1.10.24

「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景...

到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。
乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。

また、全ての人が乗り込み終わるまで、ドアを開けておくボタンを押し続けてくれている人が必ずいる。そして、開くボタンを押す使命感を感じている人は、全ての人が降り終えるまでボタンを押してくれていたりして、それに対して先に降りる人々は「すみません」と言ったり、お辞儀をしたりして降りていくことになる。

日本人が他の国々から polite と称賛されるのは、こういう行為をごく普通に目にするからに違いない。

NZ でも、少々遅れて来た誰かのためにエレベーターのドアを開けておいてくれる人は多くいるが、その場合は皆 Thank you. :) と言い、「すみません」ではない。
また、エレベーターを降りる際にお辞儀をすることはほぼ 100% 無い。

お国柄の違いというのは実に面白いものだと、今回帰省して改めて思った次第である。



24.9.24

急遽日本へ

90 歳を超えた母が肺に炎症を起こし、緊急入院したとの一報が入ったのは先月末...

以前から誤嚥性肺炎があり、肺機能が落ちて来ているとのことで、寿命もあるし、急変した際には延命治療はしないことにしたと...
まだ元気なうちに一度会いに来ておいた方がいいという姉の言葉を受け、早速子供達に連絡を取った。

H と T の都合を調整し、エアチケットを取ろうとしたのだが、その時点で日本はノロノロ台風 10 号の影響で飛行機の離発着にも影響が出ているというので、さすがにこの日まで待てば台風は過ぎ去るだろうと踏んだ日を選び、日程変更可能のチケットを押さえたのが今月 4 日。

念の為に日本到着後 5 日間は病院に面会に行くことは控え、私たち一時帰国組の誰もが感染症に罹っていないことを確認した上で、母に会いに行った。
母は体重が激減しているとは聞いていたが、身体は小さくなってしまい、まるで骨と皮だけのような手足と、痩せこけた顔を目の当たりにして、愕然としてしまった。

炎症の値は上下していたが、容体は徐々に回復し、退院予定日を 1 週間超過した 12 日、無事母は退院した。

母は大腿骨骨折後、家の中では歩行器を使い、外出時は車椅子を使わないとならない生活...
看病をする姉の負担は想像以上に重く、これまでずっと姉に任せきりだったことを心から申し訳なく、また有り難く思った。

痰が切れず、また入れ歯を外して話す母の言葉はなかなか聞き取れず、何度も何度も聞き返さないとならないのは、私のみならず姉も同じで、話し辛い母が何度も同じことを繰り返して言わないとならないのは可哀想の一言に尽きるが、どうしようもない。

退院の日、母の容体はその前の日よりも悪くなっているように見えたが、再度検査することなく退院してしまったのが祟って、案の定、その後 3 日間はほとんど食事も喉を通らず、痰も切れず、自力で起き上がることができない状態になってしまった。
衰弱が激しいと判断した姉は病院に連絡し、救急外来を受診... 極度の脱水状態で、そのまま即再入院となって今に至っている。

入院している限りにおいては差し迫って命の危険はないかもしれないが、退院したら入院中と同等の看護はできるはずもなく、医者からも家庭での看病には限りがあるので、介護施設に入ることも選択肢の一つとして考えてもいいかもしれないと幾度となく言われたが、痴呆にもなっておらず、冴えた頭のまま介護施設に入れられ、胃瘻、或いは喉やら股関節付近に穴を開け管を通して、そこから栄養を流し込む処置を施された上で、感染症の恐怖に怯えながら家族と離れて余生を過ごすことが果たして幸せだと言えるのか... と、姉と二人で話し合った。

家に戻って介護する道を選べば、徐々に衰弱し、間も無く最期を迎えることになるだろうことは誰もが想像できるが、その方が年老いた母にとっては幸せなのではないか...
もし自分が母の立場だったら、その方を選ぶのではないかなどと考え続ける毎日で、精神的に疲れ果てている。

