31.8.25

コリント第一 10章

13  人に共通でない誘惑があなた方に臨んだことはありません。しかし、神は忠実であられ、あなた方が耐えられる以上に誘惑されるままにはせず、むしろ、あなた方がそれを忍耐できるよう、誘惑に伴って逃れ道を設けてくださるのです。

23   すべての事は許されています。しかし、すべての事が益になるわけではありません。すべての事は許されています。しかし、すべての事が築き上げるわけではありません。



苦しい時の神頼み...

極度の不安に苛まれ、一睡もできなかった夜、不安を拭いされるならと、"天敵" にLINE で連絡を取ってみた夜中の 3:00...
今どこにいるのかを尋ねると、彼はタイに居るとだけ答えた。(タイは夜 10:00)

滅多に自分から連絡を取ることの無い私が、しかもそんな時間に連絡をして来るなど、何かあったに違いないとはおそらく考えなかったのだろう、その後、何を聞いて来るでもなく、彼との精神的な深い隔たりを、あらためて強く実感してしまうこととなった。


翌日、日本に住む長男から別件で連絡が入り、皆元気でいるかという問いに、実はこんなことがあって...  と打ち明けると、長男は一生懸命に対策を考えてくれ、私の心を労わろうとしてくれていた。
夕方になり、おそらく、長男が私の恐怖心を消し去ってくれるよう努力してくれたのだろうと思われる変化が感じられ、私は恐怖のどん底から一歩出られたように思えた。


神は『逃れ道』を設けてくださった...

それは天敵に助けを求めても得られるものではなかったことは明白で、身内にしか解決できなかったことであることは、疑う余地はない。

天敵に私の恐怖心を明かしても、それはただの『逃避』でしかなかったのだ。

私はまた、自分からは連絡することのない "冷酷な" 知人に戻ることになるだろう。





26.8.25

几帳面?

 日本に居た時、洗った食器を乾燥棚に乗せて行き、洗い物を終えた途端、姉が言った。

「綺麗に並べたね」

それを見ていた姪にも、義兄にも「ほんと綺麗」と言われ、何も考えずに洗い物をしていた私は、「えっ そう???」と半信半疑状態...

母のトイレ介助で、トイレットペーパーを畳んで母に渡した私に向かって、「綺麗に畳んだね」と笑っていた姉... 
その時も何も考えていなかった私。

以前、ランチに来た H が、自分が食事を終えて使った皿やらコップやらを皿洗機に入れるべく扉を開けた途端、「すごい綺麗に並べてある!」と、洗う予定で入れてあった食器類を見て言った。
「そうか??? 別に気にしてなかったけどな」と私が言うと、H はもっと乱雑に放り込んで良しとしていると...


何気ない日常の所作が『几帳面』と言われる私は、一般的に几帳面と言われる部類に入るのだろうか?

一緒に住んでいる T にその話をすると、全くそうは思えないけどねと大笑いしていた。

決して "病的に" 几帳面では無く、綺麗好きでも無く、けっこう(かなり)面倒臭がりで、几帳面さを発揮するのは工作をする場面に於いてだけだとずっと思い込んでいた私だが、側から見ると、日常生活においても案外几帳面だったりするのかも知れないなと、最近思い始めた次第である。


反対に、かなり几帳面だと私たちは信じて疑わなかった H のパートナー R だが、故郷であるネザーランドに短期間旅行に行くというので、もうすっかり支度は整っているだろうと思えたフライトの 5 時間前あたりに、「道中気をつけて行ってきてね」と伝えてくれるよう H にメッセージを送ると、R はいまだに買い忘れたものを買いに出掛けたりなんぞしていて、あたふたし続けているのだとか...  H はそれを見ているだけでかなりのストレスだと嘆いていた。

人は見かけではわからないものである。



そんな『几帳面』と見られている私であるが、最近木工作業中に、全く集中できず、これまではコンマ何ミリの誤差を気にし、納得のいくまで作業の手を休めなかった自分がまるで嘘のように、「あ〜 面倒臭い」と中断すること数知れず...

