ここ最近、眠る時には朗読を聴いている。
少し前までは、ベッドに横になりながら YouTube を観たり、映画を観たり、はたまた本を読んだりして、寝入るまでの時間を過ごしていたのだが、おそらく首の筋を違えたと思われる悲惨な症状に 3 日 3 晩苦しめられてからは、首をいたわるべく、"正しい姿勢" で目を瞑り、そして朗読を聴きながら眠りに落ちるという方法を取ることにしたというわけだ。
私にとって最も心地良いのは窪田等氏の声と落ち着いたトーンである。
他の方の朗読を聴いてはみたが、落ち着かず、聴き始めてすぐにギブアップしてしまった。
そんな心地良い声を聴き、物語に入り込む努力をしている私であるが、聴いているうちに、時折聴き慣れない言い回しやら、意味の分からない単語/熟語やらを耳にすることがある。そうなると厄介で、それらに遭遇した途端に、それに対する疑問が頭にこびり付いてしまって、(だが、夜中に起き上がってまでそれを調べる気力はもとより無く)結果的に物語に集中できないまま... 何だかよく分からなかった物語は、声は聞こえていた気がするが、寝ていたような気もするという状態を経て、いつの間にか終わっていたことに気づくことになる。
完全に、適当に聞き流すことのできない性格が災いしている。
実際に活字を追い、本を読む方が頭に入って来方が違うとどうしても感じてしまうのは、それが長年慣れ親しんできた方法だからという理由からだろうと思っていたが、どうやらそればかりではないようだ。
幼少期から、私は誰かと会話するよりも、何かを読んでいる方が好きだった。今でもそれは変わっていない。
親しいと思われる人とでさえ、会って話をすることにさして興味が無いのだ。
誰かに『会いたい』という願望などほとんど無い。
私は、要するに社交的では無く、人と面と会って話をすることには喜びを見出せず、会話は文面でのやり取りの方が遥かに楽しいという、"友達と連む" のを至上の喜びとしている人々には到底理解できないだろう性格をしているのだ。
相手のライフスタイルに何一つ自分と共通するもの(或いは興味を持てるもの)が無い場合がほとんどであった知人の中で、『雲の上のお師匠さん』は明らかに一線を画していたが、それでも実際に近くに居たいとは思わず、私に取っては、メッセージのやり取りだけで充分だったのだ。
ただそれだけでよかったのだ。