26.1.15

スラッシュの入れ方のコツをつかんだ日


最近は朝フラット・ブレッドを焼くので、前ほど頻繁にバゲットを焼かなくなっていたが、オークランドはオークランド・デーで先週末から今日まで3日休みが続いたため、久々にバゲットを焼いてみた。
醗酵が上手くいって、よく釜伸びしたのに加え、スラッシュの入り方がこれまで焼いたバゲットの中で最もよくできていて、ようやくスラッシュが合格点に達したと思った一本だった。

今日はひよこ豆を茹で、ハモスを作った。ひよこ豆の皮を一つ一つ剥がすのは大変ではないのだが、途中で面倒だなと思いつつ作業していた。
庭で生っていたレモンをとってきて半個分のレモン汁を入れ、塩を少しずつ足しながら味見をし、結局レモンは1個分丸々入れてしまい、茹で汁も適当に足して行って、ちょうどいい柔らかさにし、完了。
ハモス作りも久々だったが、自家製ハモスはやはり美味しい。


暑い


最近は暑くて、雨もほとんど降らず、頻繁に庭に水やりをしなければならないため、来月の水道代が跳ね上がりそうで恐ろしい。

苺はいつも野鳥や蟻に美味しいところを持って行かれ、満足に食べられたためしがない。
充分赤くなるのを待っているのは人間だけではなく、人間よりも頻繁に偵察に来る鳥やら蟻がいつもいつも勝利を収めてしまうのだ。
そこで、この写真を撮った後、目の粗いネットを張っておいたところ、幸運にも全く被害が無く、今日は真っ赤な苺を2つ収穫することができた。こちらの苺にしては甘かったが、日本の苺に比べると(真っ赤なのに)実が硬く、更につぶつぶが非常に硬い。家庭菜園だから硬いのではなく、一般に店で売られている苺全てが硬いので、この国にはこの種類のものしか無いんだろうと思う。
それにしても、日本の苺はなぜあんなにも甘くて柔かなんだろうか?
他の国々の苺は日本のもののように美味しいのかな?



今年のブルーベリーは例年に比べて甘味が強く、仕事の合間に庭に出てつまみ食いを楽しんでいるが、一時に一斉に熟すことのない我家のブルーベリー… 一度にせいぜい3粒収穫できればいいところだ。これではいくら目にいいと言われるブルーベリーでも、効果を期待できそうにもない。


リンゴもずいぶん大きくなってきて、細い枝が実の重みでかなり撓(しな)っている。
2012年11月、家族皆で園芸店に行き、苗木を買って来て、出来上がったばかりのガーデンに植え、うまく根付いてくれるようにと祈りつつ、毎日成長を眺めてきた。
2年が経過し、元気に育っているこの木を見る度に、日本に住む子供のことを思い浮かべる。

充実した生活を送っているだろうか…
しっかり食事をとっているだろうか…
病気で寝込んだりしていないだろうか…

こちらに来てからほとんど日本に帰っていないなと、心の中で親不孝を詫びるとともに、子不幸も詫びなくてはなと、今日リンゴの木を見ながらふと思った。



21.1.15

どちらがいい?

裕福だと思われてくっついて来られるのと、貧乏だと思われて同情を示されるのとどちらがいい?

私はどちらも嫌だが、強いて言えば後者の方がまだマシかなと思っている。

同情を示されるのは見下されている感を拭えなくて苛立を覚えるけれども、同情を示す側の人は少なくともコバンザメの如く『美味しい汁を吸おう』と思っていないのは確かで、金銭的な醜さは裕福な人にまとわりつくのが大好きな人と比べるとほぼ無きに等しい。

裕福層にしか興味の無い人々の心は完全に金銭に蝕まれていて、実に醜く、浅はか極まりない。
金銭的に恵まれていた一時期に、どこからともなく寄って来た人々は、長い人生に於いて最も "どうでもいい" 存在の、己の欲だけを身にまとった強欲極まりない人間だった。

そのような吐き気を催す存在が目の前から消えたことは、何にも増して喜ばしいことであるが、まだマシな存在の『同情を寄せるのを喜びとしている』グループが、日々畳み掛けるように『プライドを捨てて私達の善意を受け入れなさい』と精神的に圧迫して来るのに対して眩暈を覚えるようになってしまった今日この頃である。

