29.1.19

雀百まで踊り忘れず

昨年10月、日本に居るたった一人の知人に向けて、インスタグラムに投稿をし始めた。
日本語にし辛いもの、或いは日本語に訳しても意味がないものは英語の表記にしたが、それ以外はほとんど日本語での投稿だった。

使い始めて約2ヶ月経った頃、インスタグラム使用が次第に窮屈に思えるようになって、facebook に続き、そちらもアカウントを削除するに至った。
ただ単に自分の精神状態を安定させるためだった。
そのような現代の "流行りもの" を使うべきではなかったことを見にしみて感じたのだ。

ハッシュタグなど一つも付けたことなどない私の投稿を見て、Like してくるだけではなく、フォロワーになる人まで現れ、非常に居心地の悪さを感じるようになったのは、全くもって稀薄な人間関係のあり方を目の当たりにして、そのような典型的な現代の人間関係そのものにゲンナリしてしまったからに他ならない。"友達" を増やすようにという、度重なる誘いのメッセージも迷惑千万だった。
元々社交的ではないので、そんなものに振り回されたくないという以上に、"関わりたくない" と強く思った。

あるフォロワーは、自分の興味が失せるとあっさりとフォローするのを止める。どのみち知らない人だから粗末に扱えるのだ。物に例えるとするならば、100均で買ったものに何の思い入れもなく、簡単にゴミ箱行きにできるというのと同じようなもの... 簡単に手に入れられられるものは、簡単に捨てられる。
また別のフォロワーは、自分の商品やら名を売るために、手当たり次第に他の人をフォローし、"フォロー返し" によって知名度を上げようと画策しているだけで、相手の活動などには別に興味はなく、自分の利得だけのためにSNSを利用しているにすぎない。

そういえば、中国に帰った同居人Tの友人が、自分の子供の将来はどうなってしまうのだろうかと案じていたという話を聞いたことがある。
子供達は一昔前のように外で遊ぶことがほとんど無くなり、友達とのコミュニケーションはほとんど携帯電話やらパソコンを使って、メッセージを送り合うだけになってしまっているというのだ。小学生の子供であってもそうなのだそうだ。
相手ときちんと向き合って話をしない... 全てがバーチャルに思えて仕方がないというのは、おそらく私たちだけではなく、多くの人が感じていることなのだろうが、それに歯止めをかけようとする動きを、私は目にしたことはない。(あるのかも知れないが、大きな活動にはなっていないのだろう)


世界中の多くの人に向けて自分の活動を余すことなく見せ、メッセージを発信している雲の上のお師匠さんが、おそらく私のインスタグラムを見つけ、投稿を見ていただろうことは、彼の投稿から判断できた。私はそれに対してもまた、違和感を覚えるようになってきていたことは事実である。
彼は間接的にではあるが、4年前と同じ "構想" をブログで再度話題に挙げていた。その構想の一端を担う者として私は候補に上がっていたのだ。
それは、明らかに私の意向を問うものだったが、私はそれに対して返事となる投稿をしないまま終わった。実際に会ったことのある人からの援助も受けるのを拒んできたのに、ましてや一度も会ったことのない彼の世話になる気など更々無かったからだ。


日本に居る知人はインスタグラムのアカウントを持っていないと想像できたため、自分のアカウントをプライベートに設定することもできず、更に、その知人からは最近何の連絡も無く、投稿を見ていてくれたのかも定かではなかった。
もしかしたら、見てはいなかったのかもしれない...   そう思いつつの投稿だったが、数日前久々に受信した彼女のメールから、どういうわけかインスタグラムを閲覧できていなかったということがわかった。
もう使用するのをやめた旨をメールで伝え、写真を添付して近況報告をした。


先々週末はたった一人きりで過ごした週末だったが、Tが土曜の午後に私の実家に着き、こちらが夕食を終えた直後から、何時間にも渡って FaceTime  でビデオチャットをしていたため、一人でいることも忘れるほど賑やかな夜となった。

こちらの日没は夜の8:30過ぎ... 8時を回ってもまだ昼間のような明るさであることに日本の皆は驚き、長男がお土産に持って行ったという超高級抹茶トリュフ チョコレートが 6個入りで ¥4,000もしたと聞いて一同驚き、その超高級チョコを食べた数時間後、Tが "ゲーセン" で獲得した『紗々』を食べた一同が、あまりの違いに思わず笑い出したのをビデオ越しに見て私は笑っていた。皆、そんなに安いわけではない『紗々』が、まるで昔駄菓子屋で売られていた超安っぽいチョコレートのようにしか思えないと言って大笑いしていたのだ。何とも明るい家族である。

Tは今回の旅行中、台湾人の友達のたっての希望で『炭火焼肉 なかはら』に行き、一人 2万5千円もするコース料理を堪能してきたようで、その後はどんな肉を食べても美味しく思わなくなってしまったと言っていたが、NZに戻ってステーキを食べる度に、「これは肉じゃない(ゴムだ)」と思う日々が暫くは続くに違いない。

しかし、築地で食べたお高い寿司はさほど美味しくはなかったらしく、寿司はやはり静岡には勝てないなと、改めて寿司王国静岡の質の高さを実感したとのことだった。

86歳の母も元気そうで、皆と一緒にずっと楽しそうに話をしていた。
皆が元気でいてくれることを何より嬉しく思った夜であった。


先週末は、Tに腕時計を買ってきてもらうことになっているTの友達から電話が入り、TXTメッセージも何度か送られて来た。一人で居ても何だかんだ人と関わっているものである。

