23.10.16

布団作り、そして父の作った机



その昔、我家では母が自宅用の全ての布団を作っていた。布団の打ち直しも定期的に行っていたので、けっこう頻繁にその光景を見ていたことになる。

私と姉は小さい頃から母の布団作りを手伝っていたので、今でもどのようにして作るかよく覚えている。

もちろん布も買い、布団のサイズに縫っておくのだが、母はこのビデオの様にではなく、布団の中央になる部分を縫い残し、その縫い残した部分から四方の角を抜き出すようにしていた。

また、綿を敷き詰める際には、まず最初に真綿を布の上に薄く敷き詰め、その後コットン綿をこのビデオのように敷いて行った。そして、最後にはまた真綿を薄く敷き、真綿でコットン綿を包むようにしていた。

真綿は高価なので沢山は使えないと言っていたが、例え少量でも(それだけでは効果が期待できるかどうかはわからないが)、家族のためを思って、少しでも快適に睡眠できるよう配慮してのことだったのだろうと、このビデオを観ながら懐かしく当時の光景を思い浮かべていた。


日本に行っている同居人Hは、1週間私の実家に滞在し、母の美味しい手料理を堪能し、姉の計らいで高級料亭に連れて行ってもらったり、美味しい鰻重やら、こちらではお目にかかれない "ミスド" のやたらと美味しいドーナッツを頬張る写真が送られて来た。

80歳をとうに超えている母だが、Hが来てくれるからと、自ら買い物に出かけ、好物を沢山仕入れ、食べきれないほどの料理をせっせと作って待っていてくれた。

また、先週末には皆で少し遠出して、神社巡りに連れて行ってくれたりし、これまでに経験したことの無い "日本" の姿を楽しんで来たようだ。

私は日本に居た頃は熱心に聖書の勉強をしていたので、神社に行くことはほとんど無かったし、今でも取り立てて行く気はしないが、皆が楽しそうに一緒に行った想い出を写真に収めているのを見て、あぁ、いい家族で良かったなと、心底思った。


昨日、Hは私が持たせたNZ産ビーズワックスで亡き父の作った机を丁寧に磨いたようで、母は見違えるほど艶の出た机を見て、何度もお礼を言っていたらしい。


「塗ってある方と塗ってない方の違いがわかる?」と、Hが送って来た写真

私は木工を始めるまで木製品の手入れをしたことはない。自分で作るようになって初めて、父の作った家具が艶がなくなってしまっていることに気付いた次第だ。



Hは木工に関することは何も知らないので、取りあえず乾燥し切っている家具にビーズワックスを塗って表面を保護する処置だけをしてもらったが、今度私が行った時には、スチールウール パッドとサンドペーパーを使って、もう少しだけ綺麗にしてあげようと思った。

父が遥か昔に作ったこの机。昔は姉が使っていたように記憶しているが、今は母のパソコン机となっている。棚部分には扉が付いていたはずだが、もう取り外されている。取り外された扉は何処に行ってしまったのだろう?

母は今でも父の作った沢山の家具に囲まれ、それを毎日使って生活している。
昔の家具なので、今の生活に合うような作りではもちろんないわけだが、今一般庶民が手を出せる価格帯で売られている家具は、木の質自体が安っぽく、見比べてみると質感に雲泥の差があるのがよくわかる。
また、今売られている家具のほとんどは、作りも誠にお粗末だ。


私のこれまでに作った家具はみすぼらしい。
もっと腕を磨いて、質の良い材木を使うようにしなければだめだと、父の作った家具を見る度に思うのだが、悲しいかな。昔のように材木が安く手には入らない時代になってしまっていて、欲しい板に手が出せない。

ステンドグラスの仕事をしている時にも、やはり経費削減のために質感の無い安っぽいガラスばかり使わざるを得ないことに苛立ちを覚えたが、木工の世界も同じ…

手作り派にはあまり嬉しくない世の中になってしまったことを嘆くばかりである。


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