23.5.21

ピザ カッティング ボード制作

手持ちの端切れ板だけを使って作る、カッティング ボード第二弾。 

今回は H のリクエストに応えて、家で作るピザ用の、ほぼ正方形に近いまな板で、有りったけの板をかき集めて、ギリギリできた感の充分漂うものとなった。

使った板は Oak とAmerican Black Walnut 。


ダメージのある部分を切り落とし、使える部分のみで配色を色々試してみたのだが、どれもイマイチしっくり来ず、最後には面倒臭くなって、適当に並べてよしとした。


反った板を平らに均し、接着する面は直角にし... と、何時間も鉋をかけ続けた。


幅を切り揃え、両端に板を嵌めるためのマーキングを日本の毛引きで行なったが、厳密に言えば、この毛引きは印を付けた内側を切り取るための毛引きであって、外側を切り取るためのものではない。だが、両端になる板と全く同じ寸法に印を付けたかったので、横着をして両端になる板に使用した毛引きを使ってしまったというわけだ。(歳を取るに従って、どんどん横着になってきている)


今回は、両端の板を取り付ける幅にのこぎりで切れ目を入れず、ナイフで付けた線よりも 1ミリ程度余裕を持たせて Record #778 Plane で大まかに削り、Record #778 Plane で削っただけでは正確に真っ平な面になっていなかった箇所を、Stanley Hand Router Plane やら鑿やら Lie-Nielsen Rabbet Block Plane を使って修正した。

削った箇所が平らになった後、鑿を使ってナイフの線通りに切り口を整えるこの方法は、私には正解だった。(非常にシャープな切り口に大満足)
結構時間はかかったが...


両端に付ける板は American Black Walnut にしたので、 Oak よりも楽にほぞ穴を掘ることができたが、それでもやはりほぞ穴をサイズ通りに掘って行くのは神経を使い、6 箇所掘るだけで疲れ果ててしまった。


例によって、中央以外の棒が入る穴は、板の収縮を考慮して横長にあけ、父から譲り受けた小刀で綺麗に整えた。


両端の板が外れないよう打ち込む棒は Oak で作った。

旋盤無しでの棒作りは面白い。
金属製のプレートに空けられた欲しいサイズの穴に差し込む棒は、先を少し削ってある。
棒を上からハンマーで叩くと、不要部分がめくれ上がってくるので、そのめくれ上がった部分を鉋で削って、出来る限り正確に近いサイズに整えて行くのだが、ここで削りすぎてはいけない。
最後は軽く叩くだけで棒が穴を通り、不要部分は削り落とされるという具合になっているため、鉋で若干太めに削るのが好ましいのである。



棒を打ち込む前に両端の板の四隅を丸くしておき、棒を打ち込んだ後で周囲を整える。

本体の厚みと同じになるように両端の板を削って段差を無くし、全体が平らになっているかをストレート定規で確認しつつ、鉋やらカード スクレイパーやらサンドペーパーを使って仕上げ、埃を拭き取った後はココナッツオイルを塗って出来上がり。


配色はイマイチだが、丈夫なピザ用カッティング ボードができた。



私がこの世から居なくなっても、壊れることなくまだまだ使える状態であって欲しいなと、そんなことを頭に思い浮かべながら、歳とった私はいつも何かを作り続けているのである。

私に出来ることはこれくらいしかないから...



11.5.21

良性発作性頭位めまい症

 先々週末、急に目眩が起き、それからずっとクラクラしたままだという H は、翌週半ばに GP(家庭医)を受診し、『良性発作性頭位めまい症』と判断されて、処方薬を飲んだものの全く効かず、日曜日に救急診療を受けるほど悪化したとのこと。
救急診療でもやはり同じ所見で、今度は注射をしてもらったようだが、それも効果が無かったようだ。

インターネットで色々調べ、効果的だという体操をしてみたりしても一向に良くなる気配は無く、昨日、カイロプラクティックに予約したけれども、連れて行ってくれるかと連絡が来た。

長らく車の運転をすることなく過ごして来た私だが、母は80を超えるまで運転していたのだから、それに比べればまだまだ運転できない歳ではないよなと、久々にハンドルを握り、全くもって分かり辛い H の家の入り口も今回は間違えることなく、カイロプラクティックにも問題なく行って来ることができた。

