30.1.14

インターネット・オークションでの一齣

ステンドグラスで製作するのは無理があると諦めていたデザインがあった。

そのデザインを透かし彫りで作り、大好きなアンバーの色ガラスを合わせてみると、ずっと作りたかったものの形が見えてきた。

透かし彫り部分は先週出来上がっていたのだが、その他の部分をどのように組み立てようかと考えながらの作業で、なかなか仕事が進まない。


昨日、インターネット・オークションに長い間出していたイスラミック幾何学模様の装飾兼鍋敷きに質問が来た。
$40で出品していたものだが、$20で売らないか?というオファーだった。
$35だったら「う〜ん、どうしようかな…」と思っただろうし、$38だったら多分売っただろうが、半額は論外である。
どこの国の人だろうとプロファイルを見ると、典型的なイスラム教徒の名前だった。そこで、オファーを受けようかどうしようかとしばし考えた。難民としてこの国に来た人かも知れないと思ったからだ。

オークション・サイトには個人の取引記録(feedback)が載っている。相手が安全な取引相手かどうかを見る為には大変有効なもので、それを見てでき得る限り用心深くしていれば、売るにしても買うにしても、思わぬ落とし穴にハマらないで済むことも多い。
例えネガティブな(マイナス)評価が付いていたとしても、双方の『言い分』とフィードバックの履歴を見れば、大概の場合どちらの言い分が正しいかがわかってくるものだ。

その半額に値切ってきた人の評価は、100%ポジティブだったので、どうしようもない人では無さそうだと思った。どうしようもないと一括りで表現したが、その表現の中には「約束を守らない」とか、「行動が極めて遅い」とか、「(売り主の場合)平然と偽りの記述をしている」とか、色々な要素が入っている。

これまですんなり取引が行われた人については、ざっとfeedbackに付いている評価のマークを見る程度だったが、今回はその人がどんな物を購入しているのかを少し見てみることにした。私のように、安いものばかりを買っている人だったら、$20でいいにしようかなという思いもあったのだ。

購買履歴から、その人は私よりもずっと生活に困っていないように思えた。
そこで、その人のオファーへの返事をどのように書こうかおおよそ決まった。

返事にはこう書いた。

「残念ながら、オファーを受けることはできません。なぜなら、私はこの作品の透かし彫りと最初のサンディングに4時間かけ、それに色を付け、乾かし、サンディングし、重ね塗りし、磨き上げるまでに数日間に渡り更に多くの時間をかけたからです。これは手間のかかる仕事で、私は全ての作品を丹誠込めて作っていますので、いくら頑張っても政府の決めた最低賃金を稼ぐなどということは夢のまた夢でしかありません。ですから、どうぞ私に対して値引き交渉などしないでください。何はともあれ、興味を持ってくださってありがとう。」

昨夜、同じ人から今度はBuy Now価格は幾らかという質問が来ていた。
すぐに出品価格と同じ金額をBuy Now価格としてセットし、Buy Nowを付けた旨を返事しておいたところ、今朝、email boxにその人が落札してくれたという通知が来ていた。

きっと良い人なんだろうなと思った。




26.1.14

初めてのチーズ・フォンデュ

ネット・オークションで激安で落札したチーズ・フォンデュ・セット。

食べ初めてすぐに、何を食べても同じ味なのに飽きてしまい、もう食べなくていいなと、満場一致で、たった一回きりのチーズ・フォンデュの夕べは終わった。

チーズだらけでも、ピザだったら何度も食べたいと思うし、スパニッシュ・オムレツ風卵焼きにもチーズを乗せてこんがりさせて食べたりもしているのに、チーズ・フォンデュだけは短時間で飽きた。
どうも我家はそのテの料理には向いていないようだ。


はてさて、この鍋、他に何に使えるだろうか…


21.1.14

GO LEFT


Steve's Proverb (デザインしたのは Steve Good)