裕福なのも貧乏なのも精神的によろしくない。



14.1.15

木製品の価値

時間をかけて丁寧に透かし彫りをし、オイルを塗りサンディングを繰り返し、ビーズワックスで磨き、表面をツルツルに仕上げた作品を、とある人のパートナーに差し上げたら、その人は何のためらいも無くそれに金と銀のスプレーペイントを施し、見違えるほど素敵になったと喜び、私にもそうするようにと熱心にすすめてくれた。

スプレーするんだったら、安っぽいプラスチックの大量生産品で充分だと思った。

何の温かみも無くなってしまっただろうと思われる、繊細な透かし彫りを施した木製品…
プラスチック化してしまった木製品には、もう価値は無いように思われた。

人の価値観というのはそれぞれだし、差し上げたものをどう使おうが私の知ったことではないが、何だかとても悲しく思った一件であった。


10.1.15

コリント人への第二の手紙 4章18節


「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠だからです。」

私はまた一人の親切心に溢れる人を寄せ付けないようにしてしまったのかも知れない。これは温かみのある木で作らずに、冷たいガラスで作った方がよかったのかなと、今になって思った。

今日の明け方早く、仕事用の Facebook pageに、ある特定な個人に向けてのメッセージを投稿した。今年に入って作った二つのハート型のオーナメントとともに。

ハートの形をしていれば心温まるものという概念を打ち消すかのような、かなりシビアな内容で、それを読んだ相手がどのような受けとり方をするのか、正直なところ予想がつかないでいるが、それは私に関する紛れもない真実で、誰にもどうすることもできない事実なのだ。

私は過去に縛られて生きているわけではない。私は現実に縛られて生きているのだ。過去から引き続いて永遠にどうにもならないような現実に縛られて生きているのだ。
過去にケリのついた事柄をいつまでもいつまでも穿り返して生きるような性格ではなく、1%も無いように見える可能性を捨て去ることができないで、必死にもがいているのが私なのだ。

私は望みを捨てていない。おそらくそれは最期に息を引き取る瞬間まで続くだろう。

見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠です… 


4.1.15

今年はどんな年になるんだろう...

2015年、最初にデザインしたのは、ハート型のオーナメント。


新年早々に作り始めて、今日facebookにアップする為に、重ね塗りしなくてはならないシェラックが早く乾かないかなと2日間気をもみ、ようやく作り終えたら、今度は撮影場所を探して家、スタジオ、裏庭をウロウロする羽目になった。



使ったガラスはお気に入りの一枚で、何年も使わずにとっておいたもの。



まだらに入った模様と色の美しさを損ないたくなかったので、サンドブラストは裏側から施したが、もしかしたら全然目立たないかも知れないなという一抹の不安を抱きながらの作業だった。



撮影場所を探し回ったのは、サンドブラストした文字が背景の色と光りと陰に大きく左右され、くっきりと浮かび上がらせるのが非常に困難だったからである。

実際、この透き通ったガラスの美しさを残しながら文字を浮かび上がらせるのは至難の業だった。
使ったカメラは3台。その内の一台はiPhone内蔵のカメラだったが、それが一番実際の色合いに近く、透明部分がしっかりと写り込んでいた。ただ、ガラスの質感を優先させると、どう撮っても文字が浮かび上がらない...



最終的には少々妥協して、文字がはっきりと読めるということを優先し、まぁまぁ許せるかなと思える一枚を選んだが、上の2枚の写真に見られる透明部分がほぼ消えてしまって、緑色に染まってしまっているのが返す返すも残念である。下の写真はNikon のデジタル一眼で撮ったもの。さすがに奥行きのある写真にはなっているが、これではガラスの表情は全くと言っていいほどわからない。



まぁいいか…

投稿し終えると、一生懸命に作ったのも、時折激しい目眩に襲われながら撮影場所を探し回ったのも、もう何の価値もなくなってしまったかのように思えた。
去年起こったことが全てどうでもいい事になってしまい、私はまた元の私に戻ったように感じ、気持ちが落ち着いた。

さて、明日からは新しい作品(商品)作りに励まなくては。







「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...