30.9.12

Nespresso y ROSABAYA de Colombia

昨日、同居人は友達の引っ越しを手伝いに行き、友達はそのお礼にとランチをおごってくれた上に、これを「BBQグリルを買ったらオマケで付いてきたんだけど、よかったら使って」と言って持たせてくれたそうだ。
その友達の家ではもうずいぶん前からこのエスプレッソ・マシンを使っているので、2台も要らないからということらしいが、何とも気前のいい友達である。


この色分けされたカプセル一つ一つに違う風味の粉が入っていて、これをマシンに放り込んでボタンを押せば、一人分のエスプレッソが瞬時に出来上がる仕組みになっている。
決して経済的ではないかも知れないが、これまでのように粉をプレスして1人分(或は2人分)のコーヒーを入れてはスイッチを切って粉を入れ替え、使い終わったら粉を捨て... などという手間を考えたら、断然こちらの方がいいなと思えてきた。


昨夜飲んだのは FORTISSIO LUNGO と ROSABAYA de Colombia 。どちらもとても美味しかったが、コロンビアの香りを嗅いだ時、十数年前の記憶が蘇ってきて少し切なくなった。
コーヒー豆専門店で生豆を買い、自宅でローストし飲んでいたあの頃、私のお気に入りはまさしくコロンビアだった。


さて、今週末はどこで食事をしよう。
あれから14年も経ってしまったのだから、歳を取ったと感じるのも無理からぬことだなと、これを書きながらしみじみと思った。



28.9.12

福沢 諭吉



独立の気力なき者は必ず人に依頼す、
人に依頼する者は必ず人を恐る、
人を恐るる者は必ず人に諂う(へつらう)ものなり。
常に人を恐れ人に諂う者は次第にこれに慣れ、
その面の皮、鉄のごとくなりて、
恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、
人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。

・・・・・

目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず、
立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、
その従順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。
実に無気無力の鉄面皮と言うべし。

・・・・・


学門のすすめ ー福沢諭吉ー より抜粋





人に依頼せず、人を恐れず、人に諂わず、
恥ずべきを恥じ、論ずべきを論じ、
人を見ても腰を屈せず、
目上の人でも構わず理屈を述べ、
立てと言われても立たず、舞えと言われても舞わず、
痩せ犬のように従順でもない私のような輩は、
この世では楽に生きられない。

この世は、更に一層、学問に秀でるよりも、
人に媚びる術を習得した者勝ちの世になったような、
そんな気がしてならない。





25.9.12

味わいのあるバゲット


歩いてほんの数分の所にあるライブラリの駐車場で、毎週土曜日の午前中のみ Farmer's Market が開かれている。
先週初めてその 朝市に行ってみた。

とてもこじんまりとした市で、出店数も多くなく、見るものもあまり無かったのだが、朝コーヒーを飲んだだけでぶらりと出掛けたので小腹が好き、2時間前に収穫したばかりだという苺と、パンを販売する stall (露店)からTurkish Bread とCiabatta を1本ずつ買って帰って来た。

買ってきたパンはどちらも不味くて食べられないというほどではなかったが、特に美味しくもなかった。

上の写真は先週私の家で焼いたバゲットなのだが、買ってきたパンとは比較にならないほどコクがあって美味しい。使用している粉の違いもあるだろうが、投入するイーストの量を極力減らし、醗酵に充分時間をかけるだけで、これほどまでに味が違うものができるのかと誰もが驚く仕上がりになる。

粉、塩、イースト、水だけで作るとてもシンプルなバゲット。
きちんと温度管理がなされ、醗酵によって風味が最大限に引き出されたバゲットはこの上なく美味しい。


21.9.12

行き先不明の郵便物とNZ POST

国内のオークションで落札したものが10日もかかってようやく届いた。

あまりに遅いので、出品者に「もう送ってくれましたか?まだ届いていないんですが、送ってくれてあったら日付をおしえてくださいな」と3日前emailで問い合わせると、先週の水曜日に送ったから、あと2日くらいしてもまだ届かないようだったらまた連絡して来てという返事が来た。


