27.2.19

朝の気温 12℃ 🤧

急激に寒くなってきたオークランド。一昨日の朝は13℃、作朝は12℃、そして今朝は13℃と、連日冬の気温。長袖の上着を羽織らなければ我慢できないほどの寒さである。

例年(この時期)こんなに寒かっただろうか...?




ベランダに置いた鉢植えのライムはだいぶ大きくなってきたが、こんなに急激に寒くなってしまうと、鉢植えのまま外に出しておいて大丈夫だろうかと心配になる。
簡単に調べてみると、やはり鉢植えの場合は冬場家に入れるのが好ましいとのことなので、玄関先の風の当たらない場所に移した方がよさそうだ。

実の収穫までには 3〜4ヶ月かかると書かれていたので、こちらの秋口に初収穫となるのかなと、園芸オンチの私はただ楽しみに見守っているだけ...

植物は好きなのだが、ガラス工作やら木工やらに比べると興味はさほどなく、ただ水やりをしているだけに過ぎない。
私の興味の順番から言ったら、料理の次に位置する程の興味の無さだ。




先週末、同居人HのBFが、Hの誕生日に小回りの効く車(三菱 コルト)を買った(買ってくれた?)。いつまで経っても本免許試験を受けに行かないHを見るに見かねて、毎週末運転の練習をさせようと考えてのことのようだが、私同様、Hも背中を押してくれる人がいないと前に進まないタイプだったのかと、苦笑いしてしまった。

その昔...

私は車には全く興味は無く、車酔いもひどかったため、自分で車を運転しようなどとはさらさら思っていなかったのだが、若い頃働いていた総合病院が新築の折、設計を請け負った会社の建築設計士の一人と写真撮影が縁で仲良くなり、その人が通っていた自動車学校に良い教官がいるから紹介してくれると、何故だか自動車学校まで連れて行かれたことがあった。あいにくその日 "良い教官" は不在だったが、取り敢えず入校手続きをその場で済ませ、通うこと1ヶ月弱...  全てのカリキュラムを修了する間際になって、紹介してもらえるはずだった教官に当たり、そこで初めて、私が紹介されていた人物だったと知った教官は、何故これまで自分に予約を入れなかったんだ?と不思議がっていた。

私は自動車学校に通うのが面倒なので、一日も早く免許を取りたかったのだ。
一日も早く免許を取るためには、毎日欠かさず予約を入れ、キャンセル待ちもして、どんどんカリキュラムを消化していかなければならない。
スムーズに予約を入れることのできる教官だったら誰でもよく、そういう人は往々にして厳しく『人気の無い』教官であったことを、半月以上経ってから理解した私は、その時たまたま一緒になった中学時代の同級生が、ある教官と一線を超えて親しくなり、課外授業まで受けるという "裏ワザ" まで使い、S 字カーブで脱輪し、駐車練習で印として置かれていたコーンを全てなぎ倒していたにも関わらず、最短コースで免許所得に至ったのを見て唖然としたものだ。
その "楽に世渡りのできる" 同級生とは、連絡を取り合うこともなく今に至っている。

遠い遠い昔の出来事だ。


買ったばかりの三菱 コルトを綺麗にすべく、同居人Tも加わり、洗車、ポリッシュ、ワックスがけと、3 人で何時間もかけて炎天下で作業をしていた。
ただ洗車するだけの予定だったBFは、予想外に仕事が増えたことに面食らいながらも、Tに全て任せることなく、一生懸命に動き回っていた。
BFは几帳面な性格なので、やり出したら細かいところまで綺麗にならないと気が済まない...  結構イイカゲンになってきた私たちは、そんな彼を見て笑っていた。

BFはすっかり家族の一員になっているかのように見え、洗車中に通りかかったこの家の大家さん夫妻が、「私の車もここに置いていっていい?」とジョークを飛ばすと、BFがおどけた返事をしていたりして、なんとも和やかな光景だった。

Hが、BFはお父さんの家に行くとすぐに不機嫌になると言っていた。
お父さんと一緒に住んでいるパートナーは、いつ行ってもぶっきら棒な物言いしかせず、誰が居ようと御構い無しで、Hが行っても全く取り持つことはなく、常に愛想が悪く、そんな人をこれまで多く見てこなかったHは、行くと気が滅入ると言う。