それでも、自分が納得できないものを仕上げる気にはならないという性格が祟って、作業から離れている時間が長くなるばかり。恐ろしく効率の悪い仕事ぶりである。


これが歳をとるということか...

そんなことを考えながら、(私に取っては)木工ほどには集中力を要さない編み物をして一日を終えるという日の繰り返し。





頼まれたもの(木製品)を早く作らなくてはという強迫観念に苛まれながらも、肉体的にも精神的にも動けないというのは、実に歯痒いものである。






24.8.25

シェルビー コブラに乗る、実は素朴な?お隣さん

 数日前、我が家の住所宛だが見知らぬ人宛ての荷物が届いた。

同じストリート名、同じ番地でも全く違う地方だったり、〇〇ストリートではなく〇〇ロードだったりと、紛らわしい場合があるので、私と T、そしてたまたまランチに来た H も、てっきりその手の間違いだろうと想像していた。


配達したポスト オフィスに連絡する前に、宛名に添えられていた電話番号にテキストを送ってみようという事になり、届いた荷物の写真と共に、「我が家にこれが届きましたが、あなた宛ての荷物で間違いありませんか?」と、H が私の携帯電話から連絡をしてくれた。

受信した人からはすぐに、「自分宛ての荷物に間違いない。住所を間違えて申し訳ない」と返事が来たのだが、別に教えてくれなくてもいい中身の情報まで書いてあって、H と私は笑ってしまった。

荷物を取りに来れるかどうかを尋ねると、「Yes, I'll be home in about 3/4 hr, thank you」との返事...

3/4 hr って、何??? 45分のこと???(そんな言い方するか?)もしくは 3 〜 4 時間のこと?? 
家に戻るのはいいけど、ここに取りに来るのはいつ????

と、私たちは?が点灯しっぱなし。

H が、「近くに住んでいるのか」と聞いて、ようやく正しい荷物の配達先はお隣(〇〇ストリート〇〇番地 - A)だったことが判明したというわけだ。

A まで忘れずにしっかり書こうよ...


引っ越して来てから一度も挨拶すら交わしたことの無いお隣さんは、何度も何度も誤り、また、ありがとうとも言ってくれていたが、何とも笑えるやり取りだったことを、仕事から帰宅した T にも話すと、やはり、「中身、別に言わなくてもいいし」と爆笑。


何かちょっと素朴な感じを受けたお隣さんは、(セキュリティ上より安全に違いないと確信できる)我が家の玄関先に置いておいた荷物を、黙って持って帰った。


そんなわけで、お隣さんとは未だ一度も話をしていない。







14.8.25

私が作るのは大量生産品ではなく、私は奴隷でもない

 天敵が、おそらく私に収入を得させようとしてのことだろうとは思うが、私が以前作ったステンドグラス スタジオのサイン(天敵が名付け親)を、知り合いになった同じ名前の女性が欲しいと言っているのだが、売る気はあるか?と聞いて来た。

あのサインには深い思い入れがあるから、売る気はないと返事をすると、それでは新しく作ってくれるかと言う...

金額はいくらくらいになるかと聞かれ、サイズとデザイン、使用するガラスの価格によって違ってくるので、一様にいくらとは返事ができない旨を話すと、ステンドグラスについてはほぼ何も知識が無いと思われる彼は、「最も安いガラスで、サイズも小さなものでいい」と言って来た。

デザインに要する時間も、ガラスを一片一片 手でカットし、その後エッジをグラインダーで削る手間も、デザイン通りに形を整えたガラス片の周囲に銅のフォイル(粘着テープ)を巻き、それを木べらでしっかり密着させる作業がどれだけの時間を要するかも、彼はきっと何も考えていないだろうと察しが付いた。

ハンダ付けをする際にも、ハンダを銅のフォイルの表面に乗せるだけではなく、接着面全体に行き渡るように注意しながらの作業になり(裏面にハンダが流れ出すように熱を加えるのが正解 ー そうしないと接着面が脆く、崩れ易くなる)、簡単に見えるかもしれないが、強度を保つのと同時にハンダ面を綺麗に整えるのに、結構神経を使うのだ。しかも、ハンダの価格は信じられないほど高いときている。


