29.1.19

雀百まで踊り忘れず

昨年10月、日本に居るたった一人の知人に向けて、インスタグラムに投稿をし始めた。
日本語にし辛いもの、或いは日本語に訳しても意味がないものは英語の表記にしたが、それ以外はほとんど日本語での投稿だった。

使い始めて約2ヶ月経った頃、インスタグラム使用が次第に窮屈に思えるようになって、facebook に続き、そちらもアカウントを削除するに至った。
ただ単に自分の精神状態を安定させるためだった。
そのような現代の "流行りもの" を使うべきではなかったことを見にしみて感じたのだ。

ハッシュタグなど一つも付けたことなどない私の投稿を見て、Like してくるだけではなく、フォロワーになる人まで現れ、非常に居心地の悪さを感じるようになったのは、全くもって稀薄な人間関係のあり方を目の当たりにして、そのような典型的な現代の人間関係そのものにゲンナリしてしまったからに他ならない。"友達" を増やすようにという、度重なる誘いのメッセージも迷惑千万だった。
元々社交的ではないので、そんなものに振り回されたくないという以上に、"関わりたくない" と強く思った。

あるフォロワーは、自分の興味が失せるとあっさりとフォローするのを止める。どのみち知らない人だから粗末に扱えるのだ。物に例えるとするならば、100均で買ったものに何の思い入れもなく、簡単にゴミ箱行きにできるというのと同じようなもの... 簡単に手に入れられられるものは、簡単に捨てられる。
また別のフォロワーは、自分の商品やら名を売るために、手当たり次第に他の人をフォローし、"フォロー返し" によって知名度を上げようと画策しているだけで、相手の活動などには別に興味はなく、自分の利得だけのためにSNSを利用しているにすぎない。

そういえば、中国に帰った同居人Tの友人が、自分の子供の将来はどうなってしまうのだろうかと案じていたという話を聞いたことがある。
子供達は一昔前のように外で遊ぶことがほとんど無くなり、友達とのコミュニケーションはほとんど携帯電話やらパソコンを使って、メッセージを送り合うだけになってしまっているというのだ。小学生の子供であってもそうなのだそうだ。
相手ときちんと向き合って話をしない... 全てがバーチャルに思えて仕方がないというのは、おそらく私たちだけではなく、多くの人が感じていることなのだろうが、それに歯止めをかけようとする動きを、私は目にしたことはない。(あるのかも知れないが、大きな活動にはなっていないのだろう)


世界中の多くの人に向けて自分の活動を余すことなく見せ、メッセージを発信している雲の上のお師匠さんが、おそらく私のインスタグラムを見つけ、投稿を見ていただろうことは、彼の投稿から判断できた。私はそれに対してもまた、違和感を覚えるようになってきていたことは事実である。
彼は間接的にではあるが、4年前と同じ "構想" をブログで再度話題に挙げていた。その構想の一端を担う者として私は候補に上がっていたのだ。
それは、明らかに私の意向を問うものだったが、私はそれに対して返事となる投稿をしないまま終わった。実際に会ったことのある人からの援助も受けるのを拒んできたのに、ましてや一度も会ったことのない彼の世話になる気など更々無かったからだ。


日本に居る知人はインスタグラムのアカウントを持っていないと想像できたため、自分のアカウントをプライベートに設定することもできず、更に、その知人からは最近何の連絡も無く、投稿を見ていてくれたのかも定かではなかった。
もしかしたら、見てはいなかったのかもしれない...   そう思いつつの投稿だったが、数日前久々に受信した彼女のメールから、どういうわけかインスタグラムを閲覧できていなかったということがわかった。
もう使用するのをやめた旨をメールで伝え、写真を添付して近況報告をした。


先々週末はたった一人きりで過ごした週末だったが、Tが土曜の午後に私の実家に着き、こちらが夕食を終えた直後から、何時間にも渡って FaceTime  でビデオチャットをしていたため、一人でいることも忘れるほど賑やかな夜となった。

こちらの日没は夜の8:30過ぎ... 8時を回ってもまだ昼間のような明るさであることに日本の皆は驚き、長男がお土産に持って行ったという超高級抹茶トリュフ チョコレートが 6個入りで ¥4,000もしたと聞いて一同驚き、その超高級チョコを食べた数時間後、Tが "ゲーセン" で獲得した『紗々』を食べた一同が、あまりの違いに思わず笑い出したのをビデオ越しに見て私は笑っていた。皆、そんなに安いわけではない『紗々』が、まるで昔駄菓子屋で売られていた超安っぽいチョコレートのようにしか思えないと言って大笑いしていたのだ。何とも明るい家族である。

