5.4.17

Rise & Fall

朝のうちは晴れていたが、天気予報では 11: 00 am には100%の確率で雨が降るということだったので、10時前に家を出発し、ダウンタウンまでバスで行った。

ここオークランドでは、バス料金が頻繁に値上がりしており、現金で支払うと1ステージ$3.50 もかかるようになっている。同居人にその話をすると、AT (Auckaland Transport) Hop Card を使えば $1.85で済むというので、3〜4ヶ月に1度くらいしかバスを利用しない私も、2ヶ月ほど前にそのカードを買っておいた。



このカードは言わばプリペイ方式のカードで、バス、電車、フェリーに乗る際に使用できる。カードを購入するのに$10.00かかり、最初に最低でも$5.00 トップアップしておかないとならない。
残金が少なくなればオンラインでトップアップでき便利なのだが、ウェブサイトの作りが悪く、最初にトップアップした金額は、実際にバスに乗り、カードを読み取り機でアクティベートするまで反影されず、代金だけはとっくに引き落とされているのに、ATのウェブサイトで自分のアカウント情報を確認しても、カードの残高表示は $0.00のまま。まるで詐欺にあってしまったかのように思えた。そのため、本当にトップアップできているのかどうかと心配しつつバスに乗らなければならなかったのだ。しかも、カードは使い回しのナンバーなのか、今年2月に買ったばかりの私のカードは、2016年4月に購入されたことになっている。

色々な面で、「大丈夫かな?」と心配になる運営なため、万が一に備えて、既にトップアップしてあるというのがわかる画面をスクリーンショットで撮り、それを携帯電話の写真フォルダに保存し、カードが残高不足で使えないと運転手に言われた際には、水戸黄門の印籠の如く携帯電話を掲げ、自分の正当性を主張するつもりでいたのだが、AT Hop Card を読み取り機に翳すと、呆気無く残高 $20 と出てきて、私の杞憂は呆気無く消滅した。

Link バスは固定料金なのだが、一般の路線バス(日本のように、距離によって料金が異なる方式)と同様に、バスに乗る際、及び降りる際にAT Hop Card を機械に翳さないとならないことになっている。
小銭を持ち歩かなくていいというのはアドバンテージであり、乗車料金の差もばかにならないので、オークランドに長く滞在する人で、バス、電車、またはフェリーを年に数回は利用するという人は持っていた方が良いカードであるように思うが、ATのウェブサイトはあのままではいかんだろう。


そんなこんなで、今日は小一時間ほど外出し、ダウンタウンのバス停のすぐ近くにあるポストショップに寄って、オークションで売れた荷物を出し… と思っていたら、その場所にあったポストショップは消えて無くなっていた。
キョロキョロ回りを見回すも辺りにポストショップの看板は無く、仕方なく、その場所にある銀行に入り、ポストショップの場所を聞いた。

そこから1ブロック離れた駅の所に移ったというので、駅の中に入ってみたが、見当たらず… その辺りに居た工事用のベストを着た人に場所を尋ね、駅の隣りのブロックの角に位置するデイリーの中に入っている簡易ポストショップでようやく荷物を投函することができた。

観光客が最も利用するだろうと思われる、ダウンタウンとパーネルにあった大きなポストショップが 2つとも、小さな商店の一角を借りた簡易ショップとなってしまっているというのは、ポストショップの経営が危ないということを意味しているのだろうか?と、夕食時に同居人たちと話した。

ダウンタウンでは、昨年5月末に41年間営業し続けていたという Downtown Shopping Centre が営業を終了し、その後取り壊されたビル跡はもう何ヶ月も工事が進んでいるようには見えないのだが、新しい開発計画は頓挫する危険性は無いのだろうか?
また、パーネルのど真ん中にあった有名レストラン『イグアス』は、その土地の所有者とのいざこざ(高額賃貸料の更なる値上げ)が元で、2012年4月をもって廃業してしまい、とても良い雰囲気だった建物は半分取り壊されたまま、もう何年も放置状態だ。
その土地所有者の心算はどのようなものだったのか知る由もないが、この5年間、何の利益も生んでいないように見えるその場所を通る度、金を愛する者の愚かさというものを感じずにはいられない。

街はこの10年ちょっとの間にずいぶんと変わってしまった。

私達がここに来た頃には、まだ古き良き時代の趣のある立派な建造物が多く残っており、とても良い感じだったのだが、それらのビルは取り壊され、いつの間にか、ガラス張りの、どれも同じようにしか見えない殺風景なビルばかりが立ち並ぶ街になってしまった。

お気に入りだったレストランはことごとく消えて無くなり、私達は滅多に食事に出かけることはなくなった。


全てのものには終わりがあることを、私達はある時強烈に実感することがある。

あるものの終わりは別のあるものの初まりに繋がるのだから、失くしたもののことを思い煩うなど愚かなことだと言い切る人がいた。
だが、私は、失くしたものの存在がいつしか脳裏からも消え去ってしまうのではないかと怖れ、必死で抵抗し続けている。


帰りのバスを降りた途端に雨が降り出し、家路を急いだ。
天気予報通り、11: 00am には雨が降っていた。


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