今日は母の具合は悪くはなく、食事もしっかり食べられたようで、少しホッとした。



T とH は明日の便でとりあえず NZ に戻ることが決まった。

私はおそらく母の最期を看取るまで日本に滞在することになるだろう。




19.8.24

ニウエ の物価

 H 達は 1 週間の観光を終え、無事 NZ に帰って来た。

食事は美味しかったが、食べ物の選択肢はあまり無く、毎日ほぼ同じ物ばかりを食べざるを得なく、いささか飽きたとのこと。

外食は高くつくので、自炊をしようと思っても、スーパーマーケットに並んだ商品の大半が NZ からの輸入品で、価格は裕に倍を超え、普通のチーズは 2kg $56 (現在のレートで約 ¥5,000)、ワインは NZ の 2 倍となり、キャベツ半分で $14 (約 ¥1,250)、レタス $11 (¥1,000 弱)、きゅうり $13 (多分 1 本で ¥1,200 弱)と、自分で栽培しなければ生活していけそうもない驚きの価格となっていたようだ。

(何故パンが外に出された棚に陳列されているのだろう?すぐにカビてしまいそうじゃないか...)

また、ニウエ最後の夜はフライドチキン屋に行こうと思ったのだが、小麦粉が島にもう残っていないから作れないとのことで断念したと言うのを聞いて、小麦粉も島で生産できないんだと、想像以上の不便さに私は度肝を抜かれた。

貨物船が着くポートはあるものの、船は月に 1 回しか来ず、荷物が届いた直後は(べらぼうな値段だとしても)一応商品はあるが、次の荷が入る前にストックが底をついてしまっているという状況...

ニウエに移住するとなったら、日本の昭和時代にさして裕福ではない家庭に育ったような生活を想定しないとならないのではないかと、私の幼少期の光景を思い出してしまった。

H は宿の Wi-Fi に繋げたものの、超遅くて何もできないと、現地でテレコムの SIM カードを買い、4G で接続していた模様。
移住するのであれば、これは Starlink を使用すれば何とかなるだろうか...


生活するとなると不便な点が多いだろうというのはよくわかったが、私は H が「波の音がすごくて怖かった」と送ってくれたビデオを観て、それが一番衝撃的だった。



確かに怖い。
今でさえ、暴風雨の夜には窓に叩きつけられる雨音で眠れなくなってしまうような私だ。昼間ならまだしも、夜中に大音響で荒れた波の音を聞くというのは恐怖そのものだろう。

そんな海辺には私は住めないだろうな...





13.8.24

How to cut men's hair with scissors



 WHAL のクリッパーやらハサミやらなんやらを買って、美容院に行くのをやめた私。

まず切ったのは自分の髪で、取り立てて技術の要らないような、ほぼストレートの髪形にし、極々普通に出来上がった。

次に、T の髪が長くなるのを心待ちにし、私が「そろそろ切る?」とか、「だいぶ伸びたね」とか言う度に、T  が「まだいいかな...」と苦笑いしながらおののく事数回...
遂に T が「長くなってきた」と言ったのを聞いて、ニヤリとする私に、T は「怖いよ〜」と笑いつつ、観念して、私が用意した椅子に座った。

まず髪を濡らして... と、普通のお掃除用スプレーボトルとして買っておいたものに水を入れ、シュッシュッと吹きかけると、かなり冷たかったようで、T はブルッと首をすくめ、二人して大笑い。笑ってしばらく作業にとりかかれず... (真冬の NZ で頭に水を吹きかけられた T 😅)

この床屋さんが使っているような霧状に出るスプレーボトルを買わなくちゃなと言いながら、ビデオに倣って切り始めた。
予習は万全だと思っていたのだが、いざ切り始めてみると、「あれ?ここどう切るんだったかな?」と、心もとなくなり、「あれ?」「あれ?」と口走る私を見て笑う T ...
終始笑いながらの "なんちゃって床屋" の一日目は、裾の始末が何だか中途半端に長いまま終わった。
次の日になって T が、裾がちょっと量が多い気がすると言い、私もそう思っていたので、一日目の後学習しておいた方法で、「えーい、切っちゃえ!」とばかりに結構思いっきり切ったところ、「いいじゃん」と T に言ってもらえ、取り敢えず 1 回目のカットは終了。

カット後、髪を洗い、ドライヤーで乾かし終わった T が私のもとにやって来て、「すごいよ、ブラシで整えなくても、ドライヤーで乾かしただけでまとまるよ、この髪型!!」と喜んでいた。(決してそれを狙って切った訳ではない)

次も同じようにできるか少々心配ではあるが、見苦しくない程度にはカットできているようなので、回数を重ねれば、その内自信を持って臨むことができるようになるだろう。

ふぅ... 大失敗しなくてよかった...