カイロプラクティックのドクターもアシスタントの女性たちも非常にフレンドリーで、ドクターは H の施術後に受付に現れ、握手をしながら挨拶をしてくれた。
(... あ、握手するの?この世界的なコロナ禍で ... 😨)
と、心の中でかなり動揺しながらも、まぁ、ここしばらくは市中感染は出ていないし、大丈夫なんだろうなと、観念して握手に応じた私は、少々ぎこちなく見えたかもしれない。
(コロナのせいで、もうすっかり人と接触することに違和感を感じるようになってしまっている)

H の目眩は深刻な病気から来るものではないのかを確かめ、大丈夫だというので、お礼を言って H を家まで送り届け、夕方のラッシュに入った頃だったので、そのまま H の家にも上がらずに家に戻った。


私もかつて一度だけ経験したことがあるが、一日中グルグルと目が回っている状態というのは、本当に辛いものである。
とてもじゃないが起きてはいられず、じっと寝ていても目が回っていて、それに耐えられずに寝返りを打てば更に目眩は悪化し、目を開けていても、瞑っていてもどちらも気持ちが悪い。
私は起き上がる気力も無かったため、 1 週間以上ずっと寝たきりでいた記憶があるが、H はそうそう仕事を休んでいるわけにもいかないと、早く治したいが一心で、病院に行ったりカイロプラクティックに行ったりと、必死で起きている。

病院に向かっている時、「ストレスある?」と聞いた私に、「ストレスを溜めるほど深く考え込むタイプじゃないからねぇ」と笑う H 。「そうだよね」と言いながら、2 人で大笑い...
ストレスから来るものではなさそうだ。

H はおそらく職業病なんだろう。
とんとん拍子にグラフィック デザイナーとしての地位を築き、このご時世にありながら、給与も順調に上がり続けているという、運に恵まれた子ではあるが、職業柄、コンピューターの前に座り、長時間細かい仕事をせざるを得ないため、ずっと首は凝ったままで、今回はそれに伴う目眩である可能性も否定できないと、カイロプラクティックのドクターは推測していた。

はてさて、どうしたらいいものか...



次はフィジオセラピーか...


7.5.21

もし人生をやり直せるとしたら...

 急に寒くなって来たせいか、久々に風邪をひいた。

鼻風邪気味だなと思った翌日から、くしゃみと鼻水が止まらなくなり、目はうるうるし、頭痛もひどくなった。

味覚/嗅覚に異常は無く、熱も出ておらず、ここしばらくコロナの市中感染も報告されていないので、買い物に行ってコロナに感染した可能性はほぼないだろうと、ただ家で風邪薬を飲んで休んでいるのだが、一日中何もしないでグダグダしていると、時間の経つのが恐ろしく遅く思える。

時間を持て余してほうじ茶プリンを作ってみたり、飲むヨーグルトもどきを作って飲んだりしてみたが、すぐに終わってしまって、また手持ち無沙汰になり、ふと思い出した数年前の一時期の思い出を掘り起こしてみたりしていた。


『雲の上のお師匠さん』が言ったこと...
「もし人生をやり直せるとしても、自分はこれまで関わって来た人々も含め、歩んで来た通りの道を選ぶ...」

彼は紆余曲折はあったにせよ、総じて幸せに生きて来たんだろうなと思った。

私は今の状態がわかっていたら、絶対に同じ道は選ばない。
彼の人がこの世から居なくなる結末がわかっていたら、彼の人の人生に関わらない道を選ぶだろうし、もし幸運にも自分の出生まで戻れるとしたら、生まれてこない道を選ぶだろう。


だが、悲しいかな、人生はやり直せない。
自分の一度きりの人生なのに、自分でコントロールすることもできず、やり直すこともできず、おそらく生まれた時から決まっているレールの上を、ただ走らされているだけで終わるのだ。

聖書の エレミア書 10 章 23 節 には、地の人の道はその人に属していない... 自分の歩みを導くことさえ、歩んでいるその人に属しているのではないと書かれている。

神は人間に自由意志を与えられたと教わってきたが、人は自分の道を定めることができず、自分で自分の歩みを導くことができないほど愚かで無力な存在なのだ。そんな愚かな人間の "自由意志" が、他人を傷つけ、自分も傷つけ、不完全極まりないまま一生を終えることになる。

はぁ、難儀なことよ...





「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...