31.7.24

H がくれた大量のチーズ

 H が働く会社では、先頃行われたフード ショーで余ったチーズを大量にもらったらしく、冷蔵庫内にチーズが占める割合が多くなってしまったようで、要らないかと私にメッセージが来た。

余ったら欲しいと伝えると、その日の夕方、会社帰りに沢山のチーズを持って来てくれた。


Castello (デンマーク)の物は美味しく、そして高価だ。半円状の物で NZ$11〜12もする。
また、Hutchinsons (オーストラリア)のクリームチーズは、スーパーマーケットでNZ$5.80 ほど。

早速、Hutchinsons のトロピカル フルーツ クリーム チーズを食べてみたら、全くと言っていいほどチーズ臭くはなく、非常にクリーミーで美味しかったので、翌日から朝食プレートに数切れ乗って登場することとなった。

ほとんどデザートという位置付けだ。 



以前、足繁く通っていたイタリアン レストラン『ミラノ』では、ブルーチーズを乗せて焼いたピザがすこぶる美味しく、メニューに載っていなくなってからも、常連客の私たちにはシェフが特別に作って出してくれていた。

ブルーチーズは独特な臭みがあり、普段よく食べるというわけではないが、ピザにすると何故あんなに美味しいのだろうというくらい美味しい。

ブルーチーズをいっぱいもらったので、久々に、フラットブレッドに乗せて焼いてみたくなった。




23.7.24

おまけ付き虹




今朝、キッチンでコーヒーを淹れながらふと外を見ると、珍しい虹が掛かっていた。
こんなのを見たのは生まれて初めてだったが、よくある事なのだろうか?



17.7.24

縁起だとか御利益だとか

特別『現実主義』というわけでもないのだが、仏教だとか、神社仏閣だとかとは無縁の生活を送ってきた私は、これまでの長い人生で、縁起を担いで何かを買うとか、お詣りに行くとかいうことは一切無かった。

日本で行われる各種行事のほとんどは、私にとって何の興味もなければ、信じてもいなかったものばかりで、信じてもいないし関わりたくもないことに強制的に参加させられるのは、苦痛そのものでしかないということを、悲しいかな周囲の人々は考えることすらしなかったように見えた。

こちらでも、クリスマス時期に買い物に出掛けると、決まって聞かれる「クリスマス プレゼントショッピングなの?」という問いに、しっかり「違うよ。私は教会のクリスチャンじゃないから」と笑顔で答える。「あぁ、アジア人だからキリスト教じゃないんだ」と納得するのは西洋人で、この家の大家さん(インディアン)に同じ返事をしたら、非常に驚かれたことがあった。
大家さん一家はヒンズー教徒のはずだが、クリスマスはこの国では祝日であるからか、他の人々と同じように祝うようで、信仰というものが結構いい加減なものになっているのだなと感じた。


さて、そんな日本の風俗/習慣に疎い私だが、先日作った麻の葉模様の偽組子の鍋敷きを販売するための説明文を書く際に、この模様が代々『縁起物』として扱われてきたことを書くべきか否かと戸惑った。

かつて、子供が生まれた際に、麻の葉模様の産着を着せていた記憶がある。御利益どうこうなど全く頭に無かったのは明白だし、自分で買った物ではなく頂き物だったのだが、そうやって自分の意思とは無関係に、"日本の伝統" を知らず知らずのうちに受け入れてしまっていたことに、違和感を感じなかったわけではない。
(それをプレゼントしてくれた側も、やはり信心深くはなく、恐らく特別深い意味など無かっただろうが...)


そんなことを考えながら、説明文に何と書こうかとしばし考え、「この模様は麻の葉を図柄化したもので、その植物の栽培は手がかからず、生命力が強いということを踏まえ、日本では昔から、衣服を含め様々な方面で『縁起の良い柄』として使われるようになったようだ」というようなことを書いておいた。

使った板は、3,500 年以上も前の、沼地に浸かったままだった木を掘り起こして出てきた『古代のカウリ』と呼ばれるもので、色も模様も様々な、貴重な物であるが、部分的に脆い箇所があり、切り口がボロッと欠けてしまう恐れがあるので、神経をすり減らしながら、切り口の角を取る作業に時間がかかった。(角を取ってしまえば、ボロボロになる心配は無くなる)

扱いに時間をかけた甲斐があって、いい感じに仕上がった。




8.7.24

物を作って売るということ

 私の身内の中で、自らの手で物を作って販売していた(いる)のは、父方の祖父と、父と、私、そして T しか思い浮かばない。

亡き叔母によると、祖父は色々な物を作って販売していたようで、自宅で作っていた柿渋は、火傷の薬として当時製薬会社が買いに来ていたとのこと。
祖父は大工でもあり、臼と杵も作って売っていたし、猟師でもあるという、誠に多芸な人であったらしいが、『器用貧乏』そのもので、財産を残すことにはてんで興味がなかったがために、その子供であった父は多大な苦労を強いられたのである。