12.8.24

H & パートナー Niue に行く

 H 達は一昨日朝の便でニウエに向かった。
NZ オークランド国際空港からは約 3 時間の飛行で着いてしまう島だが、ニウエの時間は NZ よりも 23 時間遅れの、前日+1 時間という、何だか狐につままれたような時差...

「着いたよー」と送られてきた写真は気持ちの良い南の島そのもので、冷んやりした NZ で膝かけを手放せない私は、心底羨ましくなった。



物凄く暑いだろうと想像していたのに、23℃ と、超快適だと喜ぶ H 。
いいな〜


だが、以前住みたいと思っていたニウエは、今は私の移住の選択肢には入っていない。
歳を取り、年金受給に必要な現況届け提出のために、年一回、オークランドにある日本国領事館まで在留証明書をもらいに行かなければならなくなるというのは、やはりストレスになるに違いなく、しかも、ニウエへの便は週に一回しか飛んでおらず、何もすることがなくても、一週間は NZ 滞在を余儀なくされる。元気なうちはいいが、そうでなければ肉体的にも精神的にもキツくなるのは目に見えている。更に、往復のエアチケット+滞在費(食費も含む)等々の余分な出費も家計を圧迫することになるのは明らかだ。

また、移住ではなく単なる旅行でも、90 歳を超えた母のことを考えると、丸々一週間飛行機が飛ばず、島から出れないという状況で、何の心配もなく楽しむことは、今のところできそうにない。

結局のところ、歳を取ったら日本国領事館のある都市に住み続けるのが得策かなと、そんなことを考えてしまった次第である。



だが、この先、家を買うのも借りるのも異常に高い NZ に住み続けるのが困難になってしまったら、もしかしたら、またニウエに移り住みたいと考えるようになるかもしれない。
先のことはわからない。





6.8.24

Ahmed Zaoui in New Zealand (Part 1)






心温かで、穏やかで、とてもフレンドリーだった彼は、NZ 市民権を取得した数年後、故郷アルジェリアに戻り、そして昨年 10 月、アルジェリア国内の自宅で政治集会を開いていた際に、武装した警官が踏み込み、刑務所送りとなったことを、私は昨日知った。


裁判も行われておらず、またその見通しもたっておらず、ただただ劣悪な環境に置かれ続けている彼は、自国での平和で開かれた政治を追い求めていただけだ。


彼の生涯は『波瀾万丈』と一言で片付けるにはリスクが大き過ぎ、常に命の危険が付いて回っている。
Ahmed の件を扱ったドキュメンタリー Behind The Shroud の中で、Mohamed Samraoui (Former Algeria military intelligence chief) が最後に語った言葉が、深く心に突き刺さった。


Ahmed のみならず、彼もまた祖国を捨てなければならない人になってしまったのだ。



彼とその家族に、またAhmed を助けた人々全てに平穏が訪れるよう、心から祈るばかりだ。




2.8.24

FIRST TO SEE THE LIGHT

 友達がお高い車を買うというので、お供として付いて行った T 。(友達のたっての希望)

飛行機は無事に着いたようで、写真を送って来てくれた。



行った先は、世界で一番早く新年を迎える地として有名な GISBORNE という土地で、行きは飛行機でオークランド空港から 1 時間ほどだったようだが、帰りは友達が買った車でオークランドまで来るとのことで、約 5 時間半の道のりだとか。

T の友達は、長い道中一人で運転して帰るのはつまらないと考えたのだろう。
仲が良く、しかも車好きの T と一緒に、きっと楽しくドライブして帰ってくるに違いない。

T は久々に飛行機での移動...
国内線なので、左右  2 列ずつしかない小型機だったが、パイロットが上手で、全然揺れなかったよと言っていた。


さて、今日の夕食は私一人だ。
何を食べよう... 





