2.1.14

繋がり

一昨日、年越しそばの代わりに焼うどんを食べ、同居人は2人とも友達との飲み会に出掛けて行った。

TVを観るでもなく、お酒を飲むでもなく、いつものようにネット・オークションをチェックし(売りに出しているものがあるため)、本を読んでいたらいつの間にか眠ってしまっていた。

同居人がいつ帰ったかも知らず…

元旦の朝、実家の母にe年賀状を送った。
こちらに来てから一度も直筆の年賀状を書いていない。

年賀状ね…
最も愚かな年賀状は、亡くなって2年も経つ人宛に来ていたもので、「旧年中は大変お世話になり…」と書いてあった。会ってもいないのにテキトウなことを書くものではないと大顰蹙を買った。
所詮、どうでもいい相手だと言っているようなものだ。

そのテの『表面だけのお付き合いごっこ』とは無縁の世界に逃れて来られたことを、本当に嬉しく思うと同時に、全く気分の盛り上がらない真夏のお正月が、もう既にごく普通の日と化していることにも、何ら違和感を覚えず、かえって心地よくもあり、昨日も朝からスタジオに下りて行き、ひたすら仕事をしていた。

年が変わると何かが劇的に変化するかのように錯覚しがちな一日…
ただ単に次の日になったというだけだよなと同居人達と話し、今年は「おめでとう」とも言わなかった。

ちなみに、苺売りのマフムートも昨日から通常通り仕事をしているのが家の窓から見えた。ムスリムにとっても特別な日ではないからだろうが、夏の間休みなく仕事に出るのはしんどくはないかと、同い年であるが故に心配になってしまう。

--------------------------------------------------------------


最近読んでいるのは、遥か昔に読んだことのある本で、既に廃盤になっているのかAmazonでは見つけられず、昨年暮れに身内が古本屋を回ってくれて、ようやく手に入ったものである。



一粒の麦もし死なずば

高校時代、仲のよかった男の子の机にそう書かれていたことを思い出した。
その子はお寺の住職の家に生まれ、キリスト教とは無縁の世界に住んでいたはずだが、この本を読んでいたのだろうか…
私はなぜその疑問を彼に聞いてみなかったのだろう?

急にその本を読みたいと思ったのは、ステンドグラスのデザインを考えているときだった。何故かふと『麦』のイメージが頭に浮かび、それからというもの、この言葉が頭から離れなくなったのだ。


どんな内容だったのか全く思い出せなかった私は、取りあえずネットで検索してみることにした。すると、今度は『アルジェリア』の文字が目に飛び込んできた。
高校当時にはアルジェリアの「ア」の字も気に留めることはなかったことは定かであるが、それから数十年経た今は状況が変わっている。

数年前に私の生活に突然飛び込んできた『アルジェリア』。
昔から最も好んで読んでいた二大巨匠 CAMUS も、そして GIDE も深くアルジェリアと関わっていた。

何故なんだ…

この先、その謎が解けないまま私は人生を終えることになるのだろうか…




0 件のコメント:

コメントを投稿

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...