父は祖父から「お前は仕事が丁寧過ぎて満足な日当を稼げないから、勤め人になって決まった報酬を得る方がいい」と言われ、指物師になりたいという夢を捨て、一般企業で定年になるまで働き続けた人だった。仕事が休みの時には大好きな木工をし、家にあったほとんど全ての家具を製作し、また家族を養うべく臼と杵を作って販売もしていた。
父は並外れて器用な人だったし、仕事は一寸の狂いもないほど素晴らしく正確に見えた。
父の製図した図面を見たことがあるが、方眼紙にきっちりと全ての寸法が正確に描かれていて、額に入れて飾っておきたいほど完璧なものであった。

私はというと、家具を作る際にも、手近にある紙(どこからか送られてきた封筒の裏であったりもする)に適当に出来上がり予想図を描いて、測った寸法を書き入れ、(一応計算はしっかりするのだが)それを基に作り始めてしまうという、父の血を継いでいるとは思えない大雑把さだ。( T によく笑われる)

そんな私なのだが、先日スクロールソーを使って作った "組子柄" の鍋敷きは、出来上がった後オイルコーティングをしていた時に、何だか微妙に歪(いびつ)な感じがし、サイズを測ったら案の定サイズに若干の狂い(1〜2mmほど)があって、販売するのをやめた。
機能としては問題ないので、不完全な物として 1 ドルとかで出品しようかともチラッと考えたが、これを(たった 1 ドルででも)売ったら自分の手仕事に汚点が残る。

世に出すものは自信を持てる物のみ。

もちろん 0.1mm も差がないという完璧なものは作れはしないが、次には殆ど狂いのない物を作ることができるよう、時間をかけて細かい製図をし直したところである。


ちなみに、T も作ったものを販売することがあるが、私に輪を掛けた大雑把さで、おそらく T の父親と祖母の血が色濃く出たのだろうと想像している。




4.7.24

孤独を感じたことがある?

 私が最も孤独を感じたのは小学生の時だ。いや、「孤独を感じたのは小学生の時だけだった」と言うべきかも知れない。

田舎の極々小さな小学校では、同じ保育園からの入学者がほとんどで、学区の境目に住んでいた私は、田舎の方の保育園には入れられず、距離的に近い街中の幼稚園に入れられたがために、その田舎の小学校では完全に『よそ者』扱いで、それ故のいじめが小学校生活全般を通して行われたのだ。

陰湿ないじめに遭った小学生はどんな行動に出るか...
当然のことながら精神的に参ってしまい、体調もすぐれなくなる。学校に行くことが耐えられず、病欠すること数知れず...
親に窮状を訴えても、親は親で忙しいため、親身になって相談に乗ってはくれなかった。
加えて、恐らくいじめられた経験の無いだろう教師は、何の助けも差し伸べようとはしなかった。

こんな世界で生きていたくない。大人になったとしても、この日本という国の体質は変わらず、理不尽な世の中のままに違いない。私は中学に入る前に命を失うだろうという思いが、ずっと頭の中にあった。

しかし、予想とは打って変わって、マンモス校と言っても過言ではなかった中学に入学すると、それまで受けていたいじめは一気に無くなり、私は自由の身になった。

そこには周辺の、多くの地域の小学校から集まった生徒たちがいた。
私をいじめて楽しんでいた "井の中の蛙" たちは、いじめる以外に特別才能はなかったようで、すっかり存在感を失い、"表舞台" には登場しなくなっていた。

中学、高校と、身の危険に晒されない環境で過ごせたおかげで、私の暗く、辛い人生は終わった。特に高校時代は良い担任とクラスメイトに恵まれ、学校に行くのがすこぶる楽しかった。

だが時が経ち、結婚し、連れ合いの仕事の関係から、今度は違った市のど田舎に引っ越すと、またもや陰湿ないじめをして喜ぶ輩が少なからずいた。
そこでもやはり私たち家族は 『よそ者』で、理不尽な扱いを当然のこととして強いられた。

連れ合いは臨機応変な人で、全てを笑って済ませていたが、私はどうにも納得できず、非常に居心地の悪い思いをし続けていた。

ゴミ出し一つ取っても、連れ合いが出しに行った日には、「あの家はゴミ出しを旦那さんにやらせているんだよ。いい気なもんだね。」と陰口を叩かれる始末... 
誰に迷惑をかけているわけでもないことを、他に楽しみが無いと見えて、大袈裟に騒ぎ立てる。しかもご丁寧に、ありもしないことを想像だけで尾鰭をつけるという悪質さをもってだ。

小学校の時も、またそのど田舎の年取ったいじめっ子に遭遇してしまった時にも、周囲の人々は火の粉が自分に降りかかるのを恐れて、いじめる側に小判鮫の如くくっついていた。日本では有る有るの光景だ。


