4.7.24

孤独を感じたことがある?

 私が最も孤独を感じたのは小学生の時だ。いや、「孤独を感じたのは小学生の時だけだった」と言うべきかも知れない。

田舎の極々小さな小学校では、同じ保育園からの入学者がほとんどで、学区の境目に住んでいた私は、田舎の方の保育園には入れられず、距離的に近い街中の幼稚園に入れられたがために、その田舎の小学校では完全に『よそ者』扱いで、それ故のいじめが小学校生活全般を通して行われたのだ。

陰湿ないじめに遭った小学生はどんな行動に出るか...
当然のことながら精神的に参ってしまい、体調もすぐれなくなる。学校に行くことが耐えられず、病欠すること数知れず...
親に窮状を訴えても、親は親で忙しいため、親身になって相談に乗ってはくれなかった。
加えて、恐らくいじめられた経験の無いだろう教師は、何の助けも差し伸べようとはしなかった。

こんな世界で生きていたくない。大人になったとしても、この日本という国の体質は変わらず、理不尽な世の中のままに違いない。私は中学に入る前に命を失うだろうという思いが、ずっと頭の中にあった。

しかし、予想とは打って変わって、マンモス校と言っても過言ではなかった中学に入学すると、それまで受けていたいじめは一気に無くなり、私は自由の身になった。

そこには周辺の、多くの地域の小学校から集まった生徒たちがいた。
私をいじめて楽しんでいた "井の中の蛙" たちは、いじめる以外に特別才能はなかったようで、すっかり存在感を失い、"表舞台" には登場しなくなっていた。

中学、高校と、身の危険に晒されない環境で過ごせたおかげで、私の暗く、辛い人生は終わった。特に高校時代は良い担任とクラスメイトに恵まれ、学校に行くのがすこぶる楽しかった。

だが時が経ち、結婚し、連れ合いの仕事の関係から、今度は違った市のど田舎に引っ越すと、またもや陰湿ないじめをして喜ぶ輩が少なからずいた。
そこでもやはり私たち家族は 『よそ者』で、理不尽な扱いを当然のこととして強いられた。

連れ合いは臨機応変な人で、全てを笑って済ませていたが、私はどうにも納得できず、非常に居心地の悪い思いをし続けていた。

ゴミ出し一つ取っても、連れ合いが出しに行った日には、「あの家はゴミ出しを旦那さんにやらせているんだよ。いい気なもんだね。」と陰口を叩かれる始末... 
誰に迷惑をかけているわけでもないことを、他に楽しみが無いと見えて、大袈裟に騒ぎ立てる。しかもご丁寧に、ありもしないことを想像だけで尾鰭をつけるという悪質さをもってだ。

小学校の時も、またそのど田舎の年取ったいじめっ子に遭遇してしまった時にも、周囲の人々は火の粉が自分に降りかかるのを恐れて、いじめる側に小判鮫の如くくっついていた。日本では有る有るの光景だ。


いじめる以外に何の取り柄も無いに違いない、"悪意の塊" にしか見えない人々は、狭い狭い『井の中』でだけ大腕を振って暮らせるのだ。
そんな『井の中』に一緒に居続ける必要など全く無い。探せば他に居心地の良い場所はいくらでもあるだろう。だが、日本以外でだ。
彼の人(連れ合い)が突然この世から消えてしまった後は、もう日本になど未練は無かった。


他人をいじめて喜ぶ輩と、その小判鮫...  私はどちらに対しても嫌悪感を抱いてしまう。
善悪の判断をすることなく、自分の利益だけしか考えていない小判鮫どもは、いつその "特技" を身につけたのだろうか?小学校に上がって早々からその特技を発揮できるということは、幼稚園/保育園で習得する技のように思えて仕方がない。

とある YouTube チャンネルで、海外に住みながら日本人コミュニティに在籍している人々の "付き合い" がどのようなものかを垣間見た時、吐き気を催すほどの嫌悪感に襲われ、最後まで観ることなく消してしまった。
何かを行う際、"ボランティア" だと銘打っておきながら、実際は強制以外の何物でもなく、どんな理由があるにせよ、他の人たちと同じように行動しなかった人を排除あるいは陰険ないじめで対処するようになる。
海外で海難事故のため行方不明となってしまった夫の捜索から帰って間もない妻に、「あなたは今週廃品回収の当番だからね」と、平気で言ってこれる、血も涙も、想像力のかけらも無い輩と同じように、私には見えて仕方がない。しかも、その輩は、行方不明の状態と死亡との区別さえもできなかったと見え、「あの人は死亡保険金がガッポリ入ってウハウハだね」と、ニヤニヤしながら他の村人たちに吹聴して回っていたりして、自身の愚かさに拍車をかけていたことを知った時には、呆れてものが言えなかった。


正義感が育ち難い国。
私は多くの経験を通して、日本をそのような国だと認識するに至った。

土居健郎の『「甘え」の構造』という本を読めば、日本で生活する上で必要な "技" を理解することができるだろう。
しかし、理解はしても、習得することが性格的にできない人々は、たとえ歳をとったとしても、日本で生活する道を選びはしないだろうと思った。




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