「ウチみたいに毎日笑ってばかりいる家なんて、そう無いよ」

少し前BFが来た時には、Tの日本人の友達がたまたま遊びに来ていた。彼も明るい性格で、5人で食卓を囲みながらずっと笑ってばかりいたのだ。

決して裕福ではないが、居心地の良い家庭...  ずっとこの状態が続くといいなと、そう願わずにはいられない。


26.2.19

スーパー マーケットのオンライン ショッピング

車が動かなかった時に初めて利用した、スーパー マーケットの宅配サービス。

[countdown supermarket online shoppingの場合...]

注文したものが品切れの際、代替え品でOKかどうかをアカウントセッティングしなければならなかったとはつゆ知らず、普通のクランスキー ソーセージがチーズ入りになっていたり、洗濯石鹸の香りがレモンではなくオレンジになっていたりしたが、それでも80点を超える商品が間違いなく、しかも注文を入れたタイミングによっては、注文した当日中に届けてもらうことができるというのは、NZにしては驚くべきことで、夏の暑い盛りに冷凍品もほとんど溶けることなく届くというのは非常に有り難いサービスだ。
定期的に宅配サービスを利用する人であれば、手数料も安く済むようだが、私は急場のみの利用なため、$200 以上のオーダーで $9 の宅配手数料(運送料)がかかる。$200 未満の場合は $13 の手数料がチャージされ、一回のオーダーの合計金額は$50以上でなければならない。
だが、初回利用から1ヶ月間は $5 バウチャーが使えるということで、初回の手数料が $4 となったことを考えると、出かける手間+ガソリン代と置き換えて、不快になる金額ではなかった。


初回利用から1ヶ月経った頃、今度は $20 引きクーポン コードが email で送られてきた。
割引コードは1回の注文に1つしか使えないということなので、実質 $20 ー $9 = $11 の値引きということになるのだが、時間をかけて車で買い物に出かけ、重たい荷物を車から家の中まで何度も往復して運んで値引きなしというのに比べたら遥かに得には違いなく、明らかにマイナス ポイントである野菜などの品質チェックやら、配達されたものに間違いがないかチェックするという超面倒な作業を差し引いても、まぁ宅配の方が得かな...と、2度目の注文をするに至った。

二度目の注文も、 間違いなく届けられた。間違いなく届くことが普通の日本とは違うこの国で、毎回間違いがないというのは凄いことだと、皆で称賛したほどだ。

これから年老いて買い物に出られなくなっても、このサービスがあれば生活に困ることはないだろう。




19.2.19

I Love Baking Bread!

料理が好きではない私だが、パンを焼くのは別。パン作りは何故だかとても面白い。
パンの焼ける匂いも大好きだ。

時間に余裕がある時には、The Best Bread Ever の本に則って、きちんと粉と水の温度を測り、発酵時の温度も管理して、とびきり美味しいパンを焼くのだが、それ以外の時は、捏ねずに作るパン生地を使用し、発酵時間も厳密ではなく、『だいたいこんなものかな』という程度の、普通のパンを焼く。





『だいたいこんなものかな』というパンでも、ベーカリーで売られているパンと同等、或いはそれ以上に美味しいのだが、やはり The Best Bread Ever には敵わない。



* かつて、ベーカリーを経営していた知人から教えてもらったこと...

パンが焼き上がった時に、上は綺麗に焼けているのに、下の焼け具合がイマイチだと感じたら、オーブンのスイッチを切った後数分間、オーブンの中に入れたまま余熱で焼くようにするといいとのこと。

Challah などの編み込んだパンの場合は特に、表面の方が先に焼き上がり、底部分がまだ完全に焼き上がっていないということがよくあるので、表面を焦がしてしまわないその方法が役に立つだろう。


14.2.19

T の新しい Drone 初飛行

家のすぐ近くに大きな公園/広場がいっぱいあるのだが、残念なことに家の周りは Drone 飛行禁止区域になっているため、少し離れた所にある公園で練習しようということになった。


