23.10.18

3 TPI

6 TPI のバンドソー ブレードでは、板厚を薄くしたい場合には特に、切り口がうねってしまってどうしようもなかったため、3 TPI のブレードを買いに行った。

バンドソーを買った店に行き、店員にブレードの型番を言うと、店に陳列してある物を探し、あいにく品切れだと言っていたのだが、それではオーダーできるかと聞くと、そこでようやくコンピューターで在庫を確認し出し、長いことかかって「在庫があったよ」と...

初めから倉庫にある在庫を確認しましょう...

打ち出されて来たインボイスには私の名前ではなく、全く違う企業の名前が書かれていたが、それを見たら、商品管理のみならず顧客管理もが極めてイイカゲンだという事がよくわかった。

そのイイカゲンな会社から買って来たブレードのサイズは、表示よりも若干短く、バンドソーのブレード テンションを最も緩くしてようやく何とか装備できたのだが、一旦外れたブレード テンションを緩めるためのボルトを元に戻そうとしても一向に入っていかず、吐き気を覚えるほどのストレスを抱えながら、同居人Tに見てくれないかと頼んだ。
Tによると、ボルトの先端部分のネジ山が潰れてしまっていて入って行かなかったのだとのこと...
買ってから1年ほどのバンドソーで、一度もブレード交換をしたこともなく、そのボルトの先端に触れたのは今回一回だけだ。ネジ山はそんなに簡単につぶれるものなのだろうか?

また、下のホイールの位置を調節するためのネジは、4本中1本が壊れていて、空回りするだけだった。(下のホイールを調節したのは今回が初めてだ)

どう考えても、品質に問題があるようにしか思えない。
ちなみに、私の買ったバンドソーは HAFCO Woodmaster BP-360 。オーストラリアのブランドだが、台湾製? よくわからない。

散々な目にあったブレード交換は、私よりも遥かにメカに強いTのおかげで無事終了し、バンドソーは使える状態になったものの、欠陥が無いとは言い切れない機械を使い続ける不安が残り、気分はあまりよろしくない。


取り替えた 3TPI のブレードで厚い板を試しに切ってみると、切り口はさすがにガサガサではあるが、これまでの 6TPI のブレードでは不可能だった"真っ直ぐに切る"という作業がいとも簡単に、しかも素早くでき、とりあえずはこれで様子をみようと思った次第である。


私はやはり機械モノは好きではない。
テーブル ソーから電動ドリルに至るまで、"思い通り" に使いこなせた試しがない。
安物しか買っていないせいだろうか...?




20.10.18

注文製作に終止符を打つ時

つい先頃、オークションに出品している鍋敷を見て、こういうので Vent Cover を作ってもらえるかという質問が来た。

注文製作を引き受けると、どんなデザインで、サイズはどれくらいでと、何度もオークション サイトの Q&A でやり取りをしなければならず、結構面倒なのだが、他の通信手段を厳しく禁じられているため、その方法で注文を受けるしか方法は無い。

とりあえず幾つかのパターンを描き、それを掲載した後に、相手が制作を依頼するかどうかを決める。

パターン製作にかかる時間は、実際に注文に至らなかった場合は請求の対象にはならず、時間をかけてデザインしても無駄になる場合がままあり、決して『良い仕事』とは言えないのだが、それでも自分の手で作ったものが見ず知らずの誰かの家で使われているというのは嬉しいことで、もし自分がこの世から居なくなっても、自分の作った物が何処かで使われているとしたら、製作した意味はあると言えるかもな... などと、すこぶる嬉しいフィードバックを受けたときなどは特に感慨深く思うものの、中には他人の労苦を慮る習慣が全く身に付いていない輩が少なからず居るのも確かで、何度も何度も熱心にやり取りをした挙句に、デザインが出来上がるとプッツリと音沙汰が無くなり、「あれは何だったの?」という状態になる。そんな輩に遭遇すると、もう注文製作は受けないことにしようとやはり考えてしまう。

歳を取った私は、もう面倒なことに関わりたくないという思いが更に強くなった。
正直なところ、人の誠意の無さというものに心底ウンザリしてしまったのだ。

いよいよ注文製作をやめる時が来たかな...
今回は真剣にそう思った。


私が先月買った畔引き鋸を作った職人もまた、手間暇かけて作った鋸を信じられないほど安い価格で販売していて、側から見ても「これじゃやっていけないだろう」と思ってしまうのだが、それでも、沢山注文が入れば食べていけるだけの収入にはなると、骨身を惜しまず働き続けているのである。
そして、良心から代金後払いで商品を送ってあげると、此れ幸いと支払いを踏み倒す不届き者が出てくる... なんと嘆かわしい世の中であることよ。

