30.1.18

祖父の血か...

その昔、祖父は大工であり、ペンキ屋であり、猟師であり、臼屋であり、火傷の薬を製薬会社に卸す製造者でもあったようだ。(西洋人と一緒に狩猟に行った時のセピア色の写真が残っていたが、大正後期〜昭和初期に、あんな田舎にも西洋人が住んでいたのか?どんな繋がりだったんだ??と今でも不思議に思う。背丈も引けを取らず、非常に堂々としていた祖父の姿は凛としていて格好よかった)

祖父が狩猟に使った鉄砲やら空の薬莢やらがあった場所などを今でもはっきりと覚えているのだが、祖父が亡くなったのは私が小学校に上がる前で、祖父との想い出は写真に収められているわけでもなく、ただ私の脳裏に残っているだけ。一緒に写っている写真も一枚も無い。

私が父から相続した大工道具の内のほとんどは、おそらく祖父から引き継いだものであろうと、昨年父方の叔母から聞いた時、私は母が昔言っていた言葉を思い出した。

「お爺さんはあなたを一際可愛がってくれてね… 」

祖父は頑固な職人で、口数も少なく、何に対しても厳しい人だったが、孫の私には滅法甘く、続に言う『目に入れても痛くない』ほどの可愛がりようだったようで、幼稚園のお迎えのバスが来ると、バスが見えなくなるまで手を振って見送ってくれていたのだそうだ。
そして、私が喜ぶからと、よくお団子屋に連れて行ってくれ、私がとても美味しそうに食べることを、家に帰って楽しそうに話していたと、そんな話を聞いた時には、もう既にお団子屋など存在していなかった。

残念なことに私にはそれらの記憶は全く無いが、いつでも祖父の傍に居たことだけはしっかりと覚えている。私はいつも、鉋をかけている祖父と父の傍に居た。

今、私はその時二人が使っていた道具類を使っている。
暖かい日差しの下、屋外で行われていた55年以上も前の鉋がけの光景は、今の私を形作るものとなったというわけだ。




数年前、ステンドグラスで作った大きな蝶を飾るためのシャドーボックスを作りたいと、YouTube で作り方を探していた時、たまたま雲の上のお師匠さんのビデオを観て、「この人、父のようだ」と思った。仕事の正確さに対する誇りと、それを追い求めるひたむきな態度だけではなく、その作業する指先がまるで父を見ているようだったのだ。(後で気付いたことだが、彼らの爪の形は驚くほどよく似ていた)
そして、その時、私の人生のトロッコはようやく乗るべきレールに乗ったのだと、今はっきりとわかるようになった。

私が祖父や父の後を引き継ぐことになっていたのだと言えるほどの腕前は未だ無いが、道具は確かに引き継ぎ使っている。おそらく目が飛び出るほど高価であろう天然砥石も私の手元にある。

伯母が言った。
「あなたは、おそらくお爺さんやお父さんよりも器用だろうと思うよ」と。
私はそれに対して、「いや、私には母の血も入っているから… 」と笑った。

母は父が丁寧に丁寧に障子を貼っているのを見て、そんなことをしていたら日が暮れてしまうと苛立ち始めるほどせっかちな人なのだ。
母は何でもパパッと片付けてしまわないと気が済まない性格なので、他に何をする予定も無い父が時間をかけて綺麗な仕事をしているのを放っておけばいいものを、気になって仕方がなかったのだろう。「自分でやった方がよかった」とついつい思ってしまうのである。

ごく稀にだが、私もパパッと片付けたくなる衝動に駆られる時がある。『作りたいもの』を作る合間に、必要に迫られて『作らなくてはならないもの』が出て来るためだ。作らなくてはならないものはできるだけ早く片付けたい… しかし、パパッと片付けてしまった雑な仕事(もちろん売り物ではなく、自宅で使う物に限られるが)は、始終私の頭を悩まし続け、間違いなく頭から離れることのない汚点として残るのだ。

中途半端に血を受け継いだと言おうか、若干母の血が入っていると言おうか…

やらなければならないことに追われる生活は、多分誰しも同じだろうと思うが、片付け仕事でないものに心血を注ぐことを選んだはずなのに、時間をかけていられないものに多くの時間を取られる現実... 世の中、上手くはできていない。

だが、上手くはできていないが、人生というのは、おそらく初めから方向が決まっていて、どう足掻こうが決められた方向に向うようになっているように思えてならない。

ある時雲の上のお師匠さんが言った。
「僕らは何かを売る為に産まれて来たわけでも、誰かに仕えるために産まれて来たわけでも無い。僕らは自分の手で製作する人として産まれて来たんだ。これはあなたの天職(その人の性質/能力に相応しい職業)だと僕は確信しているよ。」

自分では道を逸れたとか、遠回りをしたとか思うことばかりのような気がしても、それは、そのような道を通ってそこに行き着くことになっていたと思った方がいいのかも知れないと、長い過去を振り返ってそう思うようになった。




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