28.12.20

真夜中のVR

 彼の人の夢を見て目が覚めた真夜中、頭の中に様々な光景が浮かび、再び眠る事ができなくなった。

仕方がないので起き上がり、VR で汗を流すことにした。音楽に合わせて動いていれば、今更考えても仕方がない彼の人のことを考えずに済む。

... 確かに運動している時は考えずに済んだ。だが、運動を終え、キッチンで水をグラス半分ほど飲み、汗を拭いて一息つくと、夢の中の彼の人がまた頭の中に戻ってきて、それとともに、私の精神状態を案じてくれている数人の知り合いの言葉の数々が、次々と脳裏を駆け巡った。

3:58 am
パソコンを取り出し、こうしてブログを書いている。

昨日鉢植えの植物の植え替えをしていたときに見つけた Bluemoon の種が、普通ではなかったのが気になったことを思い出した。


種の上に更に種ができているように見える。


しかも、根っこのようなものが出ているではないか...



このような状態になったのを見たのは初めてで、ネットで探してみたのだが、同じような症例を見つけることはできなかった。

これは放っておいていいものなのか...
今度園芸店に行った時に、忘れていなかったら聞いてみよう。




Ice cream bean の成長には目を見張るばかりだ。
隣に置いてある金木犀はほとんど伸びていないのに、この木だけ飛び抜けて成長が早い。




今にも滴り落ちそうなほど溢れ出ていたネクターには、アリの大群が押し寄せ、全てを吸い尽くして去って行った。





5:15 am
夏だというのに肌寒い。

朝一番に鳴き始めた鳥の声を聞きながら、少し横になることにしよう。


24.12.20

仕事納め2020

例年 12月 28日頃になってやっと仕事納めになっていた日本に住む長男は、今年は珍しく 17日で仕事を終え、H と T は翌 18日が今年の仕事納めとなった。




久しぶりに H も一緒に年末の買い物に出掛けた昨日、さすがにクリスマス直前とあって、最後のクリスマス ショッピングに出かける人々の車で道路は至る所で渋滞になっており、目的地に着くまでに予想以上に時間がかかってしまったものの、ラッキーにも、ショッピングセンターの駐車場で全く並ぶことなくすんなり駐車できたおかげで、ストレス フリーなショッピングを楽しんで帰る事ができた。

楽しんだと言っても、私たちが向かったのは食料品店と、DIY ショップ(ガーデニング用品)のみで、クリスマスとは無縁の買い物である。

クリスマスを祝わない我が家では、プレゼントなど用意する必要はなく、もみの木を買って装飾したり(片付けたり)する手間もかからず、それにかかる余計な出費も発生しない。
煩わしい習慣に悩まされることなく過ごせるというのは、何より嬉しいことだ。


コロナウイルス 感染者が世界中で増加の一途をたどる中、ここ NZ では、最近ずっと市中感染者ゼロのままで、街中でマスクをしている人をチラホラ見る程度の、いたって平穏な生活をおくれている。
私たち 3人は、例年と何ら変わらないように見える年末の交通渋滞の真っ只中で、「NZ は平和だね〜」と、笑いながら話していた。


T の長年の友人(マレーシア人)は、今日、日本人のパートナーと共に東京に向けて出発することになっている。愛車レクサスは友人に売ったとのこと。しばらくこちらに戻ってくることはないということなのだろうねと、T としみじみと話した。

人生の転機... 
いまだ感染拡大が収まる気配のない日本での生活が、彼にとって楽しいものとなることを、私たちは心から願い、そして祈っている。


12.12.20

COVID-19: NZの師走

ここ NZ では、 約 8ヶ月間ほぼ毎日続いていた午後 1時の政府の記者会見、若しくは メディア向け報告が、今月から(緊急の場合を除いて)基本週 4回 となった。(health.govt.nz, COVID-19: Current cases も同様に、月、水、金、日曜日のみの更新となっている)

感染者のほとんどは海外からの帰国者やら、スポーツ関連の入国者、海外から入港した漁船の乗組員やらで、全て managed isolation facirity 内に留まっていて、市中感染はこのところ報告されてはいない。

世界中で感染拡大が加速している中、NZ 住人のほとんどは、幸いにも感染の恐怖にひどく怯えることなく過ごせているわけだが、それでもやはり、風邪の症状が出れば取り敢えず PCR 検査を受け、万が一感染者が出た場合に感染者の行動を逐一トレースできるよう、NZ COVID Tracer アプリで訪れた場所と時間をレコードするよう強く勧められている。
また、公共の乗り物を利用する際には、マスク等の着用を義務付けられてもいる。

