30.7.12

I am sewing now


服を縫っている。今は自分の子供用にではなく、生きて行く為に。

某老舗デパートのオーダーメード服を作るこじんまりとした工房に、顔パスではなく『手パス』で採用された、輝かしい経歴を持つ私(笑)。年月を(かなり)経た今は、『昔取った杵柄』に加え、長年のグラスアートの仕事でパワーアップされた色彩感覚とバランス感覚が兼ね備わり、若い頃よりも歳をとった今の方が、明らかに斬新なデザインの物を作れるようになっている。

...が、しかし...、売れない。
私の作る服への注目度は徐々に上がって来てはいるが、国内の同業者の"もの凄いセンス"の服に完全に負けている。何が凄いか? 美術的にあり得ない色の組み合わせ、派手な、全く違う種類の柄物と柄物の組み合わせ、どう見てもおかしいだろうと思えるバランスの取り方、ウキまくっているボタンの色と形、etc, etc...

どんな服と合わせたらいいのかさっぱり見当がつかなくなるような、そんな服が(しかも、縫製も決して綺麗な仕上がりではない)飛ぶように売れているというのは、ただただ『個性的』だという理由以外にないような気がするのだが... ここの人は、日本人が見たら
    (゜口゜;)うっ・・・・・と言葉を失うような物の方が好きだということなのだろうか??? と、最近少々凹み気味になってきている私。


そんな中、オークションサイトに出品しているスカートに質問が来た。

「私はあなたの作る服がとても気に入ったので、ぜひ私の企画しようとしているウェブサイトで販売したいと思うのですが、取りあえず5~6着購入したら卸値で売ってくれますか?」

卸値って... ここ、工場じゃありませんが...
ここに載せている値段が既に卸値ですが... ここから更に値切ろうとするのですか(私の時給、今の時点で高校生のバイトの足下にも及んでいないのですが...)
しかも、まだ本当にできるかどうかもわからない、どんなコンセプトのものになるのか全くわからないウェブサイトに興味を持つほど、私子供じゃないし... (笑)

むかっ腹を立てながら、何と答えを書こうかと半日悩んだ。答えは考えるまでもなく NO に決まっているが、どう書いたら一般の人が読んで不快に感じることなく、笑って済ませられるかを考えていた。

そして、同居人の助言に従った。

「実際にウェブサイトの製作に着手し始めてからまた連絡してみてください。お問い合わせ、ありがとう。」

もしまた連絡が来た時には、こちらの"卸値"を伝えればいいだけだ。




29.7.12

The Best Bread Ever と名付けられたパン

1年前に日本の Amazon に注文して購入した中古本、The Best Bread Ever。


この本は1997年発行の初版のもの。紙の質は粗末であるし、カラー写真も数えるほどしかなく、現代の出版物と比較すると雲泥の差はあるものの、こと味に関して言えば、私はどのパン作りの本よりもこの本のレシピが好きだ。


特に The Best Bread Ever と名付けられたバゲットは、どこのベーカリーで買うよりも味わい深く、また Jewish Bread "Challah" は、 本物の Jewish が経営するベーカリーで買ったものよりも美味しくできる。(単に好みの問題かもしれないが...(笑))


使っている材料は至ってシンプル。
いつでも、食べたくなったら家で美味しいパンを作ることができるというのは嬉しいことだと、つくづく思った。



28.7.12

Colour Chart



NZで多分最大手の手芸材料店 SPOTLIGHT には、こんなに沢山の色の糸のストックは無い。ということは、国内の他の小売販売店に足を運んでも無駄だと思った方がいいということだ。

品質の良いものなのかどうかわからないが、色だけは揃っている(格安の糸を輸入している)業者から買うという選択肢しかないというのは、全くもって残念なことであるが... 取りあえず丈夫で、ミシンの針穴に引っかかるような凸凹のある糸でないことだけは確かめたので(次元が低い)、この取り寄せたカラーチャートの販売先に注文を入れることに決めた。

ちなみに、少し前にその SPOTLIGHT で購入したプラスチック製黒ボタンの詰め合わせは、触れると手が真っ黒になった。最終的に洗浄をしないで商品として出荷されたのだろうと思い、洗剤を入れた容器で浸け置き洗いの繰り返し... なんとか使用可能になったものの、製造業者の製品に対するあまりのプライドの無さに胸の悪くなるのを覚えた。

物が溢れかえるほど有る日本の生活に慣れてしまった人には、ここの生活はおそらくキツかろうな...

さて、何から始めよう...

Auckland, New Zealand の只今の時刻は午前0:37分。気温6℃... 寒い...

昨日の午後、次男の友人から電話が入り、お父様が癌に冒され、既に手の施しようもない状態にあることを知らされた。お父様は何度かこちらに遊びに来られたことがあり、その度に重たい手土産を持って我家に立ち寄ってくれ、一緒に食事をし、何時間も大笑いしながら話をしていたのを思い出して、「何てことだ...」と、ただただつぶやくことしかできなかった。

少し前、凍える夜に、i文庫で何十冊もの小説を読み漁っていた。
その中の一冊に、有島武郎の「運命と人」というのがあったのだが、そこに書かれていたことがふと頭の中に浮かんで、今夜それをもう一度読み返してしまった。

・・・人間と云はず、生物が地上生活を始めるや否や、一として死に脅迫されないものはない。我等の間に醗酵した凡ての哲学は、それが信仰の形式を取るにせよ、実証の形式を取るにせよ、凡て人の心が「死」に対して惹起した反応に過ぎない。
我等は我等が意識する以上に本能のどん底から死を恐れているのだ。運命の我等を将て行かうとする所に、必死な尻ごみをしているのだ。・・・

見たこともない『楽園』の存在を確信できる人は幸せだ。それを確信できない私は、昨日電話口で、その子が希望を持てるようなことを何一つ言ってあげられなかった。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...