これと同じデザインで、ペイントしてない物をインターネット・オークションに出した。
$1 リザーブで。

カットするのにけっこう時間はかかったが、これを欲しいと思う人はおそらく順風満帆とは言えない状態にあるに違いないし、そんな人から高いお金など取れないよな… それに、別に何も困っていない人にはこんな言葉など必要ないし、ただのコレクションとして買ってもらっても嬉しくないし… との思いがあっての $1 リザーブだった。

出品して早々にbidがあった。そしてオークション終了5分前まで$1のままだったが、この作品をwatch list に入れる人の数はうなぎ上りに増えて、閲覧数も驚くほど増えていたので、そんなに多くの人が最後の最後に入札しようとしているのか???と信じられない思いでオークション終了を待っていた。

競り落としてくれたのは北島のまん中辺りに住む女性で、競り落とした金額は$10に満たなかったが、私は金額が異常に上がらなかったことを心から嬉しいと思った。

何かに喘いでいる人からお金をせしめても何も嬉しくなんてないじゃないか。
上手くいかないことに苛立ち、落ち込み、苦悩している人が、もしかしたらこの言葉で奮起して、解決策を見出そうと別の道を模索し始めてくれたら、それだけで充分じゃないか…

彼女はオークション終了後すぐに入金してくれた旨をemailしてくれ、私は昨夜の内にしっかり梱包を済ませ、今朝郵便局まで荷物を出しに行った。彼女が実物を手にして喜んでくれることを心から願いながら。

Try to go left...

全てが上手くいかなかったら、進む方向を変えてみればいい。
もしかしたら、上手くいかない事柄は、上手くいかない方がいいということなのかも知れないよ。
ずっと後になって、方向を変えたことが正解だったと気付くかも知れない...
私のように。



3.1.14

教会に置く十字架を作ることになった

今日は、オークションに出品していた合板で作った Celtic 模様の Cross を落札してくれた人がいた。
支払いをクレジットカードで済ませてくれた上で、もう一つ欲しいんだけどというリクエストが来たので、ちょうど作ったものがあるけれども、材質は無垢のマツ材で、もしそれでよかったら同じ値段でいいですよと、無垢で作ったものの写真を付けて返事を送ると、教会の lectern (聖書朗読台、書見台)とalter の前(私は教会のクリスチャンではないので、どこだかわからない)に置くので、同じものがいいとのこと。

教会に置くのであれば、少々安っぽい感の漂う合板の十字架よりは無垢のマツ材の方が相応しいでしょうと、「無垢のものの方がよかろうと思いますので、2,3日いただければ、もう一つ無垢でお作りしますが、それでよろしいでしょうか?」とemailを送った。

何度かemailでやり取りをし、追加代金を既に振り込んでくれたことと、急がなくていいと付け加えられたemailが夜10時頃届き、今日のやりとりを無事終えることができた。

送り先はこれまで聞いたこともない地名だった為、どこだろうと地図で見てみると、オークランドよりもずっと北の、もう少しで北端に届きそうな場所であった。

私の作った物が、遥か遠くの見知らぬ町の教会に飾られるのか… どんな教会なんだろう? 願わくば、つい最近になって初めて足を踏み入れた Parnell の Holy Trinity のような立派過ぎる建物ではなく、こじんまりした教会であって欲しいなと思ってしまった。

モスクにしても、チャーチにしても、豪華絢爛なのは本来の趣旨にそぐわない気がしてならないのだ。
きっと、そのような所には超高級な装飾品(教会にはご立派な十字架)が飾られているに違いない(笑)
何の為に超高級なものが必要なのかさっぱりわからないが…

そんなわけで、明日、明後日は教会の十字架作りを主として、合間に昨日からの続きの作業をする予定。

今日は珍しく蒸し暑い一日だったが、夜までしっかり働いた(笑)

そうだ、私の作った直系1m越えの睡蓮のステンドグラス・パネルは、仏教徒の瞑想の間に飾られているんだった…

何でも屋だな…


追記:alter とは何ぞやと調べてみたら、祭壇のことだった。



難しくはないが...