彼は、奥さんに内緒で買った腕時計の送り先を私の実家にしたので、電話番号を教えて欲しいとのことだった。
一般家庭では、結婚し子供も居るとなると、贅沢はなかなかできず、『欲しい物は隠れて買う』というのはお決まりのことで、私の母もよくそうしていたのを覚えている。

買ったことを早々に知られる可能性が極めて高い場合は、予め破格値=信じられないほど安いことを殊更強調し、まぁそれくらいだったら許せる範囲だなと思わせる画策をするのだが、実際は購入を即否定されるほどの高額商品で、一生懸命に考えた嘘をさも嬉しそうに話すのである。

買ったのをバレるまで黙っている人は、バレた時に嘘をつく。
極最近買った物でも、『ずっと前から持っていたじゃないか』と、相手が覚えていないのが不思議なくらいだというような表現をし、ここでもやはり『安かった』と付け加えるのを忘れてはいけないことは勿論承知している。

自分自身が大金を支払って買った物でも、誰かから貰った物だと言って簡単に済ませようと思う場合は、『そんなに高価な物をくれるはずが無い』と相手が疑わないよう配慮しなければならない。そこで、これは精密にできたコピー商品だと言ったり、くれた人がもっとお高い物を買って、要らなくなったからくれたのだ(お古)とかいう真っ赤なウソをつくことになる。

様々な状況を推測し、バレないように嘘をつくという作業は、脳を活性化するのには大変役立っているように思えなくもないが、自分が、雨の日も風の日も休まず(上記の彼は積極的に休日出勤までして)汗水垂らして働いた報酬を好きに使うことができないというのは、私から見ると可哀想だという一言に尽きる。

衣食住に困らない程度の蓄えを提供してくれていたら、それ以外の収入は働いた当人が好きに使えるのは当然のことだと考えていた私は、彼の人が毎年旅行に行き、車を何台も買い、趣味にどれだけお金をかけていても、お小言をいうことなく終わった。

化粧っ気のなかった私は、化粧品にかけるお金はほぼゼロ。旅行も別に好きではなく、社交的でもなかったので、交際費は完全にゼロ。宝石類にも何の興味も無かった。

衣服は自分で作れたが、製作のための道具類は買ってもらった。食べさせてもらっている上に、そのような高価な物を買ってもらったことを有り難いことだと感謝していた。
おかげで、私は家で洋裁を続けられ、細々とではあるが、作った物を売ることもできた。
私自身の収入は食料品購入と、布及び糸代に消えたが、作業している事自体が楽しく、生活していく上で何の不満もなかったのだ。

子供たちを学習塾に通わせる必要を感じなかったため、余計な費用はかからず、お高い私学に通わせる気も更々無かったので、馬鹿げた額の"寄付金"を蓄えておく必要も無かった。

こう書き連ねていて、かつての生活を思い出した。

私が、さほどの蓄えも無いのに何の不満もなく生活していることができたのは、ひとえに彼の人の責任感の強さを信じて疑わなかったからに他ならない。
責任感の強い彼が、家族を路頭にさまよわせるようなことをする筈はないという安心感がいつでもあったのだ。
そして、お互い、どんなに転んでも立ち上がれる力があると信じていた。

彼が働いていた設計事務所の社長が大きな借金を作って姿をくらましてしまっても、次に一緒に仕事を始めた人がやはり同じように仕事以外で多額の借金を作り、仕事上でのローンを支払えなくなった際、保証人になっていた彼に火の粉がかかる羽目になっても、彼は自分の不始末ではないのに、必死で働き、きっちり責任を取ったのだ。
理不尽なことが大嫌いな私は、保証人に責任をなすりつける前に、借金を作った本人が自分の所有財産を手放すなりして、他人に迷惑がかからないようにするのが筋じゃないかと憤りをぶつけたが、彼はそうしなかった。

バカが付くほどお人好しだったが、凛とした良い人だった。
いや、「凛とした良い人だったが、バカが付くほどお人好しだった」と言い換えたほうがしっくりくるかもしれない。



先週末には同居人HのBFがやって来て、私の車の死んでしまったバッテリーを新しいものに交換してくれた。
3人で一緒に飲茶を食べに行き、もう食べられないというほど満腹になった後、彼がボーリングをしに行こうというので、15年振りにボーリング場に行った。

何のメンテナンスもしていないんじゃないかと思われるほど寂れたボーリング場...
安っぽいソファは表面がビリビリに破けたままで、ボールはボール置き場ではなく、各レーンに適当に置かれたまま...  しかも、無数に凹みの付いたものばかり。
手を乾燥させる送風口も付いておらず、ボールを拭く布も用意されていなかった。
さらに驚くことには、貸し靴すら無く、私はサンダル(草履)を履いたままでプレーせざるを得なかった。
競争の激しくないこの国では、そんなお粗末な経営でもやって行けるのだ。そして、そういう "低品質" にすっかり慣れてしまった私は、繁華街の中心に位置するのに場末感が漂う薄暗いボーリング場で、結構楽しく時間を過ごし、またテクテクと歩いて家に戻り、少し横になると、何時間か寝てしまっていた。

ちなみに、かなり足腰の弱った私だが、『昔取った杵柄』は今も健在で、スコアは若者に引けを取らないものだった。『雀百まで踊り忘れず』とはよく言ったものだなと、改めて思った次第である。



さて、あと数日したらTが日本から帰って来る。
新品のバッテリーを搭載して生き返った車を運転し、空港まで一人で無事に迎えに行けるだろうかと、それが目下の心配の種である。



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