大きな公園で、すり鉢状の底の部分ではサッカーやら陸上競技が行えるらしく、砲丸投げとか幅跳びを行う場所だろうと思えるものも設えられていた。




周囲には木がたくさん植えられていて、かんかん照りの日でも、風さえあれば、木陰で涼を取ることができる。






 すり鉢状の上の方に行けば海が見える。そう、海岸沿いの丘にできた公園なのだ。

Rangitoto Island や、その隣の、いつ見ても同じ色をしているように思える島 Browns Island(別名 Motukorea) が緑色の海に映えてとても綺麗だ。






 Drone を飛ばすために日陰に入ると、そこにはむき出しになった木の根っこが痛々しく張っていて、異様な雰囲気だった。芝生も生えておらず、まるで焼けた跡のような無残な姿をしていた。


暑い日だったので、数年前に母からもらった小さな水筒に入れていった氷水は、瞬く間に無くなってしまった。


この水筒... 
母が近くの電気屋で景品として貰ったものらしいのだが、保温/保冷機能は素晴らしく良く、バッグに入れて持ち歩くにはちょうど良い大きさで、大変に重宝しているが、真夏に長時間出かける際にはもう少し大きな容量のものが欲しい。



13.2.19

刃物&ガラス取り扱い経験者の失敗

久しぶりに包丁で怪我をした。

冷凍ハッシュブラウンが張り付いて剥がれず、包丁を刺して剥がそうとしたのだが、横着をしてハッシュブラウンを左手に持ったまま包丁を刺し、勢いよく滑って入っていってしまった先が左手中指だったというわけだ。

包丁はいつもよく研いであるため、想像以上に指に深く入り、パックリと開いた傷口から瞬時に血が溢れ出した。

げげっと思ったが、パニックになることはない。
長年ガラスを扱う仕事をしてきたので、手(指)を切ることはどうしても避けられず、木工においても、ガラスの仕事ほどではないが、やはり手に傷を負うことは想定内という環境が、血を見ることに対して鈍感になっている要因だろうと思う人も少なくないだろうが、若かりし頃働いていた総合病院でも、大量出血した患者が緊急で運ばれて来るのを幾度となく目にする機会があり、その当時も血を見ることが別段怖いと思ったことはなかったので、多分、そのように生まれついているのだろう。


まず、血の滴る指を流水で洗い、近くにあったキッチンペーパーで傷口を押さえ、みるみるうちに血で染まってしまうペーパーを何度か取り替えつつ、バンドエイドのパッド部分に馬油を塗り、それでとりあえず傷口を塞いだ。
料理を続けなければならなかったので、バンドエイドを二重にしたが、それでも血が染み出してきたため、ポリエチレンラップで指を包み、セロテープで少しきつめに留めておいた。

20分ほどして、真っ赤になってしまっていたバンドエイドを新しいものに交換しようと外してみると、もう傷口は塞がり、出血も治っていた。

我ながら、回復の早さに驚いた。

すぐに、切った痛みも、ジンジンとする感覚も全く無くなり、指先の感覚にも変化が無かったので、大事に至らずに済んで良かったとほっとした。





12.2.19

お師匠さんの選び方

今朝、淹れたてのコーヒーを飲みながら、TouTube で箱根寄木細工の伝統を引き継ぐ若者のビデオを観ていた。

『土産物』を作る作業場で働くその若者は、とても一生懸命に仕事に取り組んではいたが、木工機械のみを使って作った作品 商品は、お世辞にも美しい仕上がりとはいえず、模様は正確に組み合わされていない部分が多く、『印籠』と呼ばれる上蓋をはめる為の出っ張りも、お粗末としかいえない仕上がり具合だったが、親方はその仕上がり具合を見て、印籠部分の雑な仕上がりは指摘したものの、寄木細工部分は綺麗にできていると合格点を付けていた。



その若者が鑿や鉋を使って作業している映像はなかったので、おそらく、その作業所では機械でカットしたものをそのまま貼り付けて良しとしているのだろうと想像できたが、「今日までの作業にミスがあれば、寄せた時に狂いが生じる。特に麻の葉の文様は、失敗すれば中心に集まる線がずれ、見栄えを大きく損なう」というナレーションを聴きながら、狂いの生じた物の映像を映すのは如何なものかと、私はそのTV番組製作者の "質" そのものにも大きな違和感を感じてしまった。