H は少し前に鼻水が出始め、頭痛もひどかったらしく、しばらく仕事を休んでいた時期があった。本人はコロナではないと思うと、自宅療養をしていたのだが、私は念のために PCR 検査を受けた方がいいかどうか GP(家庭医)に相談してみるよう促し、素直に助言に従った H は、すぐさま家庭医に連絡し、車から降りることなく、病院の駐車場で検査を受け、2 日後に「陰性だったよ」と連絡をくれた。
*何らかの症状がある、又は感染者と接触した可能性がある場合の PCR 検査は無料である。

もし陰性でなかったら...、
同居しているパートナーとその仕事関係の接触者はもとより、私たちも、H の会社の同僚も、H が数日前に行った眼科のスタッフも濃厚接触者ということになり、14日間の自主隔離+数回の検査を余儀なくされ、関係した全ての人が立ち寄った先を細かく洗い出すことになったのだ。
感染者本人だけではなく、接触者全ての行動をトレースし、感染者を洗い出す...
そのように徹底した "駆除作戦" が行えるのは、NZ の感染者が少ないからに他ならない。
一地域で一日に何百人も感染者が出ていたら、NZ のように政府の専門機関が逐一トレースするのはほぼ不可能だろう。そして感染経路を追えなくなった人々から更に増え広がり、収拾がつかなくなるというわけだ。

NZ 政府は、まず最初の非常に厳しいロックダウンで感染経路を遮断した。スーパーマーケット、薬局などの生活必需品を扱う店以外は閉まり、街はほとんどゴーストタウン化していた。
また、結婚式や葬儀でクラスターが発生したため、それらに参列することもすぐに禁止された。
親族の悲報を受け、海外から緊急帰国した者にも 14日間の隔離が義務付けられ、息を引き取る前に会うことも、葬儀に参列することもできなかった人々が悲嘆に暮れたのは言うまでもないが、それでも感染蔓延を防ぐためには致し方ないことだと泣く泣く受け入れるしかなかったのだ。
多くの犠牲を代償にしなければ、この世界中が恐れ慄く伝染病を封じ込んでおくことはできなかったのだと、おそらく多くの NZ 在住者は理解していることだろう。

市中感染がほぼ無くなった後は、市中感染者が一人勃発した時点で、感染を速攻で封じ込める対策を取って来た NZ...
政府がロックダウンを発令したのも迅速だったし、ほとんどの国民がそれに従ったというのは素晴らしいことだ。そのおかげで、今現在、ほぼ通常の生活ができるようになっている。

そのような厳しい措置を経験した私たちに取っては、日本政府が GO TO キャンペーンなるもので経済を活性化しようとしているのを見聞きして、『一体何を考えているんだ?』と首を傾げてしまうのは当然だろう。

マスク着用も、消毒液も、100% 感染を防げるわけではなく、目からも手からも、そして菌が付着した髪や洋服や持ち物からだってうつる可能性はあるのだ。(病院のスタッフが全身を防護服で包み、完全防備で患者と接しているのを見れば、"マスクをしているから安全" だという思い込みがいかに浅はかな妄想かがよくわかるだろう。

数日前、東京では一日に 600人を超える新規感染者を出したと報道されていた。しかし、街中がゴーストタウン化する様子は更々無く、多くの人々が買い物やら何やらに出歩いている。医療従事者が逼迫した状況に悲鳴を上げ続けているのにも関わらずだ。


市中感染者が一人出るだけで大騒ぎとなる NZ が、いかに健全であるかがよくわかるなと、心底思った次第である。


4.12.20

VR で卓球

 Oculus からUS$10 のクレジットをもらったので、$9.99 足して卓球のゲーム(Eleven Table Tennis)を購入し、早々に始めて数十分... 

酔った😰😨😰😨

買うんじゃなかった...
¥1,000ちょっとをドブに捨てた気分だ。

冷や汗が出ただけではなく、お腹の具合も悪くなって、最悪の状態だ。



24.11.20

Saligna Rolling Pin

遥か昔に買った Kauri 製の麵棒(のし棒)は太く、また短いため、少々使い辛いなと感じながらも、使い続けること十数年...

重い腰を上げて自分で作ろうと思い立ったのは先週末で、切れ端の木材棚の中から、丁度いい厚さ&長さのある Saligna(Eucalyptus)を引っ張り出してきて、まず鉋で一辺を平らに均した後、四角柱に切り出すことから作業を始めた。


Lathe(旋盤)を持っていない私は、角材の角を鉋等を使って削り落としていき、円柱を形作るという方法しか手がない。
主に、鉋、カード スクレイパーを使い、延々と削って丸棒に近づけていく... 