Tは今回の旅行中、台湾人の友達のたっての希望で『炭火焼肉 なかはら』に行き、一人 2万5千円もするコース料理を堪能してきたようで、その後はどんな肉を食べても美味しく思わなくなってしまったと言っていたが、NZに戻ってステーキを食べる度に、「これは肉じゃない(ゴムだ)」と思う日々が暫くは続くに違いない。

しかし、築地で食べたお高い寿司はさほど美味しくはなかったらしく、寿司はやはり静岡には勝てないなと、改めて寿司王国静岡の質の高さを実感したとのことだった。

86歳の母も元気そうで、皆と一緒にずっと楽しそうに話をしていた。
皆が元気でいてくれることを何より嬉しく思った夜であった。


先週末は、Tに腕時計を買ってきてもらうことになっているTの友達から電話が入り、TXTメッセージも何度か送られて来た。一人で居ても何だかんだ人と関わっているものである。

彼は、奥さんに内緒で買った腕時計の送り先を私の実家にしたので、電話番号を教えて欲しいとのことだった。
一般家庭では、結婚し子供も居るとなると、贅沢はなかなかできず、『欲しい物は隠れて買う』というのはお決まりのことで、私の母もよくそうしていたのを覚えている。

買ったことを早々に知られる可能性が極めて高い場合は、予め破格値=信じられないほど安いことを殊更強調し、まぁそれくらいだったら許せる範囲だなと思わせる画策をするのだが、実際は購入を即否定されるほどの高額商品で、一生懸命に考えた嘘をさも嬉しそうに話すのである。

買ったのをバレるまで黙っている人は、バレた時に嘘をつく。
極最近買った物でも、『ずっと前から持っていたじゃないか』と、相手が覚えていないのが不思議なくらいだというような表現をし、ここでもやはり『安かった』と付け加えるのを忘れてはいけないことは勿論承知している。

自分自身が大金を支払って買った物でも、誰かから貰った物だと言って簡単に済ませようと思う場合は、『そんなに高価な物をくれるはずが無い』と相手が疑わないよう配慮しなければならない。そこで、これは精密にできたコピー商品だと言ったり、くれた人がもっとお高い物を買って、要らなくなったからくれたのだ(お古)とかいう真っ赤なウソをつくことになる。

様々な状況を推測し、バレないように嘘をつくという作業は、脳を活性化するのには大変役立っているように思えなくもないが、自分が、雨の日も風の日も休まず(上記の彼は積極的に休日出勤までして)汗水垂らして働いた報酬を好きに使うことができないというのは、私から見ると可哀想だという一言に尽きる。

衣食住に困らない程度の蓄えを提供してくれていたら、それ以外の収入は働いた当人が好きに使えるのは当然のことだと考えていた私は、彼の人が毎年旅行に行き、車を何台も買い、趣味にどれだけお金をかけていても、お小言をいうことなく終わった。

化粧っ気のなかった私は、化粧品にかけるお金はほぼゼロ。旅行も別に好きではなく、社交的でもなかったので、交際費は完全にゼロ。宝石類にも何の興味も無かった。

衣服は自分で作れたが、製作のための道具類は買ってもらった。食べさせてもらっている上に、そのような高価な物を買ってもらったことを有り難いことだと感謝していた。
おかげで、私は家で洋裁を続けられ、細々とではあるが、作った物を売ることもできた。
私自身の収入は食料品購入と、布及び糸代に消えたが、作業している事自体が楽しく、生活していく上で何の不満もなかったのだ。

子供たちを学習塾に通わせる必要を感じなかったため、余計な費用はかからず、お高い私学に通わせる気も更々無かったので、馬鹿げた額の"寄付金"を蓄えておく必要も無かった。

こう書き連ねていて、かつての生活を思い出した。

私が、さほどの蓄えも無いのに何の不満もなく生活していることができたのは、ひとえに彼の人の責任感の強さを信じて疑わなかったからに他ならない。
責任感の強い彼が、家族を路頭にさまよわせるようなことをする筈はないという安心感がいつでもあったのだ。
そして、お互い、どんなに転んでも立ち上がれる力があると信じていた。

