日本に居た時、洗った食器を乾燥棚に乗せて行き、洗い物を終えた途端、姉が言った。
「綺麗に並べたね」
それを見ていた姪にも、義兄にも「ほんと綺麗」と言われ、何も考えずに洗い物をしていた私は、「えっ そう???」と半信半疑状態...
母のトイレ介助で、トイレットペーパーを畳んで母に渡した私に向かって、「綺麗に畳んだね」と笑っていた姉...
その時も何も考えていなかった私。
以前、ランチに来た H が、自分が食事を終えて使った皿やらコップやらを皿洗機に入れるべく扉を開けた途端、「すごい綺麗に並べてある!」と、洗う予定で入れてあった食器類を見て言った。
「そうか??? 別に気にしてなかったけどな」と私が言うと、H はもっと乱雑に放り込んで良しとしていると...
何気ない日常の所作が『几帳面』と言われる私は、一般的に几帳面と言われる部類に入るのだろうか?
一緒に住んでいる T にその話をすると、全くそうは思えないけどねと大笑いしていた。
決して "病的に" 几帳面では無く、綺麗好きでも無く、けっこう(かなり)面倒臭がりで、几帳面さを発揮するのは工作をする場面に於いてだけだとずっと思い込んでいた私だが、側から見ると、日常生活においても案外几帳面だったりするのかも知れないなと、最近思い始めた次第である。
反対に、かなり几帳面だと私たちは信じて疑わなかった H のパートナー R だが、故郷であるネザーランドに短期間旅行に行くというので、もうすっかり支度は整っているだろうと思えたフライトの 5 時間前あたりに、「道中気をつけて行ってきてね」と伝えてくれるよう H にメッセージを送ると、R はいまだに買い忘れたものを買いに出掛けたりなんぞしていて、あたふたし続けているのだとか... H はそれを見ているだけでかなりのストレスだと嘆いていた。
人は見かけではわからないものである。
そんな『几帳面』と見られている私であるが、最近木工作業中に、全く集中できず、これまではコンマ何ミリの誤差を気にし、納得のいくまで作業の手を休めなかった自分がまるで嘘のように、「あ〜 面倒臭い」と中断すること数知れず...
それでも、自分が納得できないものを仕上げる気にはならないという性格が祟って、作業から離れている時間が長くなるばかり。恐ろしく効率の悪い仕事ぶりである。
これが歳をとるということか...
そんなことを考えながら、(私に取っては)木工ほどには集中力を要さない編み物をして一日を終えるという日の繰り返し。
頼まれたもの(木製品)を早く作らなくてはという強迫観念に苛まれながらも、肉体的にも精神的にも動けないというのは、実に歯痒いものである。


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