まずは、四角柱に切り出した板の両端にコンパスで円を描き、円の周囲の不要な部分を荒削り用の鉋でザクザクと削っていく。(私は、国内のインターネット オークションで落札した古いドイツ製の鉋の刃を、弧を描くように研ぎ、荒削り用鉋として使っている)


不要な部分を大まかに削った後は、普通の鉋を使い、常に均等に削れているかどうかを確かめながら、また、板目の方向をも確認しながら、逆目で削ってしまわないよう注意を払いつつ作業を進める。


四隅を大まかに削り終えたら、次は棒の両端に描いた円をこまめに確かめながら、余分な部分を更に削り取っていく工程に入る。


直線定規に沿わせ、真っ直ぐな棒になっているかを確かめながらの作業だが、金物の定規では確認し辛いので、少々厚みのある板で直線定規を作っておくと便利だ。


鉋やカード スクレイパーを使って微妙な段差ができたところを、サンドペーパーで均し、表面に凹凸が無いようにし、両端の円の角をナイフで面取りすると、"許せる程度" の麵棒になった。



所詮、ピザやらクッキーやら麺の生地を延ばすのに使う程度なので、コンマ何ミリの狂いなど気にする必要はなく、厳しく正確さを追求しなくてもいいのだが、それでも "ほぼ" 正確になるまで神経を集中して削り続けたのは、只々腕を磨くために他ならない。


今回作ったのは、直径 3cm、長さは 40cm 程度。
これまで使っていた Kauri の麵棒と比べるとかなり細いのだが、Saligna は重量があるため、細くても適度な重さがあり、非常に使いやすそうだ。





餃子の皮等を作る際には、同じような細さの短めのものがあったら、便利かもしれない。
その内作ることにしよう。


ちなみに、食品に触れる木製品の保護として、私は食用ココナッツ オイルとビーズ ワックスを合わせて作った自家製ワックスを使っている。塗った後しばらくして拭き取るとサラサラで、匂いも悪くなく、非常に重宝している。



27.10.20

Inga edulis (ice cream bean)

 金木犀を注文した際、一緒に購入した ice cream bean の苗が、最近成長の速度を早めている。


この葉の真ん中にできたボタンのようなものは何だろうねと H に写真を送ると、それは蟻を誘き寄せるためのネクターだとのこと。誘き寄せられた蟻は木の成長を妨げる害虫を食べ、農薬を撒くことなく害虫駆除ができるようになっているのだそうだ。



ネクターができて一週間ほど経ったある朝、ネクターに蟻が来ているのを発見した。
地面からかなり離れた場所(コンクリート製の階段の上)に鉢植えで置いてあるにも関わらず、このネクターめがけてやって来る蟻の嗅覚というのは、計り知れないほど鋭いのだろうと、改めて、生き物に生まれながらに備わっている能力に驚嘆させられた次第である。





自然界は上手く出来ているものだなと感心しながらも、蟻の大群が(鉢の置いてある)玄関先に押し寄せてきたら嫌だなと、今度はそちらの方が気になってきた。


16.10.20

Marcato Atlas Wellness Model 150 Pasta Machine

 パスタ マシーンを購入し、最初に作ったのは焼売の皮...


生地を伸ばす際に場所を取らないというのは、キッチンが狭い我が家では何よりも嬉しく、クルクルとハンドルを回すだけで均等に伸された生地が出てくるのを見るのは、想像以上に楽しいものだ。




焼売の皮作りで気を良くした私は、次に太蕎麦に挑戦。
包丁を使って細く切るのは問題なくできそうだが、太蕎麦が美味しいという声を幾つかネットで見てしまったので、パスタマシーンの別売りアタッチメント Trenette を試してみる目的で、今回は太蕎麦にしてみた。

御品書き: とろろ おろし かき揚げ 手打ち 細切れ 太蕎麦


T も私も蕎麦好きなため、作るならやはり二八蕎麦でしょうと、YouTube のビデオを参考に、頑張ってこねてみたのだが、パスタマシンで麺を切るまでは上手くできたものの、茹でている内にプチプチと切れてしまい、大半が細切れに...

勿体無いのでそのまま食卓にのぼる事となったこの初手打ち蕎麦。
こちらで買った buckwheat flour を使っているため、日本で食べる蕎麦のように強い蕎麦の味はせず、全くクセのない "なんちゃって蕎麦" になってしまったものの、それはそれなりに美味しく、「美味しいじゃん!」と二人してお腹がはちきれそうなほど沢山食べてしまった。

とろろ も大根おろしも絶妙に合い、蕎麦ということをほぼ忘れながらも、自家製麺に気を良くした私は、懲りずにまた作ってみることに...