私は、彼が安く手に入ると踏んでいただろうことに無性に腹が立ち、材料費はいくら位で、レイバー フィーはいくら位になると思うよと、彼が驚くだろう金額を伝えた。
(それでもレイバー フィーはかなり安く見積もってあり、おそらく最低賃金の半分以下になるはずだ)

彼は、その女性に連絡を取ってからまた返事をすると言っていたが、その高額なパネルを送るのに更に高額なイスラエルまでの輸送費がかかることを想像できる人であれば、十中八九、注文はしてこないだろう。



自分を卑下してまで手に入れたい仕事ではない。


これまで、既製の物を右から左に動かして収入を得るというビジネスをして来た天敵には、一つ一つ自分の手で時間をかけて作った物を、細々と売って家計の足しにしている私のような者の心情は分かりかねるのかも知れない。


「いつか分かり合える時が来るよ」


20 年近く前に彼が空港で言った言葉を思い出し、「そうかな?」と、今でも思ってしまう自分がいる。





7.8.25

私が死んだらこれを着せて...

 昨日、姉から Line に連絡が来た。

母が転倒して大腿骨を骨折し、車椅子生活を送らざるを得なくなるまで住んでいた離れを、母亡き後ずっと姪っ子が片付けてくれていたらしいのだが、数多の山積みになった荷物をようやく一掃してたどり着いた洋服ダンス(かつて父が手作りしたもの)を開けたら、こんなものが出て来てビックリだったということで、添付されてきた写真を見て、私も思わず目を見開いてしまった。

送ってくれた写真には、離れの奥まった所にあった洋服ダンスの、その扉の内側にテープで貼られた紙が写っていて、母の直筆で「〇〇(母の名前)が死んだら 引き出し一番上にある服とスカート着せて」と書かれていた。

母にしては珍しく、書かれた日付が明記されておらず、いつ用意したものなのか誰にもわからないのだが、自分が死んだ時に着る服まで用意していたのかと、老いていく事の切なさをひしひしと感じてしまった日であった。

そのようなメモの存在など全く知らされていなかった姉は、母自身も書いたことを忘れていたと思うよと言っていたが、母のかつて抱いていた願いは、母亡き後 7 ヶ月半を経てようやく発見され、叶わなかった希望は虚しく幕を引いた。


姉からは、上記に加えて暑くてたまらない日々の様子が送られてきたが、私のかつて住んでいた市が外気温 41.4 ℃を記録したというので、私も T も、そして H も、そんな中じゃ生きていけないと目を丸くして驚いてしまった。

姉は、一日に 3 個もアイスを食べてしまった、冷凍庫にはぎっしりアイスが詰まってるよと、尋常でない暑さに熱中症気味になって慄いていることを書き連ねていて、おまけに降雨量が極端に少なく、駐車場脇に作った小さな畑に出てきた紫蘇の水やりが大変だと綴っていた。今年はきゅうりもナスも、何も植えていなかったのは幸いだったと...
日本にずっと住んでいても、近年の暑さは尋常ではなく、正に命の危険に晒されているのだ。



... そんな話を室温 11 ℃ のベッドの中で聞いていた時、別の人からメッセージが届いたという通知音がした。
先日 Line アカウントを共有したばかりの "天敵" が、律儀に、長い時間を経ても再会できたことを本当に嬉しく思っているとメッセージをくれたのだ。

私がどう返したかを聞いた T は思わず吹き出した。

喜んでいるステッカー(絵文字)をただ送っただけ...

きっと、彼もそれを見て吹き出していたことだろう。





6.8.25

" 天敵 "

 2013 年 2 月初旬から数日前まで、同じ市内に住んでいただろうに、どこかで鉢合わせることも、電話をすることも一度も無く、この 12 年、お互いの近況も全く知らずに、全く別の人生を歩んできた "天敵" と私...

