26.1.25

老いの実感

母が亡くなってから 1 ヶ月が経った。

母が居なくなり、母のために食事を用意することも、下の世話をすることもなくなり、母がデイケアに行っている間に急いで様々な用事を済ませる必要もなくなった姉は、今自分のために生きることができるようになっているだろうか?
そんなことを考えながら、私は真夏の NZ で T に大きな合板を切ってもらい、オーブンの上に置く棚を製作しているところである。



もう何年か前から、ほとんど全ての重労働を T が率先して担ってくれているおかげで、私は怪我もせず、病気で病院にかかることもなく、非常に楽に過ごせているというのは、実にありがたく、嬉しいことで、T が居なかったら姉のように一人でほとんど全てをこなさなければならず、車を運転して買い物にも出かけなければならないことを考えると、自分はどれだけ恵まれているか計り知れないなと、しみじみ思った。



そんな楽をしている状態であるが故か、それとは関係なく歳をとって単に著しく体力が衰えてしまったためか、一昨年前と同じような作業(或いはそれ以下)をしているのにも関わらず、少し根を詰めると動悸息切れに襲われ、一時顔面蒼白になってしまうようになってしまうことが多くなった。

座って編み物をしている分には長時間でも何の支障もないのだが、こと、しゃがんだり、立ったり、頭を傾けたりという動作が続くと体調の悪化は的面である。


雲の上のお師匠さんは既に 70 歳半ばとなっているのにも関わらず、いまだに大きな家具を作り続けているのを観ると、流石にずっと作業をし続けてきた人は体力が違うものだなと、感心せざるを得ない。

そういえば、姉がツアー旅行で会ったお百姓さんだと言うお婆さんは、姉よりも遥かに年上だったが、健脚で、全く疲れた様子を見せなかったと、たいそう驚いていたことがあった。
また、姉の高校時代からの友達は驚くほど元気な人で、70 歳間近だというのに、階段の上り下りも苦にならず、農作業にも疲れを見せず、日中じっと座っているのを見たことがないほど、よく動き回っていて凄いよと、私が日本滞在中よく話題に登っていた。

私は、このままでは急速に老化の一途を辿ることになるのは目に見えている。
休憩を挟みながらも、体力をつけるよう木工に励み、たまには遊歩道散策などに出かけるなどして、頑張らないと...


ちなみに、今日は板全面をサンドした後のペイントまでは、気分が悪くならずに作業を進められたが、ペイントが乾くのを待って再びサンドし、二度塗りを行う気力は欠片も無く、作業は明日に持ち越しとなった。





0 件のコメント:

コメントを投稿

いかにも日本っぽい

日本に居たら、やっぱりそう考えるようになるんだろうな... 最期まで体裁を取り繕って生活していた母のことが、咄嗟に頭に浮かんだ。 ここで言う 『親しい友人』というのは、私からすれば、本音で話をすることができない/実は信用できないと心の底で疑っている『見せかけの友人』としか思えず、...