28.8.12

ya rayeh

ある一人の青年と話をした。アラビック、フレンチ、英語を交えて。

見るからに聡明そうなその青年は、私が iPhone に入れて毎日のように聴いている(彼の故郷では最も有名であろう歌手の)曲を聴かせると、「この曲を聴いてみて」と、ちぎったメモ用紙に走り書きして渡してくれた。


これまでに幾度となく耳にしたことのある曲だったが、これまでは特に歌詞の意味を調べてみることも無かった。

その日、青年がどんな曲なのかを手短に説明してくれたので、家に戻って、どこかに歌詞と英語の翻訳が載っていないかと探し、ようやく、彼が言わんとしていることが見えたような気がした。

「コーランを読んだことある?」と聞かれたので、読んでいるところだと答えると、YouTubeで聴くといいよと言って名前を書いてくれたが、私は聴いても意味が分からない。私はアラビックから翻訳された英語と、それに加えてあまり正確ではないように思える日本語の翻訳を参考程度に横に並べて読んでいるのだ。

「意味が分からなくても、聴いているだけで心が落ち着くから」というので、そうかな?と思ってしばらく聴いてみたが... 何を喋っているのかわからないものを心地よいと感じることは、私には無理だと悟っただけだった。

不倫の歌を意味もわからず好きで歌っていた同居人のようにはなれない(笑)

私は歳をとって用心深くなり過ぎたのか、深く考え過ぎる性格が邪魔をしているのか、まぁ、どちらにしても、納得のできない段階で夢中になるという時期は、もうとうの昔に通り過ぎてしまっていることだけは確かだなと思いつつ、コーランを引き続きのんびりではあるが、じっくり、しっかり読んでいる。毎日ではなく、精神をそれに集中できる時だけ。



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