必要な現況届け提出のために、年一回、オークランドにある日本国領事館まで在留証明書をもらいに行かなければならなくなるというのは、やはりストレスになるに違いなく、しかも、ニウエへの便は週に一回しか飛んでおらず、何もすることがなくても、一週間は NZ 滞在を余儀なくされる。元気なうちはいいが、そうでなければ肉体的にも精神的にもキツくなるのは目に見えている。更に、往復のエアチケット+滞在費(食費も含む)等々の余分な出費も家計を圧迫することになるのは明らかだ。

また、移住ではなく単なる旅行でも、90 歳を超えた母のことを考えると、丸々一週間飛行機が飛ばず、島から出れないという状況で、何の心配もなく楽しむことは、今のところできそうにない。

結局のところ、歳を取ったら日本国領事館のある都市に住み続けるのが得策かなと、そんなことを考えてしまった次第である。



だが、この先、家を買うのも借りるのも異常に高い NZ に住み続けるのが困難になってしまったら、もしかしたら、またニウエに移り住みたいと考えるようになるかもしれない。
先のことはわからない。





6.8.24

Ahmed Zaoui in New Zealand (Part 1)






心温かで、穏やかで、とてもフレンドリーだった彼は、NZ 市民権を取得した数年後、故郷アルジェリアに戻り、そして昨年 10 月、アルジェリア国内の自宅で政治集会を開いていた際に、武装した警官が踏み込み、刑務所送りとなったことを、私は昨日知った。


裁判も行われておらず、またその見通しもたっておらず、ただただ劣悪な環境に置かれ続けている彼は、自国での平和で開かれた政治を追い求めていただけだ。


彼の生涯は『波瀾万丈』と一言で片付けるにはリスクが大き過ぎ、常に命の危険が付いて回っている。
Ahmed の件を扱ったドキュメンタリー Behind The Shroud の中で、Mohamed Samraoui (Former Algeria military intelligence chief) が最後に語った言葉が、深く心に突き刺さった。


Ahmed のみならず、彼もまた祖国を捨てなければならない人になってしまったのだ。



彼とその家族に、またAhmed を助けた人々全てに平穏が訪れるよう、心から祈るばかりだ。




2.8.24

FIRST TO SEE THE LIGHT

 友達がお高い車を買うというので、お供として付いて行った T 。(友達のたっての希望)

飛行機は無事に着いたようで、写真を送って来てくれた。



行った先は、世界で一番早く新年を迎える地として有名な GISBORNE という土地で、行きは飛行機でオークランド空港から 1 時間ほどだったようだが、帰りは友達が買った車でオークランドまで来るとのことで、約 5 時間半の道のりだとか。

T の友達は、長い道中一人で運転して帰るのはつまらないと考えたのだろう。
仲が良く、しかも車好きの T と一緒に、きっと楽しくドライブして帰ってくるに違いない。

T は久々に飛行機での移動...
国内線なので、左右  2 列ずつしかない小型機だったが、パイロットが上手で、全然揺れなかったよと言っていた。


さて、今日の夕食は私一人だ。
何を食べよう... 





「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...