おそらく、"安い土産物レベル" ではその程度で良いということなのだろうが、私が教える立場だったら、安く売るものであっても、それは売り物にはならないとハネるのは確実だ。


私はステンドグラスを教えていた時、『厳しい先生』と言われたことがある。「努力賞はもらえても、合格点はなかなか付けてもらえない」と受講生は笑っていたが、どこに出しても恥ずかしくない物を作るというのは一朝一夕にできるものではなく、練習に練習を重ね、上を目指し続けることが、ゆくゆくは自分の技術の向上に繋がるのだと理解できるようになると、美しくできていない箇所を指摘される方が、適当に「よくできたね」とあしらわれるよりも嬉しく感じるようになるものなのだ。

努力家であればあるほど、厳しいお師匠さんが必要となる。
足元にも及ばない存在の、いわば崇高な存在であるお師匠さんに、何年も、いや、何十年もかけて近付き、そして肩を並べるほどの技術を習得した時、お師匠さんの厳しさを心の底から有り難く思うようになるのだ。

以前観た江戸指物師 木村正さんのビデオで、お師匠さんはとても厳しい人だったことがうかがえるシーンがあったことを思い出した。

「後で考えると、良い親方に出会えたなぁ」と回想し、「素晴らしい親方のところで13年お世話になった」と、しみじみと語る木村さんの姿は、謙虚で、とても美しかった。

「後で考えると... 」
修行時代は、厳しいお師匠さんに凹まされることが度々あったのだろうとなと、この言葉から想像できるのは、私だけではないだろう。

技術が秀でていない親方は、不完全な箇所を一瞬で見つけることができない。指摘されることが多いというのは、それだけ親方が優れているということの証なのだ。
その優れた親方から技術を学び、その上を目指すことが、本物の職人の理想的な形だろう。


前述の、箱根寄木細工の駆け出しの若い職人は、本当にその道を極めたいと思ったら、もっと厳しいお師匠さんに弟子入りするか、もっともっと多くを独学で勉強するかしないとならないなと、ビデオを観ながら思った。

そして、何よりもまず、鑿や鉋の刃を自分でシャープに研ぎ、それらを使いこなせるようになること。それ無くしては、おそらく正確な文様は出来上がらないだろう。
機械ものの刃は、常にシャープに研いである刃物(ハンドツール)には到底敵うものではなく、コンマ何ミリの世界には通用しないものだということを、この若者が自力で知るようになる日が来るといいなと、そんなことを考えながら、unsatisfied なままビデオを観終わった。


*『伝統工芸』という言葉に囚われないのであれば、高品質のサンダーを使って微妙な狂いを調整/修正する手もあるかもしれないが、緻密な設定が要求されることは言うまでもなく、緻密な設定ができる機械は、言わずと知れてべらぼうに高く、設定するのにかなり時間もかかる。また、寄木細工のように各パーツが水平の機械にそぐわない形をしている場合は、それに合わせた治具を作る必要も出てくるというわけだ。

もしかしたら、サンダーに使うための治具を使って、鉋をかけた方が早いかもしれない...と、頭の中で想像してしまった。


今、その治具が、私の作ってみたい物リストに追加された。




10.2.19

セツおじさんの妻の、途中で面倒くさくなったチーズケーキ

ふわふわのチーズケーキを作ろうと、10年以上使っていなかった電動泡立て器を出してきた。

今回は湯煎で焼くため、買ってから一度使ったきりの Lakeland Pushpan を使ってみることにしたのだが、果たして上手くいくかどうかと、心配すること約1時間...