今月 2 日午後、携帯電話が鳴り、画面に表示された番号を見て、「あれ?この番号知ってるかも...」と瞬時に思ったものの、誰の番号か咄嗟には思い出せなかった。

何の用事でかけてきたのだろうかと思いながら、「Hello」と言った私に、おそらく一生忘れることのないだろう声が返答した。そこでようやく、あぁ、この番号は "天敵" の番号だったと思い出した。

「Hi, 〇〇だけど覚えてるかい?」

「もちろん覚えてるよ」

天敵はまず、こうして電話をかけることになったきっかけから話し出した。
最近何かの用事で会ったグループの内の一人が、偶然にも私につけてくれたヘブリュー名と同じだったことから、その女性にそのいきさつを話したのだそうだ。(相変わらず話好きだな)
話をしている内に当時の記憶が甦り、懐かしさと同時に、私がどうしているかと気になってしまい、以前私が渡したビジネス カードを探し出して連絡してきたということらしい。

彼は、長年主として経営していたフード ビジネスを終い、今はリタイア人生を送っていること、引っ越して別の地域に住んでいること、息子は私の家からほど近い所でアート関連の仕事をしていること、そして自分は 5 年前に離婚したこと等々をとめどなく話していた。

長い年月続けて来たフード ビジネスを畳んだことも驚いたが、離婚していたことには尚驚いた。
再婚したのかと聞いた私に、独身のままだと...

私よりも随分若いとはいえ、その年になって一人暮らしはキツかろうと私なんぞは思ってしまうのだが、実際のところはどうなんだろう?


「近いうちにお茶でも飲みに行かないか?」というので、無下に断るのも気が引けて、来週なら時間が取れるよと返事をした。
「私を見たらきっと驚くよ。見かけが完全にお婆さんだからね」と笑う私に、彼も、私も彼を見て驚くと思うよと笑っていた。「会っても誰だかわかるかな?」と以前のままの掛け合いに、お互い笑ってばかりいた。

だが、電話を切った後から、私は次第に落ち着かない気持ちになり、眠れない夜を、娘にもらったヘネシーを飲みながら過ごすハメになってしまった。

今の私の暮らしは 、T とH と、そして H のパートナー R との、極々限られた人間関係のみで成り立っていて、とても穏やかだ。
友達と出かけることもなく、木工やら編み物やら、H に頼まれた縫い物やらをしながら、パンを焼いたり、お菓子を作ったり... 他人に左右されない日々を過ごしすぎたせいか、買い物以外で外に出るのが億劫に思えてしまうのだ。

落ち着かないのは、相手が "天敵" だからではなく、ただ出かけるのが面倒だということかも知れない。

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そんなこんなで、12 年振りの再会となった昨日正午、我が家に迎えに来てくれた "天敵" は、ガンメタのベントレーの運転席で満面の笑みを浮かべて私を迎えてくれた。

かなり痩せてはいたが、ケビン コスナー似の目(似ているのは目だけ)は当然変わらず、口元も以前のままだった。見間違うほど痩せたというわけではなかったのは幸いだった。

形は素晴らしくいいのだが、乗り降りする際に何だか狭く感じるベントレーに乗り込むと、シートが温かくて感激。

ランチは彼の新しい住まいがある近くのボート ハーバー沿いのレストランで取ろうということで、連れて行ってくれたのはタイ レストラン。
中にはリタイアメント ホームの住人の集まりかとついつい想像してしまう集団がいて、騒ぐこともなく会話を楽しんでいたが、私たちが店に入る前から、ガラス越しに私たちをチラチラと幾度となく見る人が何人かいた。
以前から天敵と私は異質な感じがするとよく言われていたが、多分今でもそうなのだろう。
「あの人たち、どんな関係?」と想像させてしまうような風貌の取り合わせなのだろう。

魚は好きだけれど、フィッシュソースは苦手な私は、「何を食べる?」と言われ、即答で Deep Fried Tohu にすると... マンゴー ジュースも頼んだ。

彼は以前では考えられないほど少量の食事で十分だということで、食事はすぐに終わったが、しばらく店の中で話をし、その後ハーバーに出て、小雨の降る中、彼の所有するボートを岸から眺め、「夏になったらクルーズしような」と誘ってくれた彼に、「いやー、絶対行かない」と即答。「船酔いするのか?」と大笑いしながら、薬飲めば大丈夫だからと言い続けていたが、幼少期に母に連れて行かれた『栄螺(サザエ)の壺焼きを食べに行くツアー』で激しい船酔いの悪夢に晒され、サザエどころではなかった記憶が甦り、ボートになんか絶対に乗らないぞと、再度心に誓ってしまった瞬間であった。