昨日ようやく届いた荷物には、RETURNED LETTER OFFICE NEW ZEALAND POST AUCKLANDというスタンプが押され、しっかりと住所が手書きされたポストショップの封筒が、差出人の書いた住所を隠す程度に折り畳まれて貼付けられていた。
こういうのを受け取るのは初めてだったので、貼付けられた封筒の下に一体何が書いてあるのか気になった。封筒を取り除いてみるとこんなものが貼付いていた。



宛先不明のため送り主に戻すよう指示がなされている。

送り主が書いた宛先を確認すると、我家の番地と判別するのは難しかろうと思える数字が書かれていて、間違ったアドレスに配達されそうになったというのが一瞬でわかった。なぜ「配達されそうになった」と表現したかというと、その間違えて書かれた(或はいいかげんに書かれた)番地にあるのはアパートで、個々のユニット番号が書かれていなければ配達しようがないからだ。配達員はさぞ戸惑ったことだろう。

配達不可能なその荷物を持ち帰ってオフィスに渡した・・・が、どこにも送り主のアドレスは書かれていない・・・郵便局としてはこういうのは本当に困るだろうね。

ここNZでは住民登録などというものはなく、運転免許証にさえ住所の印刷がなされていなくてもいい国なので、郵便局が住所とその住人とを照合するなどということは到底無理ではないかと思っていたが、どのようにして照合できたのかをよくよく考えてみたら、数ヶ月前に郵便局のオンライン・ストアーで送料込みの封筒を買った際に、住所と名前を登録してあったことを思い出した。もしかしたらそれが役に立ったのかも知れない。(それしか考えられない)

国民の多くが利用しているインターネット・オークション。荷物が届かないという苦情はよく耳にするし、その度に郵便局が矢面に立たされ、責任は全て郵便局にあると言わんばかりの書き込みだらけになってしまっているのが現状だが、私は今回の他にも似通った事例を経験し、幸いにも郵便局の尽力で、時間はかかっても無事荷物が届いているので、早計に郵便局を疑ってかかる気にはならなくなっている。

出品者へのフィードバックには、住所が間違っていたことに加え、NZ Postの尽力のおかげで幸運にも荷物を受け取ることができたことを書き記しておいた。

闇雲に誰かに責任を転嫁する人が少なくなるようにと思って。


18.9.12

The Best Voice Ever

カリフォルニアに住む中国人の友達と時々emailで熱く語り合うことがある。

彼女とはここに来たばかりの頃入った語学学校で知り合ったのだが、とても勉強家で、個性的で、入学当初は特に、他の人にはない非常に強い存在感が漂っていたのをよく覚えている。

『浮世離れした』という印象は、彼女を知るに連れ次第に薄くなっていったのだが、彼女はその風貌からは想像もつかないほど、細かい気配りの出来る優しい人だということがわかってきたのは、残念ながら私がその学校を去る日が目前に迫った頃だったので、朝から夕方近くまで一緒の教室にいても、さして親密な話をするわけでもなく、他のクラスメイトと何ら変わりない間柄でしかなかった。

私が卒業のスピーチをしている間、彼女は私の写真を撮っていてくれたのだが、彼女が泣きながら写真を撮っていてくれたことを他のクラスメイトから数ヶ月後に聞いた。

彼女が後に送ってくれたemailにはこう書いてあった。
「日本人が戦争時に中国に対して行った残虐行為がどれほど恐ろしいものだったかを、小さい頃から教え込まれて育ってきた私は、これまで日本人に対して強い嫌悪感しか抱いていなかったのだけれども、初めてここ(NZ)の空港に着いた時、何もわからなかった私に親切にしてくれたのは日本人だったし、一番心が通じると思ったのも日本人であるあなたでした。... 日本政府の決定が国民の本当の姿を反映していないということが、今になってようやくわかりました。いつかまたあなたに会える日が来ますように。」


語学学校卒業後すぐに私は一旦NZを離れ別の島(別の国)に行き、私がNZを離れている間に彼女は語学学校を卒業し、アメリカに渡ってしまっていた。

彼女との心の付き合いはもう9年にも及ぶ。非常に率直に意見を言い合える存在で、少し前には映画の話から宗教論にまで発展したのだが、その時点では話に決着がつかず、かなりの月日を経てから、「あなたの言うことが理解できるようになりました。」というemailが届いたりして面白い。


その彼女との最近のお題は『声』。

私は何故か人の声に関心がある。最近喋った人の中にとても優しい声をした人がいたので、それを同居人に話すと、確かにその人の声は優しい響きだけれども、特に気にしたことは無かったし、特別印象に残っているというわけでもないとあっさり片付けられた。
いや、私にとっても、全然印象に残らない声の人がほとんどなんだけどね... 

