19.5.13

仕事か趣味かと聞かれたら...

『あなたは前世では日本人であったに違いない』とfacebookにメッセージを送ってよこした人から、久しぶりに短いメッセージが届いた。

「ぼく達、いつ会える?」と。

何とも唐突な質問に笑いながら、私はこう答えた。
「今作っている蝶が、羽根を羽ばたかせて標本箱から出た時に」と。

すると彼は、
「羽ばたかせるようにリクエストする」と、すぐに返事をよこした。

私はそれに対して何と答えようかとしばらく考えていたが、どうにも答えが見つからず、
「 :) 」とだけ打って返信した。

『今作っている蝶』はガラス製だから物理的に飛ぶわけは無い。しかも、標本箱入りだ。だが、見る人の感性によっては羽ばたいて見えるかも知れない。まるで絵に描かれた情景が浮かび出て、あたかも目の前に実在するかのような錯覚に陥る瞬間と同じように。

こちらで知り合ったある日本人の女性は、先日私のアイコンとも言える桜のランプを見た瞬間鳥肌が立った。彼女はそれを見て何かを感じたのだ。

前述の男性はヨガや瞑想といったスピリチュアルな世界に住んでいるらしく、彼もやはり私の作品を見て、By chance tripped by this profile; and stand speechless by the works exhibited here. The sense of depth and expression is very special. と最初のメッセージに書いてきた。
彼もまた、私が掲載した作品の写真を見て、その『深いところ』を見てくれたのだ。


私は奇を衒ったものをあえて作ろうとは思わない。奇想天外なものには興味が無く、これで金儲けをしてやろうという気も、有名になりたいという気もなく、ただただ自分の思いをどのようにして表現しようかと、そんなことばかりを考えて作っている。

少し前、マフムートに、グラスワークは仕事か趣味かと聞かれて、「仕事というのは収入が伴うものという定義がなされるべきものならば、私の作業は単なる趣味と言う他はない」と答えたのだが、その通りなのだ。

この作品を作るのに諸経費が幾らかかり、時間がどれほどかかり、幾らで売れると金勘定ばかりしていたら、とてもじゃないが作品作りなどしていられない。
また、他人にどう見られるかをいつもいつも気にして、『世間に認められなければならない』といういわば強迫観念のようなものに縛られながら、自由な発想の作品がどうして作れよう。

私は自分の感性で作りたいものを作る。だから、この制作活動を"仕事"にはしない。

これは私の"生き方"だ。

生活の糧を得る為の "仕事" とは別物だ。






0 件のコメント:

コメントを投稿

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...