彼が働いていた設計事務所の社長が大きな借金を作って姿をくらましてしまっても、次に一緒に仕事を始めた人がやはり同じように仕事以外で多額の借金を作り、仕事上でのローンを支払えなくなった際、保証人になっていた彼に火の粉がかかる羽目になっても、彼は自分の不始末ではないのに、必死で働き、きっちり責任を取ったのだ。
理不尽なことが大嫌いな私は、保証人に責任をなすりつける前に、借金を作った本人が自分の所有財産を手放すなりして、他人に迷惑がかからないようにするのが筋じゃないかと憤りをぶつけたが、彼はそうしなかった。

バカが付くほどお人好しだったが、凛とした良い人だった。
いや、「凛とした良い人だったが、バカが付くほどお人好しだった」と言い換えたほうがしっくりくるかもしれない。



先週末には同居人HのBFがやって来て、私の車の死んでしまったバッテリーを新しいものに交換してくれた。
3人で一緒に飲茶を食べに行き、もう食べられないというほど満腹になった後、彼がボーリングをしに行こうというので、15年振りにボーリング場に行った。

何のメンテナンスもしていないんじゃないかと思われるほど寂れたボーリング場...
安っぽいソファは表面がビリビリに破けたままで、ボールはボール置き場ではなく、各レーンに適当に置かれたまま...  しかも、無数に凹みの付いたものばかり。
手を乾燥させる送風口も付いておらず、ボールを拭く布も用意されていなかった。
さらに驚くことには、貸し靴すら無く、私はサンダル(草履)を履いたままでプレーせざるを得なかった。
競争の激しくないこの国では、そんなお粗末な経営でもやって行けるのだ。そして、そういう "低品質" にすっかり慣れてしまった私は、繁華街の中心に位置するのに場末感が漂う薄暗いボーリング場で、結構楽しく時間を過ごし、またテクテクと歩いて家に戻り、少し横になると、何時間か寝てしまっていた。

ちなみに、かなり足腰の弱った私だが、『昔取った杵柄』は今も健在で、スコアは若者に引けを取らないものだった。『雀百まで踊り忘れず』とはよく言ったものだなと、改めて思った次第である。



さて、あと数日したらTが日本から帰って来る。
新品のバッテリーを搭載して生き返った車を運転し、空港まで一人で無事に迎えに行けるだろうかと、それが目下の心配の種である。



16.1.19

一日二万歩越えのT & Indian Foods

東京滞在中のTは、気心の知れた友達たち(台湾人&マレーシア人)と共に、できる限り多くの体験をして帰ろうと、頑張って歩き続けている様子...

Tだけだったらおそらく行かなかっただろう築地マーケットやら、お台場やらにも行き、マリオカートを体験した後は超高級松坂牛のレストランで夕食という、完全に "外国人旅行客" の東京の過ごし方になっているわけだが、それはそれで結構面白いらしく、東京オートサロンを皮切りに、毎日二万歩越えのハードスケジュールをこなしている模様。
大好物のプリンは毎日違うものを買って食べているようで、この上なく幸せそうだ。

かなり長い間日本に帰省していなかったため、最初は、電車で隣に座った人が日本語を喋るのを聞いて、「あっ、この人日本人だったんだ」と咄嗟に思ってしまったと言っていたが、それを聞いた日本に住む長男は、「えっ???」とすぐにはその意味が理解できなかったようで、「その人、外人っぽい顔してたの?」などと聞いていた。

NZ、特にオークランドにはアジア人が多いのだが、圧倒的に多いのは中国人とインド人で、次に韓国人だろうか...   日本人はあまり多くなく、アジア人を見ても日本人かなと想像することがほとんどない環境。
私たちは90%以上の確率で国籍を判別できるようになったが、時に判別が付きかねる風貌のアジア人が日本語を喋っているのが聞こえて来たりすると、「あっ、この人日本人だったんだ」とちょっと驚く。Tは東京に着いても正にその状態で、周りがほとんど日本人だというのを、その時しっかりと理解したというわけだ。

私は昨年の帰省時に、店に入ると店員に「Hi.」と言い、市役所の窓口でも、病院の受付でも、まず最初に「Hi.」 と挨拶をしていたのを思い出した。流暢な日本語を話す外人?はたまた、いつでも最初に何故だか「はい(yes)」と言う変なおばさんだと思われたのかなと、後で思って笑えてきた。


T が日本に向けて出発した日、愛車レガシーのエンジンスターターが若干調子悪く、数日間心配しながら乗っていたのだが、昨日出かけようとしたら、キーのリモコンが効かなくなってしまっていた。
Line で T に連絡すると、ついにバッテリーが逝ってしまったのだろうとのこと。
私は車のことなど何も知らないに等しいため、外出先ではなく自宅で動かなくなってくれてまだよかったなとホッとした。

はてさて、どうしたものか...