二八蕎麦でさえ蕎麦の味がしないんだからと、今回は捏ねるのが楽そうな四六蕎麦にしてみたのだが、日本で一般に推奨されている水分量では全く足らず、何十分捏ねようがスムースなテクスチャーにならず... 
仕方なく、少しずつ水分を増やしていくしかなかったのだが、おそらく、回数を重ねないと最適な生地の硬さの程度を見極めることはできないだろう。


次々出来上がる麺を、くっついてしまうことなく置いておくために、パスタ ラックを作っておいた。
DIY ショップで 1本 $5 以下の丸棒(直径 1cm、長さ180cm)を 2本買い、アトリエにあった板に穴を開けて差し込んだだけの簡単な作りだが、場所もとらず使い勝手が良い。




昨日は寒かったため、温かい食べ物がいいということで、簡単な鶏肉だけ入れた麺汁に、天ぷら別盛り。(太ネギが手に入らないため、太ネギ無し鶏南蛮というところか)

麺作りで精力を使い果たすため、天ぷらはいつも一番楽なかき揚げになってしまうが、まぁ、無いよりはいいだろう。



6.10.20

22年が過ぎた

一昨日、H が「自宅で増え広がってしまったミントと、腐りかけたので埋めておいたトマトがたくさん芽を出したけれども、欲しい?」と聞いてきたので、ありがたくもらうことにした。

その日、苗を持ってきてくれた H と一緒に裏庭に行き、二人して畑の草を抜いてから、ミントとトマトの苗を植えた。


最近は半袖の T シャツ一枚でも過ごせるほどの陽気になっているため、雑草の伸び具合も半端ではなく、気が遠くなるほど生い茂ってしまった草を、昨日一人で黙々と抜いていたが、途中で疲れてやる気が失せた。


オークランドは明日の深夜11:59に、アラートレベルが 1 となると、昨日首相が発表した。

帰国感染者は毎日報告されているが、市中感染は終息に向かっているようで、ごく少数のアクティブケースは残っているものの、新しい市中感染者はここ 11日間出ておらず、前回同様、政府の素早い徹底した対応のおかげで、NZ はまた平穏を取り戻したように思える。

今月 17日(日曜)には総選挙の投票が完了し、次の首相が決まるわけだが、現 Jacinda Ardern 首相が再選される可能性は極めて高いだろうと、おそらく多くの人が予想していることだろう。

また、今回の選挙では、いわゆる安楽死の合法化(end of life choice referendum)と、大麻(カナビス)の娯楽使用合法化(cannabis legalisation and control referendum) についての国民投票が同時に行われる事になっている。



安楽死は非常に重いトピックであり、無神論者であってもその判断を容易には下すことはできないだろうに、この国はキリスト教国であるのにも関わらず、それを合法化するか否かの議論を国民投票にかけるという、私にとっては信じられない事態となっている。

死に対する自己決定権が人間にあると考えるのは、(こと、キリスト教に照らして言えば)神への冒涜ではないのだろうか?

私たちは、生まれる時も、場所も、両親も、はたまた、誕生に関わる全ての環境も、何一つ自分で選ぶことはできないでこの世に生を受け、自分ではどうすることもできない環境の下で育てられ、それを土台にして生きて行くことになっているのだ。

自分では精一杯努力して真っ当に生きて来たつもりでも、自分の思い描いた明るい未来は突然の災難に見舞われ、人生の軌道修正を余儀なくされるだけではなく、一生癒えることのない深い傷に死ぬまで付き纏わされることさえある。 
それでも生き続けなければならない理由は?


「自分の人生なんだから、自分の好きなように生きたらいい」と言う人がいる。

自分の人生ね... 

これまで「生まれてこなければよかった」と言う人を、長い人生の間には何人も見聞きして来たが、それは自分でどうこうできる類の問題ではない。

誕生するか否かを自分で決めることはできない。また、誕生の段階で既に、(物心ついた後に考えた)自分の好きなようにはなっておらず、何かの意図を持って生まれて来たのかどうかも全くわからず、学校を卒業し独り立ちする頃になって初めて、"自分の意思" で何かを決定したとしても、ほとんどの場合、全てが "思い通り" というわけにはいかないだろう。下す決定には、『妥協』という文字がついて回ることの方が圧倒的に多いのだ。

生まれてくることに関して、生まれてくる人自身に決定権が無いのは明らかで、そんな生命の誕生を『神からの賜物』としているキリスト教が、生命を終わらせる自己決定権については人間にあると考えるのは、果たして理に適っていると言えるのだろうか?

