21.3.15

終わらないものはない

流行の曲が其処彼処で流れているのはわかる。

行く所、行く所で同じ曲を耳にすると、「売れているんだ」と、人はただ単にそう思うだけかも知れない。
だが、西洋で流行した曲が、そんな曲が流行っていそうも無い日本の寂れた田舎町で流れていたりすると、(たとえ流行の曲であっても)やけに印象深く心に焼き付き、一人心の中でつぶやいてしまう。

何故なんだ?
何故この曲が、しかも、正に自分がその場所に足を踏み入れた途端に流れ出したりするのだ...

長い人生で、幾度となく、流れてきた曲にハッとしたことがあった。

私が新しい環境に置かれることになる時には、決まって、彼の人が好きだった想い出の曲が流れていた。
ある時は仕事の面接場所で、またある時は旅の初まりのタクシーの中で…

だが、ある時を境に、彼の人を思い出させる曲が流れなくなった。

何かが変わり始めている。そう思えて仕方がない。

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