この Lakeland Pushpan だが、取り外しできる底板の周囲にシリコン パッキングがはめられていて、ゆるい生地でも漏れないという利点はあるものの、上げ底状態になっているため、ケーキの底部分が焼けにくく、かつて失敗したことのないヨーグルトアップルケーキを底までしっかり焼くのに一苦労した経験がある。『腹立たしいケーキ型』という以外の何ものでもなかったシロモノだが、おそらく、今回のようにお湯をはった容器の中に入れるのにはもってこいなのではないかと、底をアルミ箔で覆っている TouTuber のビデオをいくつか見て考えていた。

焼くこと50分...
張ったお湯に生地が溶け出すことも、お湯が生地に流れ込むことも無く、非常に上手く出来上がった。

竹串を刺して焼け具合を確かめ、オーブンから取り出したばかりのアツアツ/プルプル スフレ チーズケーキを切ると、中まで綺麗にしっかり焼けていた。




蒸し焼きにするのにはこのケーキ型はもってこいだということはわかったが、一切れ食べてもう十分だと思った私が、次にこの型を使ってケーキを作るのはいつになることやら...

せっかく面倒くさいのを我慢してケーキを焼いたのに、歳をとって、美味しいものでも、若い頃のように大量には食べられなくなったことを、少し悲しく思った日だった。



2.2.19

深夜2時半の夕食 & T オークランド帰国

同居人Hの働く広告代理店には残業手当てなどというものは無く、職員を無報酬で深夜まで働かせることに何ら罪悪感を抱くことも無い。

Tがその会社に居た頃、Tの部署のボス(サウス アフリカ出身)はよく出来た人だったため、部下に残業させることは極力避け、どうしても片付けなければならないものはボス自身が一人残って働き、部下を深夜まで働かせることなど皆無だったが、Hの部署では超段取りの悪い上の連中がどんどん仕事を遅くし、ギリギリになって納期に間に合わせるようにとスタッフを扱き使うのが通例となっていて、いつまで経ってもその悪習慣を改善しようとしない。いや、頭が悪くて『考えられない』のだろうと思えて仕方がない。

数日前にも深夜2時過ぎの帰宅となったHは、帰ってから私が用意しておいた夕食の鶏の唐揚げ(正確には竜田揚げ)を温め直して食べていた。



「今年中には他の会社に移りたい」
そう漏らしていたHの希望が叶うといいなと、願うばかりである。



約4週間に渡って日本を満喫したTは、昨日無事オークランドに戻って来た。
成田を夜9時近くに出発する便だったため、乗り込んで少ししたら通常の睡眠時間となり、時差ボケもほとんどなく済んだのは幸いだったが、約1ヶ月に渡る旅行の疲れの上に、10時間近くのフライトというのはやはり身体にはきつく、家に着いてしばらくすると、どっと疲れが出てきたようだった。

ここからオークランド国際空港までは車で20〜25分なため、私は車で迎えに行った。
高速道路は予想以上に空いていて、高速が不慣れな私でも何の問題もなく到着できたのだが、年老いた私の運転を案じて、Hが仕事を休んで一緒に行ってくれたため、気分的にとても楽で、気を使ってくれたことを本当にありがたく思った。


何はともあれ、Tが元気にオークランドに戻り、私たちはまた通常の生活に戻った。

今日は、Tが買ってきてくれた新しい MacBook Pro を使ってこの投稿を書いている。
格段に進歩した MacBook Pro は、信じられないほど使い勝手が良く、容量も大きいため、これまでの大量のデータを全て移し終えた後、何のストレスもなく使えている。

タッチIDはすこぶる便利で、動画の停止、再生もタッチ バーをタッチするだけ。一々カーソルを動かす必要がない。
また、開いているアプリケーションに応じた便利機能がそこに現れ(emailを開けばそれに必要な機能が出て来る等々)、タッチするだけで用が足せることが多くなったため、トラックパッドを使用する回数がかなり減った。至れり尽くせりのパソコンである。

言うまでもなく、セットアップは全てTにお任せ。私は教えられた通りに使うだけ...

我が家の住人たちは私を除いてパソコンに強い者ばかりなので、私はずっと楽をしたまま人生を終えるに違いない。
ありがたいことだ。





「ありがとう」ではなく「すみません」

病院に面会に行き、エレベーターが自分の居る階に来るのを待っている時の光景... 到着したエレベーターから降りる人は、必ずお辞儀をしながら降りてくる。 乗り込む際、最後に入ってくる人もまた、お辞儀をしながら入ってくる。「すみません」と言いながらお辞儀をする人が圧倒的に多い。 また、...