生きるのが辛くなったからと、神からの "賜物" である命を捨てる人々が増えたら、神の行為のみならず、その存在そのものが一体何だったのだろうと疑問に思えてくるのではないか...

そんなことをふと考えながら、彼の人の22回目の命日(?) を迎えた今日、子供たちがずっと明るく、素直に育ってくれたことを殊の外嬉しく思うと、彼の人の写真に向かって呟くと、途端に胸が詰まった。




ちなみに、自分の好きなように生きているように見える人というのは、得てして周囲から顰蹙を買ったりする傾向にあるように思えるのは、私だけであろうか?


4.10.20

声帯の鍛練

 少し前、母が声を出し辛くなってしまったようだと、日本に居る長男から連絡があった。
年齢から来るもので、治療法は無いとのこと。

母は私なんぞよりも余程社交的で、喋っていない時間は私の方が圧倒的に多いと思えるため、母の歳よりもずっと早く、私も声が出なくなる可能性があるなと、漠然と思ってしまったのだが、父は私よりも更に寡黙な人であったが、亡くなるまで問題なく喋れていたことを考えると、一概に年齢によるものだとは考え辛いのではないかと思えて仕方がない。

(どこぞのサイトから転載)

ネットで声帯を鍛えるトレーニングなるものを見つけ、画像を Line で姉に送ると、姉自身もやらなければと返事が来た。
悲しいかな、私たちはもうそんな歳になってしまっているのだ。

とは言え、トレーニング方法はわかったものの、差し迫った必要性が無いとなかなか実行に移すまで行かず、未だ試してもいないありさまだ。


声は出し辛くなってしまったものの、あと数日で 88歳になる母は元気でいてくれるようで、姉と一緒に、農家から直接購入した新生姜を佃煮にしたり、紅生姜にしたりと、これまでとほとんど変わらない生活を送っているとのこと。


世界中でコロナウィルスが蔓延してしまっているせいで、母に何かあってもすぐには会いに行けない状況にあるため、元気でいてくれることをただただ祈るばかりである。


2.10.20

Eagles /"Hotel California" 1994 Live/


H が巣立って1年が経った。

T と2人きりの生活にはすっかり慣れたが、彼の人が居なくなった日が近づくと精神的に沈んでしまうのは今も変わらない。

YouTube で懐かしい曲を聴きながら胸をつまらせていた時、どうしたわけか、このビデオが聴いていた曲を遮って現れた。

彼の人が好きだったこの曲は、時として何の前触れもなく、私の前に現れる。

あたかも、「俺はずっと側にいるから、元気を出せ」と言っているかのように、この曲が私の人生に付いて回ってくれている。



25.9.20

Waitakere Ranges へ...

 天気が良かった今週始め、T がドローンを飛ばしに行くというので付いて行った。

家から 45分も車を走らせると、かなりな田舎道になり、目的地に到達するまでには、舗装されていない、土埃が舞う狭い山道を走る必要があった。

埃まみれになった車を降りると、Waitakere Ranges Regional Park の看板が目に入った。
駐車場には、数台の車が停まっていたが、工事作業員らしき人と他に2、3人を見ただけで、決して賑わっている "観光地" のようではなく、マスクを着けるまでもないなと安心した。


簡単な説明が書かれている芝生のエリアを抜けて、海岸の方に向かう...



歩道は非常に細かな黒い砂で覆われており、太陽の光に照らされて、キラキラと綺麗に光り輝いていたが、その様を写真に収めるのは難しかった。


道の脇には黄色の花が咲き乱れていた。




海岸には一組の親子連れと思われる集団と、二組のカップルが居たのみで、のんびりとドローンを飛ばすことができた T は、予想よりも長くそこに滞在したことを少し驚いていた。




帰りの道すがら、貝が採れるかも知れないと立ち寄った海岸は、あいにく満潮で、潮干狩りは断念。




駐車場脇に痛々しく倒れている大木があった。落雷にでも打たれたのだろうか?
非常に残酷且つ惨めな姿を目の当たりにして、胸が詰まる思いだった。






次に立ち寄ったのは、オークランドのダム。

オークランド住人は水不足のために、長い間節水制限が課されている。
一般家庭でホースを使っての庭の水やりやら、洗車は禁止され、違反すると罰金を科されることになっているため、同居人 T は(営業を許可されている)水を循環して使う方式の洗車場に出向かなければならず、不便な思いをしている。









久々に長い時間出歩いていたため、帰宅後夕食をとるとすぐに眠りに落ちた。



「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...