13.12.16

扱いの難しい Ancient Kauri

最近荒くカットされた板を使うことが多くなって来たため、ガサガサの面を効率的にザクっと削れる Scrub Plane を用意する必要が出て来た。

3挺あるHenry Boker の鉋の内、最も小ぶりのものは、元々 Scrub Plane として使われていたもので、私はそれを普通の鉋として使うべくブレードを削り直してしまってあったのだが、そのブレードをまた Scrub Plane 用に戻し、これからは荒削り用の鉋として使うことにした。



Henry Boker のブレードは日本と同じ laminated steel で、非常に切れ味がよい。
あっという間にガタガタの表面を均すことができ、かつ、表面は程よくスベスベになる。


幾つかの板の表面を均し、普通の鉋 → 仕上げ鉋の順に鉋がけを終えたものの、今月始めにeBayとAliExpress に注文しておいたボックス作りに必要な小さなヒンジはいまだ届かず、AliExpress に関しては、注文から10日以上経った今でも荷物が中国本土から出ていないようで、在庫が充分あるのにも関わらず、なぜ発送にそんなに時間がかかるのか首を傾げたくなってしまう。この分では年内に届くかさえも疑わしい。


国内のインターネット オークションに出品していた Ancient Kauri の鍋敷き…
作ってから2週間ほど色の変化、表面の艶の変化等を見た上で、変化無しと判断してオークションに出品したものだが、出品した後に、塗ったTung Oil が部分的にまだらに染み込んだような色に変化してきていたことに昨日まで気付かなかった。
これまでに Ancient Kauri で作った物は綺麗に仕上がり、このようなまだらな油染みのようなものは出て来たことがなかったので、この鍋敷きに使った木の部分が他と違っていたということなんだろうかと、この木の性質についてまだ詳しくない私は、製作後約 1ヶ月経って売り物にならなくなってしまった鍋敷き2つを見て、心底ガッカリすると同時に、これまで売れずにいてよかったと安堵した。(出品は即刻取り下げ)

費用はかかるが、ステンドグラスの製品は、作った後何週間かしたら素材が変化したなどということが無い分、売るのは気が楽だった。

木製品は気候の変化に依って伸びたり縮んだりを繰り返すは、表面を仕上げる際に相応しくない塗料が出て来るはで、どんなに時間をかけて丁寧に作っても、思い通りになってくれないことがかなり多く、それが作業する上で大きなストレスとなっている。


「木っていうのはみんな性格があるんですよ」
「木にはね、人間と同じで癖があるんですよ」

ある江戸指物師の方が仰っていた。

木工は奥が深い。

工具を使いこなせるよう技術を磨くのと並行して刃物を鋭利に研ぐ技術も習得しなければならず、その上に、木の特徴/性質に通じ、どの木をどのように使うかを吟味し、板の模様をどのように際立たせるかを熟考し、デザインを考える。
そのようにして全神経を集中して作り上げた物を最終処理で台無しにしないよう、適切な表面処理の仕方を学ぶ必要も出て来る。

私は、木工を初めて 2年目にしてようやく、扱う板毎に違った処理の仕方をしなくてはならないことを痛感した。(同じ種類の木から切り出した板でも、年代やら育った場所で性質が違うこともあり、見分けるのは非常に難しいことも知った)
だが、痛感したものの、まだ数種類の木材にしか触れておらず、どの板をどのように使えばいいかを教えてくれる人も、相応しい最終処理の仕方に秀でている人も身近にいないため、自分で試行錯誤しながら学んで行くしかない。

「技術は長年やっていれば身に付くが、それを材料と一緒に両方活かせる立場になるのは難しい」

上記の江戸指物師の方が、何十年、何百回その仕事をやっていても、やはり、一回一回上手くできたかできなかったか考えると仰っていた。そして、こう続けた… 

「いつも完成すればほっとはするけども、やっぱり反省するとこもあるし…」


木工に関しては、私はまだまだ駆け出しだ。
失敗ばかり繰り返しているようにしか見えないが、失敗しないで順風満帆で進むよりも、失敗をしながら技術や知識を増して行く方がよほど価値があることを私は知っている。知ってはいるが、道のりは気が遠くなるほど長く、ゴールは全く見えないほど遥か遠く、満足のいく仕事が一生をかけてもできないのではないかと思うようになって来ると、時折力が出なくなることがある。

未だ技術も未熟なままな私は、まだまだこれから何年も、安い板を買って来ては練習を積み重ねないとならないが、それでも、『木工に於いて最もこだわるのは使用する材料だ』というのがよくわかるようになってきたのは、少しは進歩したということなのかも知れない。

自分がこんなにも進歩が遅いなどとは、これまで思ったこともなかった。
歳のせいなのか、はたまた経済的な圧迫から生じる焦りから来るものなのか… 


裏庭のテーブルに飲み物を運び、テーブル席に覆い被さるように生えている大きな木を仰ぎながら、不甲斐ない自分の人生をつくづく情けなく思った。







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