糸ノコの細い刃を差し込むための無数の穴。機械に留め付けてある刃の一方を取り外してこの細かい穴一つ一つに差し込み、刃が外れないようセットし直してからパターン通りに切って行く。その繰り返し。


穴をあけ始めてから既に3時間以上経っても、この程度 ↓しかできなかった。


座り続けて腰が痛くなる前に、極細い刃とパターンの線を集中して見続けて目が乾き、不快感でいっぱいになる。

スクロール・ソー自体は危ない機械ではないため、機械で怪我をすることは無いに等しく、この先歳を取っても続けられるとは思うが、視力の低下がどれほど深刻になってくるかがカギだ。既に拡大鏡付きライトのお世話にもなっているのだからな…

このパターンは難しいカーブなどなく、とても切り易いが、切り残す線が比較的細いのでやはり神経を使うことに変わりはない。

あと何時間で切り終わるのか…
加えて塗装(ペイント→サンド→ペイント→サンド→ペイント…)に何時間かかるのか…

今回の作業は何だか果てしなく長く感じてしまう。




2.1.14

繋がり

一昨日、年越しそばの代わりに焼うどんを食べ、同居人は2人とも友達との飲み会に出掛けて行った。

TVを観るでもなく、お酒を飲むでもなく、いつものようにネット・オークションをチェックし(売りに出しているものがあるため)、本を読んでいたらいつの間にか眠ってしまっていた。

同居人がいつ帰ったかも知らず…

元旦の朝、実家の母にe年賀状を送った。
こちらに来てから一度も直筆の年賀状を書いていない。

年賀状ね…
最も愚かな年賀状は、亡くなって2年も経つ人宛に来ていたもので、「旧年中は大変お世話になり…」と書いてあった。会ってもいないのにテキトウなことを書くものではないと大顰蹙を買った。
所詮、どうでもいい相手だと言っているようなものだ。

そのテの『表面だけのお付き合いごっこ』とは無縁の世界に逃れて来られたことを、本当に嬉しく思うと同時に、全く気分の盛り上がらない真夏のお正月が、もう既にごく普通の日と化していることにも、何ら違和感を覚えず、かえって心地よくもあり、昨日も朝からスタジオに下りて行き、ひたすら仕事をしていた。

年が変わると何かが劇的に変化するかのように錯覚しがちな一日…
ただ単に次の日になったというだけだよなと同居人達と話し、今年は「おめでとう」とも言わなかった。

ちなみに、苺売りのマフムートも昨日から通常通り仕事をしているのが家の窓から見えた。ムスリムにとっても特別な日ではないからだろうが、夏の間休みなく仕事に出るのはしんどくはないかと、同い年であるが故に心配になってしまう。

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最近読んでいるのは、遥か昔に読んだことのある本で、既に廃盤になっているのかAmazonでは見つけられず、昨年暮れに身内が古本屋を回ってくれて、ようやく手に入ったものである。



一粒の麦もし死なずば

高校時代、仲のよかった男の子の机にそう書かれていたことを思い出した。
その子はお寺の住職の家に生まれ、キリスト教とは無縁の世界に住んでいたはずだが、この本を読んでいたのだろうか…
私はなぜその疑問を彼に聞いてみなかったのだろう?

急にその本を読みたいと思ったのは、ステンドグラスのデザインを考えているときだった。何故かふと『麦』のイメージが頭に浮かび、それからというもの、この言葉が頭から離れなくなったのだ。


どんな内容だったのか全く思い出せなかった私は、取りあえずネットで検索してみることにした。すると、今度は『アルジェリア』の文字が目に飛び込んできた。
高校当時にはアルジェリアの「ア」の字も気に留めることはなかったことは定かであるが、それから数十年経た今は状況が変わっている。

数年前に私の生活に突然飛び込んできた『アルジェリア』。
昔から最も好んで読んでいた二大巨匠 CAMUS も、そして GIDE も深くアルジェリアと関わっていた。

何故なんだ…

この先、その謎が解けないまま私は人生を終えることになるのだろうか…




「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...