10.12.24

NZ に戻る

数週間前、大家さん一家が引っ越しをしたとの連絡が T からあった。

私がいない間に変わったのはそれだけだろうか... 
そんなことを考えながらの NZ 帰国となった。




日本に 3 ヶ月余り居ることになるとは予想だにしておらず、持って行った服は夏服のみ。おまけに喪服用の靴まで用意して行ったのだが、入院時の担当の医者を筆頭に、全ての関係者が『家で看取り』という方向で母の退院を捉えていたのとは裏腹に、退院後の母の容態は安定し、食欲も旺盛な状態を維持し続けている。

ほとんど寝たきりだった入院生活が嘘のように、母は歩行器を使ってトイレに行くことも、数時間椅子に座り、パソコンでジグソーパズルをしたりできるようにもなっている。

デイケアサービスには週 2 回、朝 8:40 頃から夕方 4:30 近くまで行って来ることができるようになり、様々なアクティビティを他の人たちと同様にこなしているらしく、あの骨と皮だけになってしまったような身体からは到底想像できないだろう体力を持ち合わせている母に、周囲は驚かされるばかり。

最期を看取るまで介護をすることになるだろうとの予測は外れ、最期はまだまだ先になる可能性が高まってきたと思えた時点で、姉と話し合い、私は NZ にそろそろ戻ることにしたというわけだが、これからも依然として大変な介護を殆ど一人で担わなければならなくなる姉には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
とはいえ、私が居ることでの負担/気遣いも少なからずあることも承知していたため、全てを踏まえた上での決断となったわけで、離れて暮らす姉の娘たちのサポートや、義兄の協力無しには、この段階での NZ 帰国はおそらく無理だと考えていたことだろう。

滞在中、姪たちは私に大変良くしてくれ、気を使ってもくれた。
姉と私の手伝いをしようと、遠く離れた県からリモート ワークに切り替えて何週間も来てくれていた子が居てくれたおかげで、重労働の介護が苦しいだけのものではなくなり、ほとんど毎日のように涙が出るほど笑っていられたのは、本当に有り難く、ストレスがかなり減ったことは疑いようがない。
また、私の NZ 帰国日を知らせると、帰国前に一緒にランチに行こうとわざわざ来てくれたり、出発の日の朝お土産を持って家まで見送りに来てくれた子あり、LINEで楽しかった思い出話に花を咲かせながら見送りをしてくれた子ありで、どちらも心から嬉しいと思えるサプライズであった。

我が家の子供達のみならず、姉の子供たちも、皆素直で可愛い子供達だなと、改めて思った次第である。

帰国日の空は晴れ渡り、遠路はるばる車で迎えに来てくれた長男のおかげで、少し雪化粧した美しい富士山を見ることができた。

私が NZ に戻った日を境に、日本は急激に寒くなったと聞く。
皆が体調を崩さないようにと、暖かい NZ から祈るばかりである。




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