18.4.13

私にはできないこと

少し前にも書いたが、日本でもパック詰めされた寿司を目の前にして「(1パックの)半分だけ買って行こう」と考える人が居るのだろうか...

以前、八百屋で陳列されているバナナの房から1本だけ捥いで買って行く人を見たが、まぁそれは一房いくらとなっていたわけではないので、有りかな?と後に思うに至ったものの、その行為を見た瞬間はやはり「えっ!?」と目を疑ってしまった。

苺売りの移動販売のおじさんは、お客に旬の苺やらサクランボを一粒サービスで手渡してくれていたが、「えっ... これ、ここで食べるの? 洗わないで??」と躊躇したのは私くらいなもので、他の客(大方が西洋人)は皆一様にすぐに口に放り込むのである。ベビーカーに乗った小さな子供も手渡されたものをそのまま食べている。そんなのを見ていると、日本人は過度に神経質なんだろうなとは思うものの、私はまだその習慣に少々抵抗があって、その場で食べたことはほんの数回しか無い。(苺狩りなどで洗わないで食べるのは平気なのに、流通の段階で複数の人の手を経ていると思うと、やはり簡単にでもすすぎたいよなと思ってしまう)
ふと思った。皆もしかして、家に帰ってからも洗わないで食べているのだろうか?
我家は自宅の庭でとれた苺でさえも洗ってから食べているぞ...

そういえば、少し前にイスラエル人の友人からの頼まれ仕事を届けに行った時、移動販売のおじさんのところでブルーベリーを買って差し入れしたのだが、彼もやはりすすぎもせずそのまま食べていた。


街中を素足で歩いている人を見た時には、「何で??」と思ったが、以前住んでいた家の近所の人は、見ず知らずの隣人の家(我家)を訪問する時にも素足だった。
この国では素足で歩くことに違和感を感じない人が相当数存在している。

にわか雨が多いこの国では、雨が降ってきても洗濯物を取り込むことはせず、干しっ放しにしておいて、次に乾いた時に取り込むようにしている人が多い。
これは、私にはとてもできない。

私にはとてもできないことがもう一つ。
食器洗いの洗剤が付いたまま、洗い流さないで布巾で拭いてお終いにする食器洗いの方法は、どうしてもマネをする気になれない。
多くの家がビルトインの大きな食器洗い機を備えているため、そうやって手で洗っている家はそんなには多くないのかもしれないが、こちらに来てからそのテの話はよく聞いた。


ここは移民の国。
ある国ではとても非常識なことが、別のある国ではごく普通のことで、容易に理解し合えないことも多くあるのだが、皆幾ばくかの違和感を覚えながらも、それでも大きな波風を立てずに暮らそうとしている。

私はと言えば、そんなやや潔癖性気味の日本という国で生まれ育ちながら、上記のこと以外はほぼ日本人らしいところもなく、最近わけあってこちらの日本人社会に触れる努力をしてみたものの、やはり『触らぬ神に祟りなし』だったなと再確認するに至ったのみで、この先虚しい努力は決してするまいと深く深く肝に銘じて、一連の活動に終止符を打った。


私にはとてもできないこと...

人生を終える時、私はおそらくこう言うに違いない。

「最もできないことだと思ったのは、日本人社会で暮らすことだった」と。



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