その後、その周囲の絶景ポイントを案内してくれ、家でお茶でも飲みながら積もる話をしようじゃないかということで、案内された家には、かつて私が作ってプレゼントした、エルサレムのドームを模った、ステンドグラスのビジネスカードホルダーが、他の調度品と共に置かれていて、私の名刺もそこにあった。(今見ると、どちらもしょぼいなと思ってしまう)




昨日からキッチンにアリが出始めたというので、シナモンを撒いておくと来なくなるよと言ったのだが、当然常備しているだろうと思っていたシナモンは持っておらず、クローブの粉末じゃだめかな?とクローブを撒く天敵...
クローブは全く効果がないようで、彼は次にベーキング ソーダはどうかな?とやってみると、アリたちは見る見る弱って行った。

しばらく 2 人してアリと格闘し、入れてもらったお茶を飲みながらお互いの今の暮らし、そしてこれからのことを延々と話していた。

彼は電話ではリタイア生活を送っていると行っていたが、やはり生粋のビジネスマン。
今は NZ 国内とタイランドに数え切れないほどの不動産を保有していて、他にも手を拡げるべく常に思いを巡らしているようだった。

生活に困窮しつつある私とは別世界に住んでいる人のようにしか思えない。

そんな人なので、お金目当てに言い寄ってくる女性も多いらしく、魂胆が見え透いててうんざりだと話していた。
そんな人が多い中、出会ってからこれまで一度たりとも甘い汁を吸おうと目論んだことも、好条件のオファーを受け入れたこともなく、それどころか、いつも彼のビジネスに有益なことを無償で提供してくれていたと、私の "プライドの高さ" を高く買ってくれていたのが、今回よくわかった。(会えば喧嘩ばかりしていたが...)

1 年の内半年は行っているというタイでは、食費が 1 日 $5 もあれば充分だというので、それはかなり魅力的だねと反応すると、タイだったら綺麗な新築の家をプレゼントしてくれると言う...  
ただ、タイに移り住むとなるとビザの問題と、それをクリアしたとしても NZ の老齢年金はもらえなくなるから、それだけがネックだなと、彼は一人で考え込んでいた。
いや、それよりも前に、私ではなく、私を常にサポートしてくれている T の生活のことを先に考えたいんだと、私は彼の思考を遮った。

「息子が世帯を持ったらどうするんだ?」と聞いてきた彼に、「そうしたら私の役目は終わる」と笑って答えるにとどまった。


お尻にホッカイロを当てられたくらい温かい(少々熱かった)ベントレーで家まで送り届けてもらう間も話し続け、別れ際に、「それじゃ、また 10 年後!」と笑って言った私に、「 1 年後、いや、1 ヶ月後にまた会おうな」と笑っていた。

私はただただ、彼が次に会う時も元気でいてくれることを願うのみだ。


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最近になって、フリーランサーとして生活している T のところに、フルタイムの仕事を受ける気があるかと問い合わせが来た。国内でもトップクラスの、ビリオン ダラー カンパニーの求人である。
シニアの年収は日本円にして 1 千万円近くになるというので、とりあえず CV(履歴書)は送っておいたとのこと。
CV を送った後で、今度は 5 週間のフリーランスの仕事が入ったらしく、一日 4 万円以上の収入ということで、引き受けることにし、今日から働きに出ている。


私の周りで何かが動き出した気がして、それがどのような展開になっていくのか、楽しみでもあり、不安でもあり...

まぁ、人生、成るようにしかなっていないのだから、私がどう足掻いてもどうしようもないのだろうな。





誕生した時間

日本にいる R (第一子)の誕生日を迎えた今朝、当時の記憶が蘇ってきた。 私はその数年前まで、そこ(市立総合病院)の医事課で働いていたため、元同僚やら顔見知りの看護婦さんたちがまだ働いており、特に親しかった知人たちは、私が分娩室から出て来るのを待っていてくれたのだ。 歯を食いしば...