多分私は、そこまで優しい響きの声とか、物言いとかをする人にこれまで会っていなかったのだろうなと思った。
芯のしっかりした人だというのが手に取るようにわかるのに、声は限りなく優しい。他の誰とも違ったキラリと光るものを持っていて、風貌も明らかに表舞台に出る人のようであるのに、声に力強さを感じない。何故だろう... 


上記のカリフォルニアに住む友達は、少し前にとても魅力的な声の持ち主に出会ったと言っていた。私も2年前に、これまでの人生において最も魅力的だと思える声の持ち主とインターネット上で会話したことがあるのだが、その魅力的というのを具体的にどう説明したらいいのやら...

男らしい凛とした声。(ガラガラした)いがらっぽい声ではなく(笑)、透き通り過ぎてはいないが通る声。決して太い声ではない。... といくら頑張って書いても、到底文字では表すことができない。

あの声を越えるような、見事なまでに麗しい声の持ち主には、おそらくこの先出会うことはないだろうな...(個人の好みの問題以外の何ものでもないが(笑))

永久保存版として声を録音させてもらえばよかった...



15.9.12

付属品の品質に自信が持てないって...


来月あたりに産まれて来るであろう同居人の友達の子供の為に、生後3ヶ月児用の Overalls (Salopette) を作っておいた。春生まれの男の子用だ。
男の子だと聞いているが... 万一違った場合にはボタンの色を青から白に変えて、どこかにレースでも付ければいいか...

オムツ替えを簡単にするために股にはスナップを付け、背中にはアクセントにブランド・タグも付けておいた。(宣伝用とも言える(笑))

この股の部分の、打ち付けるタイプのスナップだが、やはりこちらではロクな物が手に入らなかった。品質が良いとはお世辞にも言えないのに、さして安くもない。はるか昔に使った"日本製"の信頼度の高さを改めて実感した次第である。

一応これでもかというくらい打ち付けてはおいたが、どれくらいの使用に耐えられるのか定かではない。
まぁこれは知り合いへのギフトなので、外れたらまた付け直してあげればいいのだが、もし仮に販売した場合は、「スナップの品質は保証しかねます」と断り書きを付けた方が親切なのかどうなのか迷うところだ。


少し前にインターネットで購入した極薄ボタンには参った。
これまで見たことも無い(ボタンの縁で手を切りそうなほど)薄いボタンを、そんなものがあるなどとは想像だにせず購入してしまったことがあるが、それはさすがに洋服(身に着けるもの)には使えず、一体何をどう考えてこの薄さにしたんだ?と疑問が残っただけだった。


頼むから、収益だけに囚われず、少しは品質にも注意を向けてくれと、声を大にして叫びたい今日この頃である。




7.9.12

楽園で...

このブログの最初の投稿は、ある知り合いの癌宣告のことについてだった。

その知り合いが、昨日の夕方5時頃、容態が急変して息を引き取ったとの知らせを受けた。


「今後とも息子をよろしくお願いします」と、我家の玄関先で深々と頭を下げて行かれた姿が目に焼き付いて離れない。あの時、こんなに早く別れの日が来ることを誰が想像できたろう。
初孫がもうすぐ産まれて来るというのに...


楽園は本当に来るのだろうか。

















4.9.12

present continuous

今朝目覚める前に夢を見た。
突然居なくなった人が戻ってきている夢だった。場所は今居る所(家は見たこともないような家だったが)で、登場人物は自分も含めて皆若かった。

私はその人に、これまで何処にいたのだ、あの時の状況はどんなだったんだと聞いていたが、返事を聞く前に夢から覚めてしまった。

夢っていったい何なんだ?


災害に遭ったり、遭難したりして、突然姿を消してしまった人の消息は一生つかめないまま終わることが多い。亡くなったという確かな証拠が無いというのは、ある時は慰めにもなり、またある時には堪え難い苦痛として精神を蝕むものともなる。

He is missing...

あの人の人生は永遠に現在進行形のままなんだ。
実際にこの世に存在していなくても。


「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...