Hometune という、自宅まで修理に来てくれる業者を頼もうかと思ったが、フィードバックを見てみると評価にひどいバラツキがあり、代金が『高すぎる』というものが結構多かったので、T が帰ってくるまでそのままにしておこうかと考えているところである。

とりあえず必要な物はスーパーマーケットのオンラインショッピングですませた。
送料は若干高めではあるが、最初の注文に限り$5.00 のディスカウントがあり、更に今月は何度注文を入れても、その都度 $5.00 のディスカウントクーポンコードが使えるという通知が来たので、車を使えない間はそれで何とか過ごせそうだ。配送が混んでいなければ当日配達可能であるのも有り難い。


昨日もまた裏の大家さんの家では結婚祝賀パーティーが執り行われていた。
家の玄関先に大きなテントを張って、非常に大勢の人が集まって来ていた。
インドの結婚の催しは何日もかけてお祝いをするとは聞いていたが、人々が集まれば食事を提供するのは言わずと知れたことで、毎日々大鍋で煮炊きをしている模様。さぞかし疲れていることだろう。

夜9:30近くなって、大家さんの長男がまたパーティーの残り物をたくさん持って来てくれた。
先日のジャガイモのカレー煮(?)は激辛でお腹がゆるくなったが、昨晩頂いたDhal と書かれていた Lentil(レンズ豆)のカレーは、マイルドでコクがあり、非常に美味しかった。



アーモンドが入った料理はほんのり甘かった。聞いたら、小麦を炊いて作る Lapsi というデザートなんだそうだ。ヨーグルトをかけて食べても美味しいということだった。


通常は、肉類がメイン ディッシュとなる我が家だが、ベジタリアン ディッシュだけでも暮らしていけるかも...   ふと、そんなことを考えてしまった。



14.1.19

Blue Spring Putaruru, New Zealand

先週金曜日、同居人HのBFが、正月休暇を使って私を Putaruru Blue Spring に連れて行ってくれた。

出かける前に皆で大家さんの家にご祝儀+手作りの贈り物を届けに行くと、「こんな気を使わなくてよかったのに」と奥さんは遠慮がちに受け取ってくれ、家の中に入ってちょっとゆっくりして行ってと誘ってくれた。
超フレンドリーなHのBF, R(大家さんとは初対面)は、Thank you! というが早いか、玄関で靴を脱ぎ始め、奥さんの後をついて行ってしまったため、私とHも後に続くことになった。

その日、Rの車のエアーバッグをリコールのため交換修理することになっていて、既に予約した時間を若干過ぎていたため、私は気になって仕方がなかったのだが、Rは全く気にする事なく、結構な時間楽しそうに大家さん夫妻と話をしていた。

大家さんの子供達だけではなく、奥さん自身もNZ生まれ、NZ育ちなのだが、インドの伝統というのはずっと受け継がれていて、翌日の Pre-wedding Dinner Party で出される食事も、インドのベジタリアン ディッシュのみなのだそうだ。しかも、親族が皆集まって、約1000人分の食事の用意をするというので、そりゃものすごく大変だねと驚いた。
1000人も集まるというのだが、そのディナー パーティは新郎側のもので、新婦側は新婦も含めて出席せず、新婦側は結婚式本番をインドの伝統的な衣装と作法に則って行うものと、西洋式に真っ白なウェッディング ドレスを着て行うものと2回執り行うのを担うのだそうだ。
結婚式はオークランドではなく、新婦の実家のあるNZの首都ウェリントンで1週間後に執り行われることになっているため、こちらに集まった数えきれないほどの親族の大移動で、結婚式直前のフライトは、おそらくインド人乗客だらけとなることだろう。

NZは人種のサラダボールと言われるほど多くの移民が存在する国だ。
私はこれまで中東や北アフリカの人々、スペイン人、中国人、韓国人などとも交わりを持ってきたが、それぞれの文化を直々に教えてもらえるというのは非常に嬉しいことで、今回のように親戚でも友達でもないのにその伝統的な行事に参加できるというのは、願ってもない好機なのである。

私と同じように好奇心旺盛なRは、大家さんの話に食い入るように聞き入っていて、話がいつまでたっても終わりそうもなかったので、そろそろ出発しないと、今日中に帰ってこれないよと私は笑いながら促し、車の修理店に1時間半以上も遅れて着いた後に、ようやくBlue Springs に向かって出発することとなった。