いじめる以外に何の取り柄も無いに違いない、"悪意の塊" にしか見えない人々は、狭い狭い『井の中』でだけ大腕を振って暮らせるのだ。
そんな『井の中』に一緒に居続ける必要など全く無い。探せば他に居心地の良い場所はいくらでもあるだろう。だが、日本以外でだ。
彼の人(連れ合い)が突然この世から消えてしまった後は、もう日本になど未練は無かった。


他人をいじめて喜ぶ輩と、その小判鮫...  私はどちらに対しても嫌悪感を抱いてしまう。
善悪の判断をすることなく、自分の利益だけしか考えていない小判鮫どもは、いつその "特技" を身につけたのだろうか?小学校に上がって早々からその特技を発揮できるということは、幼稚園/保育園で習得する技のように思えて仕方がない。

とある YouTube チャンネルで、海外に住みながら日本人コミュニティに在籍している人々の "付き合い" がどのようなものかを垣間見た時、吐き気を催すほどの嫌悪感に襲われ、最後まで観ることなく消してしまった。
何かを行う際、"ボランティア" だと銘打っておきながら、実際は強制以外の何物でもなく、どんな理由があるにせよ、他の人たちと同じように行動しなかった人を排除あるいは陰険ないじめで対処するようになる。
海外で海難事故のため行方不明となってしまった夫の捜索から帰って間もない妻に、「あなたは今週廃品回収の当番だからね」と、平気で言ってこれる、血も涙も、想像力のかけらも無い輩と同じように、私には見えて仕方がない。しかも、その輩は、行方不明の状態と死亡との区別さえもできなかったと見え、「あの人は死亡保険金がガッポリ入ってウハウハだね」と、ニヤニヤしながら他の村人たちに吹聴して回っていたりして、自身の愚かさに拍車をかけていたことを知った時には、呆れてものが言えなかった。


正義感が育ち難い国。
私は多くの経験を通して、日本をそのような国だと認識するに至った。

土居健郎の『「甘え」の構造』という本を読めば、日本で生活する上で必要な "技" を理解することができるだろう。
しかし、理解はしても、習得することが性格的にできない人々は、たとえ歳をとったとしても、日本で生活する道を選びはしないだろうと思った。




2.7.24

Hobson Bay Walkway その2


このエリアはこれまで数えきれないほど訪れているのだが、遊歩道を歩くのは初めてだった。


画面中央の木が生い茂っている部分には、かつて家が建っていた。だが、昨年 1 月末にオークランドを襲った大洪水によって家の背面が崩れ、家に流れ込んだ土砂によって家が倒壊。悲惨なことに、家の住人 1 人が犠牲になるという、居た堪れない事故が起きてしまった場所である。
よく見ると、崖の上の住宅の一部はいまだ崩れたままで、これでは大雨が降る度に上に住む人も、また下に住む人も、生きた心地がしないだろう。

T とそんな話をしながら、極めて人通りの少ない遊歩道を先に進むと、いつも通る道路側からは想像もできなかった木のトンネルがあった。


そして、トンネルを抜けると、景色を眺めるために設置されたのだろうと思われるベンチがあったが、そこから見えるのは、生い茂り過ぎたマングローブの海...


全く綺麗ではないマングローブにガッカリしながら足を先に進めると、綺麗な形をした大木を発見。


『水質が安全ではないため遊泳禁止』と書かれた入江に入ることができる階段が設置されていたが、ここも近い内にマングローブに埋め尽くされてしまうかもしれない。


マングローブが無かったら綺麗だっただろうと思われる景色が続く。





画面上の橋の左側は、画面下のようになっていて、その奥には Holy Trinity Cathedoral に続く坂道がある。その道の裏側がこんなふうになっていることなど想像だにしていなかった私たちには新鮮な驚きだった。


入江に沿って設けられた遊歩道を歩いていくと、いきなりビーチに出た。



遊歩道を検索した際、地図上で点線になっていた部分がこれだったんだと納得。


「これって歩いて行けるようになっているの?」と、少々戸惑いながら、しっかり並んでないブロックを恐る恐る踏んで、グラつかないかを確かめながら進んで行くと...

行く手を阻むほぼ水平に伸びているかのような木...


無理して屈んで通ったら腰を痛めるかもしれない、しかも、その先がどうなっているのかわからないしと、この先に行くのは断念し、来た道を帰ることにした。





出発地点のだだっ広いラグビー フィールドは綺麗に整備されていた。

ずっと以前だが、ここで NZ ラグビー界では最も有名な選手の一人である D.C がよく練習をしていたようで、自己トレーニングの後、その公園に来ている寿司トラックで寿司を買って帰ったことが度々あったと聞いたことがある。



見慣れた景色の向こう側に広がる世界は、ちょっと面白かった。




「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...