また、その手引き鋸を買って販売している業者は倍近い(或いはそれ以上の)価格を付けて販売していたりもする。
『物を右から左に流すだけの人』が楽をして収入を得、私腹を肥やしているのを見ると、私は非常に憤りを感じてしまい、自分の作ったものを販売店に託す気が更に失せる。

農家も、酪農業者も同じである。
汗水垂らして働いている者は、労働に見合わない収入のまま一生を終えることになり、労働者の上前をはねる輩が豪勢な生活を送るようになっている社会...
『作る側』にとっては全くもって良い社会ではない。

この経済構造はおそらく改善されることなく、不均衡感を増大して、聖書が言うところの "この世" が続く限り永遠に存続し続けることだろう。

そんなことを考えていると、歳を取ったことがことさら嬉しく思えるようになる。





今、NZは初夏。
ベランダで最初に咲いたのは、真っ赤なバラの方だった。



18.10.18

何かが変わる兆し?

今年に入ってから、私の周りは何だかとても慌ただしい。

4月初旬に私は日本一時帰省。NZに戻った正にその日に大家さん夫婦がやって来て、「明日から外壁掃除業者が来て、清掃後塗装業者が来ることになっている」と...
5月には外壁の塗り替えが信じられないほど長い期間かけて行われ、その後業者が周囲の木全てを切り倒しに来た。
9月初旬、家のある通り全体の舗道のコンクリート敷き直しが約1ヶ月間に渡って行われ、10月初旬に長男が5年振りに日本から遊びに来てくれた。
長男が帰ると間もなく、今度は道路のアスファルトを敷き直し...  夜8時〜翌朝5時の騒音に2晩晒され、ようやく道路工事は終了した模様。




何故こうも沢山の事が今年に集中したのだろうか...
何かが変わる前兆なのだろうか...

何の代わり映えもなかった過去数年間とは明らかに何かが違うと感じるのは、私だけなのだろうか...


次に起こることによって心を引き裂かれることがないようにと祈るばかりだ。


9.10.18

20周年

彼の人が居なくなってから20年が経った。

この20年で、当時高校3年生の超スレンダーだった長男はちょっとお腹の出たオヤジになり、中学2年生で陸上部の花形だった次男は、運動とはほど遠い生活を送っているもののいまだスレンダー... ではあるが、従姉妹から「歳とった〜」と言われる風貌になり、小学3年生の超シャイだった娘は非常に "腰の据わった" OLになった。
仕事はITコンサルタント、ビデオエディター、グラフィック デザイナーと、皆それぞれの道を歩んでいる。


20年目の記念日を祝うためにはるばる日本からやって来てくれた長男を歓迎するかのように、当日空は快晴で、近くの公園の桜が咲き誇っていた。


もちろん、日本の桜並木とは比べ物にならないほどこじんまりとした規模ではあるが、淡い桜の色は人々を惹きつけるようで、様々な国の人が花見に訪れ、写真を撮り、樹の下に寝そべったりなどして、桜の季節を満喫していた。


我が家は一気に『写真コンテスト』モードに突入し、各自がそれぞれの感性で構図を決め、切り取った写真を披露し合った。
感性は、三者三様ならぬ四者四様で、全く同じ木を撮ってもまるで違った雰囲気のものとなっていた。それを面白おかしく評価し合うのもまた楽しい。





長男はたった4日間の滞在だったが、オークランドに着いたその晩にイカ釣りに出かけ、不発だったため翌晩にもイカ釣りに再挑戦。3日目にはイカを諦め鯛釣りに行くという熱の入れようで、傍目には元気そのものにしか見えなかったが、「あまり調子が良くない」と...

次男はこれまで経験したことのない連夜の釣りに苦笑いし、「そろそろ帰ろうよ」と言っても、兄ちゃんが「え〜、もう少しやろうよ」と言って帰らせてくれなかったんだと笑っていた。

3日目の深夜、生まれて初めて鯛を釣り上げた長男の写真が携帯電話に送られて来た。
満面の笑顔の彼に釣られた鯛は、サイズが小さかったためリリースされたが、それでも、自然の中で弟と一緒に釣りを楽しむ事ができたのが何より嬉しかったようで、小さい頃もこうやって2人で川釣りに行ってたよねと、しばし昔話に花を咲かせていた。

20年... 色々な事があったねとしみじみ話しながらも、子供の時のようにはしゃぎながら、終始ケラケラ笑っている子供たちを見て、片親でも素直に明るく育ってくれたことを私は心から嬉しく、そしてまた、有り難くも思った。




楽しい時間はあっという間に流れてしまい、長男は今朝の便でオークランドを旅立った。
そして、つい今しがた、無事成田に到着したという知らせを受け、皆ほっとしたところである。

「子供たちは皆真っ直ぐに育ってくれたよ」「これからも、ずっとそこから子供たちを見守っていてよね」
彼の人の写真を見ながら、私は心の中で何度も懇願し、眠りについた。




「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...