オークランドからは車で約2時間半。ほとんど時速100kmでの走行だ。


広大な牧草地帯の真ん中を走って行く途中、軽いランチを食べに小さなタウンのカフェに寄り、道路の反対側に停まっていたアイスクリーム バンで大きなブルーベリー ソフトクリームを買い、動物の糞の臭いが若干漂っていた公園のベンチで一休み...
カフェの奥まったところにあったテラスは、美しい花で飾られていた。





しばしの休憩の後、また数多のトウモロコシ畑の脇を100kmで突っ走り、灼けつくような陽射しの目的地に到着した。


ゲートで区切られた散歩道に入って行くと間もなく、息をのむほど透き通った、信じられないほど美しい川が目の前に現れる。



澄み切った青と緑のコントラストがこの上なく美しく、遠くからでも底の石や砂がはっきりと見え、これまでの人生で見た最も美しい川に感動せずにはいられなかった。








所々にプケコが居て、水に入って草をつついていたりもした。


2時間のトレッキングコースを周るかと聞かれたが、Rが車を取りに行かなくちゃならない時間が迫っているからと、丁寧に辞退した。(そんなに歩く自信がないのはバレバレだった)

帰りの道すがら、Timber Museum にも立ち寄ってくれたが、受付には誰もおらず、中に入っていくと既に戸締りを始めていた年配のおじさんがいて、閉めている間だったら少し見ていていいというので、入場料も払わず(一人 $12.50)昔の sawmill (製材所)跡を見させてもらった。Timber Museum というよりも製材所の機械類の展示場という感じで、私にとっては入場料を払っても見たいというものではなかった。

その後は、Rのお父さんが住む農場に寄り、農場に到着する数分前に道路ですれ違ったお父さん(何処かに出かける用事があったらしい)に車の中から簡単に挨拶をし、牛を見て帰って来た。



NZのカントリー サイドは平和な感じがしていいなと、改めて思ったが、生活するには不便だろうなと、街に住み慣れた私たちはやはり思ってしまう。
Rも、そして私たちの大家さんも、田舎は家も安く買え、生活費も安く済むが、仕事が無いのが大きな問題で、農家でない限りは、結局仕事をゲットするために街に出なくてはならなるのだと言って、ため息をついていた。

仕事がある場所は家の値段がべらぼうに高く、特にオークランドの中心地では異常な金額となってしまっている。一人の稼ぎでは一生かかっても家を買うことなんてできやしないのが現状だ。

ロト運が無い人は、結婚し、郊外にそこそこの家を買い、2人で汗水垂らして働き、残りの人生のほとんど全てをローンを返済することに費やして人生を終えることになるというわけだ。

人生、上手くはできていない。


6.1.19

ショール/スカーフを探す日々

もう少しで大家さん(インド人)の次男の結婚式があり、その前に計画されている Pre-wedding Dinner Party に私たち一家は招待されているのだが、Tはディナーの前々日に日本に旅立つため出席できず、行くつもりの全くなかったHのBF(ダッチ)が遊びに来た折にその話をすると、彼は行く気満々で、こんな機会は滅多にないから、自分はson-in-law(娘婿)として出席すると、勢いで?口を滑らせた。

「WOW! それって一種のプロポーズ?」と、すかさず聞いた私に、Hは少し困惑したように首を横に振り、BFはというと、ただただ顔を真っ赤にしてはにかんでいたが、何はともあれ、BFが一生懸命にHを説得し、私と娘、そして娘婿😁と3人で行くこととなった。

インド人のパーティーといえば、派手な衣装とけたたましい程の音楽、そしてダンス...

はてさて、私はいったい何を着て行ったらいいのか...
歳も歳だし、体型も...

