12.4.17

無垢の板じゃないとダメなのか...

「もちろん、良い板を使えば立派なものができるだろうよ…」

合板を買って来て、製図に寸分違わぬよう、カットした板の断面に鉋をかけ、ハンド カット ダブテイル ジョイントを施し、ほぞ&ほぞ穴を丁寧に作りながら、私は心の中でつぶやいていた。私は今バスルームに置くキャビネットを作っている。

長いこと"家具職人"として生活して来た雲の上のお師匠さんには、私の姿は惨めに映るに違いない。


最終的には、材料の良し悪しが仕事の質を決めるのだということくらい、私だって知っている。だが、材料が高過ぎて、そんなものに残り少ない財産をつぎ込むのはもったいないと、木材売り場でどうしても躊躇してしまうのだ。

ステンドグラスにしてもそうだ。
長年ガラスを扱って来た私は、ガラスの質の違いがどれほど大きいかを、一般の人よりも良く知っている。
さほど技術の無い人でも、高級なガラスを使えば、それなりに立派に見えるものを作ることができる。色合いを間違えさえしなければいいだけだ。
反対に、どれほど高い技術を持っていても、使用するガラスが安っぽいと、全く見栄えのしないものになってしまう。


だが、よくよく考えてみれば、そのように高級に見えるものを持っていることに何の意味があるのだろうか。

マタイ6章 25-34 の聖句を心の中で復誦し、気持ちが落ち着いた。


世も世にあるものをも愛していてはなりません。世を愛する者がいれば、父の愛はその人のうちにありません。すべて世にあるもの − 肉の欲望と目の欲望、そして自分の資力を見せびらかすこと − は父から出るのではなく、世から出るからです。
さらに、世は過ぎ去りつつあり、その欲望も同じです。しかし、神のご意志を行う者は永久にとどまります。(ヨハネ第一 2章15-17)


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