20.3.15

大切なのは 感覚を研ぎ澄ませること


国内のインターネット オークションで時々取引することのある業者から、中古のMoore & Wright Calipers を購入した。スクリューはどちらも大変スムーズで、使用するのに全く問題の無い中古品である。
ただ、私の性格ゆえに、少々手直しする所があった。どちらの計測器も、先端が微妙にズレていたのだ。


写真左の真っ直ぐな方は、長い方をヤスリで削り、ほぼ同じ長さにした上で、でき得る限り先端を近づけた。(まだ少々間が開いているが、使用する上でおそらく支障はないだろう)
写真右は完璧に先端が合うようになった。



数日前には父の使っていた小刀を研ぎ直した。
この持ち手も鞘も父が作った物だと思うのだが、形が合っていないので、両方を同時期に作ったとは思えない。もしかしたら、鞘はこの小刀用に作られた物ではなかったのではなかろうかとも思えた。
これは刃の部分だけを研ぎ直し、他の部分はそのままにしておいた。

小刀は若い頃使った記憶があるが、今この歳になって改めて使ってみると、非常に使い勝手の良い道具であることがよくわかった。実に小回りの利く、程よい大きさの刃物である。




最近は父の道具類に慣れる為に、ただただ板を削る練習ばかりしている。
日本の引いて削る鉋は、使い慣れた西洋の押すタイプの物に比べると、平面を均し易いように感じるが、ただ、西洋鉋のようにしっかりとした持ち手が付いているわけではないので、特に左手をどう添えたら最もしっくりくるのかがまだつかめていない状態である。
右手(利き腕)も、イマイチしっくり来ていないので、もう少し練習が必要だ。


この父の鉋の刃はまだ研いでいない。
研がなくとも、いまだ充分鋭い刃先であるということもあるが、研げばもっともっと繊細な仕事ができるだろうことはわかっていながらも、そうしたくないのは、父の存在を少しでも消すこと無く残しておきたいという思いが強く残っているからで、父の手先の感覚を、正に『感覚』で覚えようと、神経を集中させているところである。

ちなみに、父が入院中、皆で父の手の隣りに各々の手を並べ、見比べてみたら、私の手は少々ふっくらしてはいるものの、父の手の形にそっくりで驚いた。

私が(産まれながらに)父の跡を継ぐことになっていたのかも知れないと、ふと思った瞬間であった。


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