しかも、履いて行こうと思っていたお腹周りのゆるいズボンは黒で、インド人のそのてのパーティーには黒いものは避けた方がいいと、いくつかのサイトに書かれていたため、ダメかも... と、他を探し始めたものの、なかなか良いものが見つからない。
地味な長めのドレスに派手目のショール/スカーフをすればいいかと、ショールは一応注文しておいたが、UKに注文を入れたアイボリーのズボンは果たしてパーティー前日までに届くのだろうか?また、サイズは丁度いいだろうか?などと、落ち着かない日々を送っている。

そんな最中、隣の超短気な住人(女性)の娘が開いたパーティーに出席していた女友達の内の一人が、昨夜、深夜11時を過ぎて突然異常な悲鳴を上げ始め、それが長く続いたため、不審に思った大家(我が家の裏に住んでいる)が警察に通報したと、私に電話が来た。
到着したポリス カーは7台にも及び、続いて救急車も現れ、救急車の中に入れられてもなお悲鳴を上げ暴れ続けていた子は、鎮静剤でも打たれたのか、しばらくすると静かになり、搬送されて行った。

大家が、「ドラッグの overdose(過剰摂取)じゃない?」と言っていたが、私はそういうのを見た経験がないので、何が起こったのか皆目検討もつかず、ただただ恐ろしい叫び声が耳について、昨夜はなかなか眠ることができなかった。

よく問題を起こす、超短気で危険要素をいっぱい兼ね備えた住人一家が、一刻も早く引っ越して何処かに行ってくれないかなと、更に強く思った夜だったが、引っ越した先でも同じことを繰り返すのだろうと思うと、引っ越し先は、ど田舎の、周りに家が無い所にして欲しいものだと願わずにはいられない。

* 昨夜パーティーに来ていた男友達連中の内の何人かは、警察が居る間近所を徘徊していたようで、近所に立っていた道路標識をポールごと持って、警察が居なくなったのを見計らって戻って来た。何を考えているのか、何が楽しくてそのようなことをするのか理解に苦しむが、その道路標識を駐車禁止の歩道に停めてあった友達の車の脇に置き、車を運転して何処かに行ってしまった。
また、他の数人の友人たちは、警察が到着する直前に発狂している友人を家の前の道路脇に置き去りにして "逃げた" かのように見えた。

『類は友を呼ぶ』という格言は言えている。
付き合っている人を見れば、その人がどのような性向を持ち合わせているかが良くわかるものだ。



2.1.19

超しょぼい打ち上げ花火で幕が開けた2019年元旦

昨年暮れは、年越し蕎麦を食べてすぐに寝てしまっていた私...

すぐ近くの広場まで新年の打ち上げ花火を見に行かないかと同居人Tに起こされ、この国に来て初めての経験をしに、真っ暗な急坂を登って息を切らしながら歩いて行ってみると、そこには数えきれないほど多くの人が集まっていて驚いた。
車も信じられないほどたくさん通っていた。



そんなに多くの人が出ているとはいざ知らず、カウント ダウン ギリギリに到着した私たちは、花火を撮影するのに相応しい、空いているスペースを探す時間がほとんど無く、そうこうする内に花火が上がり始めた。

花火は、市の繁華街に位置するスカイ タワーから打ち上げられるのが恒例となっているが、噂に聞いていた通り、たった5分間の、しかも超しょぼい、何の変哲もないもので、私たちのように、近所だから歩いて見に行ってみましょうかという暇人だったら、「まぁこんなものか...」で済まされるが、わざわざバスに乗って或いは車で遠くから出向くほど価値のあるものではなく、そういう人たちを見ていたら気の毒に思えた。



地味というよりも、お粗末という方が的を得ているオークランドの新年の幕開け...
まぁ、ド派手などこぞのイスラム教国よりは受け入れることができるかもなと、そんなことを考えながら、急坂を下って家路に着いた。(ちなみに、姪の一人は正にその国に旅行中だとか... )

日本に居る家族に新年の挨拶をしてから寝るとしようと、Lineで「明けましておめでとう〜」と送ったが、時差4時間... 日本はまだ年が明けておらず、実感なさそうな返事がきた。

今年、HはBFとロード トリップで色々な地方を周り、首都ウェリントンで新年を迎えたが、旅行中一度もアジア飯を食べていないようで、アジア飯が恋しくて仕方がない模様。

私は例年の如く電子レンジで餅を作り、昨年暮れに買っておいたきな粉と粒あんでおはぎも作った。

Tと二人でおはぎを食べながら、「昔を思い出すよね... 」と、しばし昔日の光景を語り合っていた。(母は出来合いの茹で小豆など使わず、乾燥豆を茹でて作っていたが、私は極少量しか必要でなかったため、迷わず楽な道を選んだ)




あと一週間ほどでTは日本に旅行。そしてその後しばらくすると、大家さん(インド人)の次男の結婚式があるため、ささやかなプレゼント(とは言っても、時間はかかっている)を作っているところだ。板は American Walnut を使用。



さて、今年はどんな年になるのだろうか?

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...