31.7.24

H がくれた大量のチーズ

 H が働く会社では、先頃行われたフード ショーで余ったチーズを大量にもらったらしく、冷蔵庫内にチーズが占める割合が多くなってしまったようで、要らないかと私にメッセージが来た。

余ったら欲しいと伝えると、その日の夕方、会社帰りに沢山のチーズを持って来てくれた。


Castello (デンマーク)の物は美味しく、そして高価だ。半円状の物で NZ$11〜12もする。
また、Hutchinsons (オーストラリア)のクリームチーズは、スーパーマーケットでNZ$5.80 ほど。

早速、Hutchinsons のトロピカル フルーツ クリーム チーズを食べてみたら、全くと言っていいほどチーズ臭くはなく、非常にクリーミーで美味しかったので、翌日から朝食プレートに数切れ乗って登場することとなった。

ほとんどデザートという位置付けだ。 



以前、足繁く通っていたイタリアン レストラン『ミラノ』では、ブルーチーズを乗せて焼いたピザがすこぶる美味しく、メニューに載っていなくなってからも、常連客の私たちにはシェフが特別に作って出してくれていた。

ブルーチーズは独特な臭みがあり、普段よく食べるというわけではないが、ピザにすると何故あんなに美味しいのだろうというくらい美味しい。

ブルーチーズをいっぱいもらったので、久々に、フラットブレッドに乗せて焼いてみたくなった。




23.7.24

おまけ付き虹




今朝、キッチンでコーヒーを淹れながらふと外を見ると、珍しい虹が掛かっていた。
こんなのを見たのは生まれて初めてだったが、よくある事なのだろうか?



17.7.24

縁起だとか御利益だとか

特別『現実主義』というわけでもないのだが、仏教だとか、神社仏閣だとかとは無縁の生活を送ってきた私は、これまでの長い人生で、縁起を担いで何かを買うとか、お詣りに行くとかいうことは一切無かった。

日本で行われる各種行事のほとんどは、私にとって何の興味もなければ、信じてもいなかったものばかりで、信じてもいないし関わりたくもないことに強制的に参加させられるのは、苦痛そのものでしかないということを、悲しいかな周囲の人々は考えることすらしなかったように見えた。

こちらでも、クリスマス時期に買い物に出掛けると、決まって聞かれる「クリスマス プレゼントショッピングなの?」という問いに、しっかり「違うよ。私は教会のクリスチャンじゃないから」と笑顔で答える。「あぁ、アジア人だからキリスト教じゃないんだ」と納得するのは西洋人で、この家の大家さん(インディアン)に同じ返事をしたら、非常に驚かれたことがあった。
大家さん一家はヒンズー教徒のはずだが、クリスマスはこの国では祝日であるからか、他の人々と同じように祝うようで、信仰というものが結構いい加減なものになっているのだなと感じた。


さて、そんな日本の風俗/習慣に疎い私だが、先日作った麻の葉模様の偽組子の鍋敷きを販売するための説明文を書く際に、この模様が代々『縁起物』として扱われてきたことを書くべきか否かと戸惑った。

かつて、子供が生まれた際に、麻の葉模様の産着を着せていた記憶がある。御利益どうこうなど全く頭に無かったのは明白だし、自分で買った物ではなく頂き物だったのだが、そうやって自分の意思とは無関係に、"日本の伝統" を知らず知らずのうちに受け入れてしまっていたことに、違和感を感じなかったわけではない。
(それをプレゼントしてくれた側も、やはり信心深くはなく、恐らく特別深い意味など無かっただろうが...)


そんなことを考えながら、説明文に何と書こうかとしばし考え、「この模様は麻の葉を図柄化したもので、その植物の栽培は手がかからず、生命力が強いということを踏まえ、日本では昔から、衣服を含め様々な方面で『縁起の良い柄』として使われるようになったようだ」というようなことを書いておいた。

使った板は、3,500 年以上も前の、沼地に浸かったままだった木を掘り起こして出てきた『古代のカウリ』と呼ばれるもので、色も模様も様々な、貴重な物であるが、部分的に脆い箇所があり、切り口がボロッと欠けてしまう恐れがあるので、神経をすり減らしながら、切り口の角を取る作業に時間がかかった。(角を取ってしまえば、ボロボロになる心配は無くなる)

扱いに時間をかけた甲斐があって、いい感じに仕上がった。




「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...