8.7.24

物を作って売るということ

 私の身内の中で、自らの手で物を作って販売していた(いる)のは、父方の祖父と、父と、私、そして T しか思い浮かばない。

亡き叔母によると、祖父は色々な物を作って販売していたようで、自宅で作っていた柿渋は、火傷の薬として当時製薬会社が買いに来ていたとのこと。
祖父は大工でもあり、臼と杵も作って売っていたし、猟師でもあるという、誠に多芸な人であったらしいが、『器用貧乏』そのもので、財産を残すことにはてんで興味がなかったがために、その子供であった父は多大な苦労を強いられたのである。

父は祖父から「お前は仕事が丁寧過ぎて満足な日当を稼げないから、勤め人になって決まった報酬を得る方がいい」と言われ、指物師になりたいという夢を捨て、一般企業で定年になるまで働き続けた人だった。仕事が休みの時には大好きな木工をし、家にあったほとんど全ての家具を製作し、また家族を養うべく臼と杵を作って販売もしていた。
父は並外れて器用な人だったし、仕事は一寸の狂いもないほど素晴らしく正確に見えた。
父の製図した図面を見たことがあるが、方眼紙にきっちりと全ての寸法が正確に描かれていて、額に入れて飾っておきたいほど完璧なものであった。

私はというと、家具を作る際にも、手近にある紙(どこからか送られてきた封筒の裏であったりもする)に適当に出来上がり予想図を描いて、測った寸法を書き入れ、(一応計算はしっかりするのだが)それを基に作り始めてしまうという、父の血を継いでいるとは思えない大雑把さだ。( T によく笑われる)

そんな私なのだが、先日スクロールソーを使って作った "組子柄" の鍋敷きは、出来上がった後オイルコーティングをしていた時に、何だか微妙に歪(いびつ)な感じがし、サイズを測ったら案の定サイズに若干の狂い(1〜2mmほど)があって、販売するのをやめた。
機能としては問題ないので、不完全な物として 1 ドルとかで出品しようかともチラッと考えたが、これを(たった 1 ドルででも)売ったら自分の手仕事に汚点が残る。

世に出すものは自信を持てる物のみ。

もちろん 0.1mm も差がないという完璧なものは作れはしないが、次には殆ど狂いのない物を作ることができるよう、時間をかけて細かい製図をし直したところである。


ちなみに、T も作ったものを販売することがあるが、私に輪を掛けた大雑把さで、おそらく T の父親と祖母の血が色濃く出たのだろうと想像している。




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